第3話 「忘れて」
次の日も、暗い思いで私は学校に行った。教室の前で一回ため息が出た。入りたくないな。でも、入らなくっちゃ。
そう思いながら、また静かに私は教室に入った。
ススス…。周りを見ないで、自分の席に行きすぐに座った。他の子たちは、友達と思い思いの場所で、楽しそうに話している。
麻衣は?もう席にいて、沼田っていう男子と楽しげに話している。
なんだよ~~。こっちに気が付いて、来てくれてもいいじゃん。と、麻衣をじいっと見ていると、その前の席に藤堂君が座った。
わわ。私はすぐに視線を外し、外を見た。
はあ。暗いかも、私。
「穂乃香。今日、一回も話してなかったよね?私ら」
昼休みになり、食堂に麻衣を連れ出した。そこでお弁当を広げた。
「だって、麻衣の前、藤堂君」
「もう、気にするのはやめなって言ったのに。多分、藤堂君のほうはもう、気にしてないと思うよ」
「知ってる」
「え?もしや、そう言われたの?」
「ううん。友達に言ってるのを聞いちゃった」
「穂乃香のこと、なんとも思ってないって?」
「っていうか、もう忘れたって」
「よかったじゃん」
これ、よかったっていうことなの?やっぱり。
「じゃ、穂乃香も気にしないで、普通にしてたら?今のままじゃ、友達もできないよ?」
「だ、だよね」
「それとも、そんなに藤堂君を意識してるってのは、何か気になることでもあるとか?」
「え?」
「もしかして、藤堂君を好きになっちゃったとか」
「まさか!ありえないよ、そんなこと」
「なんで?いいじゃん。藤堂君ってさ、今日話してみたら、けっこうかっこいいかもって思ったよ。すっきりしょうゆ顔。和男子って感じだよね。この際、付き合っちゃえば?」
「じょ、冗談でしょ。なんでそうなるの?こっちは告白されて、気が重くなってたって言うのに」
「し~!」
麻衣がいきなり、目配せをしてそう言った。
「え?」
私はまさかって、後ろを振り向いた。ああ!やっぱり。藤堂君だ。今の、聞かれてたとか?!
藤堂君は、私の真ん前に来た。そして、
「もう、俺のほうも本当に忘れたから、結城さんも忘れていいよ」
と表情を変えず、私に向かってそう言った。
「え?」
「なんか、そんなふうに重たく考えられると、こっちも重たくなるし」
「…」
え?
藤堂君は頭を掻いて、
「1年の時の話だしさ、そっちももう、忘れてると思ってたよ」
とぼそって言った。
え?どういうこと?覚えていたり、重たく感じていたら、迷惑ってこと?
「じゃあ…」
藤堂君はそう言うと、奥の席へと歩いて行った。そこには弓道部の部員がいて、一緒にお弁当を広げ、藤堂君は食べだした。
「本当に、もう藤堂君は穂乃香のこと、なんとも思ってないみたいだね」
「…うん」
「そういうことだから、穂乃香も気にしないで、とっとと他に好きな人見つけたら?」
…。む、無責任な。だいたい、麻衣が今、藤堂君と付き合っちゃえばなんて言ったから、こんなことになったんだよ?
って、こんなことって何?なんで私、また落ち込んでるの?
藤堂君が私のことをなんとも思ってないからって、それがどうしたっていうんだろう。
「今日からもしかして、穂乃香、部活?」
「うん」
「熱心だね」
「だって、絵を描くの好きだし」
「じゃ、私はデートもあるし、さっさと帰るよ?」
「うん」
午後、1時間だけ授業があり、そのあと私は部活に行った。
今年は、若葉を描こうと思っている。芽が出たばかりの、まだ黄緑色をした葉っぱ。太陽にあたって、きらきらと輝き、綺麗な木漏れ日を作っている木々。それを描こうとして、キャンパスの前に座った。
「すごく綺麗な絵を描くんだなって思って…」
藤堂君の言葉を思い出していた。ずっと私のことを見ていたって言ってたっけ。まったく気が付かなかったな。
やっぱり、今でも私はわからない。私のいったいどこがよかったんだろうか。
その日から私は、毎日部室でキャンパスに向かった。
「疲れた~~~。もう、暑くなってきたよね」
4月も終わりに近づいた。部活が終わる時間になると、美術室の前を弓道部の部員が通って行くようになった。でも、そこには藤堂君の姿は見えなかった。
教室でも、麻衣は時々藤堂君と話をしていたが、私はまったく話さなかった。麻衣はたまに、私の席に来たけど、私は自分の席から離れないでいた。そして、前の席の女の子と、だんだんと仲良くなった。
後ろと横は男子だ。私には普通に話せる男友達がいない。どうも、昔から苦手。何を話していいかもわからない。
麻衣は藤堂君とも、沼田君とも、仲よさそうに話している。すごいな。
はあ。ため息をつきながら外を見る。桜はもう散ってしまっていた。でも、桜の木からも、新たな芽が出ていて、可愛い黄緑色をしていた。
その光景を思い出したり、時々窓から桜の木を眺めては絵を描いた。
「今年は新緑か?」
先生が聞いてきた。
「はい」
「ふむ…。出来上がりが楽しみだな」
顧問の先生は絶対に悪く言わない。それにあまり、アドバイスもしない。ほとんど生徒たちの描きたいように自由に描かせてくれる。
翌日、私は委員会があり、部活に出るのが遅くなった。そして美術室に行くと、なんと藤堂君が私の絵の前にいた。
「あ、きたきた」
藤堂君の横には、顧問の先生がいる。
「な、なんで藤堂君がここに?」
「ああ、彼は絵を見るのが好きなんだよ。前からね」
「…」
藤堂君が私の絵を黙って見ている。
「見ないでください」
「え?」
「先生、勝手に部外者をいれたりしないでください」
私がそう言うと、藤堂君は、
「ごめん。勝手に見て。それじゃ、僕も部活があるので、これで失礼します」
と言って、さっさと美術室を出て行った。
「…」
もう、なんで先生は勝手に藤堂君を、いれちゃうんだろう。
「いいじゃないか。見に来ても。彼は結城の絵をすごく褒めているんだぞ?とっても優しい絵だって」
「…」
「先生もお前の絵は、優しい色を出していて、素晴らしいと思う。それを彼もわかってくれてるんだ」
だって、勝手に見られるのは嫌なんだもん。私はそんなことを思っていて、先生には何も答えなかった。
5時を過ぎた。そろそろ帰ろうかと片づけをしていると、弓道部の部員が美術室の前を通って行った。
「今日の藤堂、おかしかったな」
「うん。全然的に当たってなかったし。集中力が欠けてたって感じだよな」
え?
藤堂君が?
まさか、私がさっき、あんな冷たい言い方をしたからじゃないよね。そんなこと気にしたりしないよね。
でも…。もしそうだとしたら?
私は気になり、美術室を出て、道場に行ってみた。入り口が開いていたので、そうっと中に入ってみると、藤堂君が一人で、片づけをしていた。そして私に気が付いた。
「結城さん?」
「あの…。さっきは、その…」
「絵のこと?勝手に見てごめん。いつも、結城さんがいないときに、俺、勝手に見ちゃってるよね」
「…そうじゃなくて、その…。私もきつく言ってごめんなさい」
「え?」
藤堂君が、驚いている。
「その…。先生が、藤堂君は私の絵を褒めてくれてたって。それなのに、私、あんな言い方しかできなくて、悪かったなって思って」
そう言うと、藤堂君は静かに私のほうに歩いてきた。
「謝りに来てくれたんだ」
「え?う、うん。なんだか、気になっちゃって」
「そう」
藤堂君が静かに笑った。あ、本当だ。麻衣が言ってたけど、和男子って感じだ。去年の秋はまだ、幼さが残っていたけど、今はすっかり大人っぽくなって、りりしくなった。
「なんか、まだ、俺のこと避けてるよね?」
「え?私?ううん」
「そうかな」
「私、もともと男子とあまり話さないから」
「それで?それで俺にも話しかけてこないの?」
「う、うん」
「そっか。なんだ…」
「き、気にしてた?」
「ちょっとね」
藤堂君はそう言うと、静かに微笑んでから、下を向き、
「去年、告白なんかしなかったらよかったって、思ってたよ」
とぽつりと言った。
「え?」
ど、どうして?
「俺、そんなに深い意味であんなこと言ったんじゃないんだ。もっと、友達って感じで、今みたいに話せるようになれたら、それでよかったんだよね」
「え?」
深い意味はない?
「だから、あまり構えられちゃうと困るって言うかさ」
「…」
「ほんと、あの告白は忘れて?」
「え?」
「忘れてくれてかまわないから」
「…」
「忘れてくれたら、こっちも気が楽になるし」
「う、うん。わかった」
「だから、普通にクラスメイトとして、俺のことも見てくれていいから」
「うん」
「俺もそうするし」
「う、うん…」
「…。っていう俺もさ、あまり女子と話すの得意じゃないんだ」
「え?」
「だから、まあ、話すって言っても、今くらいな感じかな?」
「う、うん」
「だからさ、あまり身構えないでくれないかな」
「わかった」
藤堂君は、私がうなづくと、
「俺、片づけあるから、これで」
と言って、道場の奥に行ってしまった。
「それじゃあ」
私も、なんとなく言葉を濁したまま、道場をあとにした。
そうか。
深い意味はなかったんだ。
じゃあ、なんで、ダンスに誘ったりしたの?
じゃあ、なんで、私のことずっと見てたとか、そんな話をしたの?
ああ、なんだか、もやもやしている。
私、そんなに身構えてた? それが、藤堂君には重かったの?
私が気にしすぎていただけなの?藤堂君は本当に、何とも思ってなかったの?
あの告白だって、忘れていいくらいの、そんなものだったの?
美術室に戻って、キャンパスの前に座った。無性に腹が立つやら、悲しいやらで、私は思わず、絵を真っ白に塗りつぶした。
やっぱり、藤堂君がわからない。そして、なんでこんなにもやもやするのかも、自分自身もわからないよ。