第18話 地の底
帰りに、約束通り私は沼田君と喫茶店に寄った。でも、2人だけではなく、麻衣も一緒だった。帰りにドヨンとしていた麻衣を、沼田君が誘い、麻衣もこのまま帰りたくないと言って、ついてくることになったんだ。
「はあ」
なぜか3人でため息をついた。
「やだな。つられて2人まで暗くならないでいいよ」
麻衣が言った。
「つられたわけじゃなく、まじで暗いんだよ」
沼田君がぼそって言った。
「同じく」
私も暗く言った。
「なんで?ふられたとか?」
「ふられちゃいないけど、うまくもいってない」
沼田君がまた、ぼそって言った。
「沼っちって、明るいんだか暗いんだか、わかんないよね」
「麻衣もそうだろ?」
「ま、まあね。前向きなんだか、後ろ向きなんだか、自分でもわかんないや」
「はあ」
また沼田君がため息を漏らした。
「美枝ぽんとなんかあった?」
私が聞くと、沼田君はさらに暗い顔をした。
「なんか聞いてない?穂乃ぴょん」
「え?」
「聖先輩のこと」
「ううん、何も」
「美枝ぽんさ、お母さんと一緒に聖先輩の店に行ったらしいよ」
「え?」
「聖先輩は店でバイトはしてないらしいけど、でも、偶然店のカウンターで夕飯食べに来たらしく、ばったり会えたんだって」
「へえ」
麻衣は普通に聞いてるけど、私は複雑だ。私だって、聖先輩のお店、行ってみたい。
「でさ、お母さんのほうが常連らしくて、聖先輩に話しかけて、美枝ぽんも一緒に話したらしくて」
「で?」
麻衣が聞いた。
「今までは、聖先輩のいろんな面が見えたらがっかりするだろうからって、遠くで見てただけなんだって。だけど、この前先輩が穂乃ぴょんに、そのままでいいって話をしたじゃん?あれで美枝ぽん、もっと聖先輩のことを身近で見て、知りたいってなったらしくて」
「え?そんな話聞いてないよ」
「そう?でさ、さっそく店まで行ってきたらしい」
「そんな話をしたの?美枝ぽん」
「うん、俺、たまにメールしてるから」
「美枝ぽんと?」
「去年も聖先輩のことで、俺協力するって言ったじゃん?あれ、今でも有効かってさ」
「ありゃ。どうすんの?協力するの?」
麻衣が聞いた。
「どうしようかな~~。ああ、どうしたらいいと思う?」
「協力するなんて、心にもないこと言うからだよ」
麻衣がきつくそう言った。
「え?」
「好きなくせに、そんな回りくどいことしたから」
「…」
沼田君はすっかり、這い上がれないくらいまで落ち込んでしまった。
「で、穂乃香はなんで、落ち込んでるの?友達でいいって思ったところじゃないの?」
「美枝ぽんがね、藤堂君が後輩の女の子と、話してたのを目撃したらしくって」
「話してただけでしょ?」
「そうなんだけど」
「そのくらいで落ち込んでたら、きりがないって」
麻衣に言われた。
「そうかな。あいつ、あまり女子とは話さないから、けっこうそれって、やばいかもよ」
地の底まで落ちてた沼田君が、這い上がってきてそう言った。
「え~~。話してただけでしょ?」
「その後輩って、陸上部じゃない?」
「うん。そう。中学も同じだって」
「ああ、わかった。たまに教室に来てるよ。知らなかった?」
「え?知らないよ」
「廊下に呼び出されて、話してる。ああ、朝早いから、穂乃ぴょんは知らないか」
「そ、そうなの?」
「麻衣も見たことあるだろ?」
「あ~~。あの子。髪がショートカットの、元気な子」
「そうそう。けっこうかわいい子」
「大丈夫なんじゃない?向こうからただ来てるだけで、司っちはどうも思ってないと思うよ」
「だけど、いつもちゃんと話を聞いてあげてるじゃん」
「…まあ、そうだけどね」
知らない。そんなに早く学校行かないし。そうなんだ。教室まで来てたんだ!
「なあ、告白してふられるのと、友達でいて、相手に彼女ができるのと、どっちを穂乃ぴょんなら選ぶ?」
沼田君が聞いてきた。
「究極の選択?」
麻衣がそう言った。私は思い切り悩んでしまった。
「ふられたら、友達でもいられない?」
「かもなあ」
沼田君がつぶやいた。
「でも、友達でいながら、その彼女と仲よさそうに見てるのもつらそう」
「だよなあ」
また沼田君がつぶやいた。
「なんで、好きな相手と付き合えるって選択がそこにないわけ?」
麻衣が聞いた。
「…それが1番だろうけどさ」
沼田君はそう言ってから、
「確実に付き合える保証は、どこにもないでしょ」
とまた、小声で暗く言った。
「暗いな~」
麻衣はそう言ったけど、
「ま、いいや。今は暗い人たちといるほうが、落ち着く」
と言って、一緒になってため息をついた。
ドヨン…。きっと3人ははたから見たら、めちゃくちゃ暗いオーラを放ってるだろうなあ。
だけど、パンとコーヒーは美味しかった。
「なんだか、美味しいものを食べると、ちょっと救われるよね」
麻衣がそう言って、笑った。
「ありがとう。私一人じゃ、今日辛かったよ。でも、2人といれて癒された」
「こんなに暗い2人でも?」
私が聞くと、
「こういう日は変に明るくて、慰められたり励まされるより、くら~~くなってたほうが、逆に救われるんだって」
「そうかもな」
沼田君がそう言った。
そんなものかあ。じゃ、暗い私でも役に立てたんだなあ。
翌日、朝、ものすごい勇気をもって、朝早くに学校に行った。怖いもの見たさってことじゃない。ただ、その子と話す藤堂君がどんななのかを、見てみたかったんだ。
あ、本当だ。教室の前で、女の子と藤堂君が話をしてる。どうしよう。声をかけるべき?
「先輩!だから、ちゃんと聞いてくださいってば」
その子は本当に明るい笑顔で、藤堂君に話しかけている。
「聞いたよ」
「じゃ、どの曲が気に入りましたか?」
何の話しているの?
「司っち、おはよう」
私の後ろからそう言う声がして、びっくりして振り返ると、沼田君だった。
「あ。おはよう。あれ?」
藤堂君が私を見て、ちょっと驚いてる。
「お、おはよ。藤堂君」
「早いね。今日は…」
「え?うん。なんか早くに目が覚めたから」
なんだ、この言い訳。かなり苦しいぞ。
女の子は私を見た。そしてまた、藤堂君ににこにこしながら話しかけた。
グイ!沼田君に腕をつかまれ、私は教室に連れ込まれた。
「どうだった?見てみて」
「え?」
「司っち、どんな感じだった?」
こそこそと沼田君が聞いてきた。
「わかんないよ、こっちが沼田君に聞きたいくらい」
「う~~ん、あまりいつも、司っちのほうから話してないみたいだな。あの子から話しかけられてばかりいる」
「あ、さっきもそんな感じだった」
「何、こそこそしてるの?」
そこに美枝ぽんがいきなり現れた。
「うわ~~~~」
私も沼田君も、びっくりして飛び上がった。
「美枝ぽん、脅かさないで」
「本当だよ。びくった~」
「で、何をこそこそと仲良く話してたの?」
「廊下で見なかった?」
沼田君が聞いた。
「何を?」
「司っちだよ」
「え?藤堂君なら、もう教室にいるよ」
私たちはそれを聞き、慌てて席のほうを見た。あ、本当だ。自分の席にもういる!
「なんだか、2人、仲いいよね。昨日も帰りにお茶してたんでしょ?もう、2人で付き合っちゃえば?」
美枝ぽんがそう言った。その声がやけにでかくて、教室中に響いてしまった。
教室にはまだ、半数くらいの生徒しか来ていなかったけど、みんなが私たちを見た。藤堂君までが振り返って見ていて、私は顔が蒼くなった。
だけど、顔面蒼白なのは私だけじゃない。隣りにいる沼田君も、凍り付いていた。そりゃそうだよね。好きな相手にそんなこと言われたらさ。
そこに麻衣がやってきた。意外にも明るい顔で。
「沼っち、おはよう。どうした?顔に血の気ないけど?」
「ほっといてくれ」
「どうしたの?」
私に麻衣が聞いてきた。
「はは、ちょっとね」
私も顔が引きつり、何も言えなかった。藤堂君はそんな私たちを黙って見ていたが、すぐに前を向いてしまった。
席に着いた。
「ね。廊下に誰がいたの?」
美枝ぽんが聞いてきた。
「美枝ぽんが江の島で見たっていう、後輩の子」
「陸上部の?」
「朝早くに、教室まで藤堂君に会いに来てたんだって。それを沼田君が教えてくれて、私、今日は早くに来てみたの」
「それで、こそこそとしていたわけだ」
「う、うん」
そんで、あんなことを美枝ぽんが言うから、沼田君はまた、地の底まで行っちゃったんだよ。とは言えないか。
「可愛い子でしょ?そうか、教室まで来てるんだね。で、どうするの?穂乃ぴょん」
「…何が?」
「藤堂君にコクる気になった?」
ブンブン!首を横に振った。
「なんで?あの子に取られてもいいの?」
「…」
「いいの?」
「よくないけど」
「…」
美枝ぽんはそれ以上、何も言ってこなかった。
ボケら~~。次の休み時間、私は席でぼおっとしていた。すると、
「ね、付き合ってるの?」
と突然クラスの子が2人、こっちに来て聞いてきた。
「へ?」
「沼田君と付き合ってるの?」
「私?!」
「うん」
「付き合ってないよ」
「でも、仲いいよね」
「ううん。友達ってだけで、沼田君は美枝ぽんや、麻衣とも仲いいし」
私は慌ててそう言って、前の席にいる美枝ぽんにも後ろからつっつき、同意を求めた。
「だけど、さっき、八代さんが…」
「付き合ったらいいのにって言ったけど、2人は別に付き合ってるわけじゃないから」
美枝ぽんが振り向いてそう言った。
「そうなの?な~んだ」
「え?なんで?もしかして誰か、沼っちのことを好きなの?」
美枝ぽんがものすごい好奇心たっぷりの目で、そう聞いた。
「ううん。ただ気になって。もしそうなら、面白いなって」
面白がってるだけ?!
「このクラスってまだ、誰かと誰かが付き合ってるとか、浮いた話ないじゃない?1号がとうとう出たかって思ってたんだよね」
「…」
私はちょっと呆れて、何も言えなくなった。そんなことを面白がっている子がいるなんて。
「誰と誰が付き合いそうだと思う?」
美枝ぽんがそう聞いた。あ、美枝ぽんまで面白がってる。
「そうだな。あ、中西さんと藤堂君も、仲いいみたいだし、いい線いきそうじゃない?」
え?!
「でもさ、藤堂君、彼女いるでしょ」
え?!
「誰?彼女って」
美枝ぽんがまた、興味津々にそう聞いた。
「陸上部のあの子。よく教室まで朝来てるじゃない」
「今日もいたよね。あんだけ頻繁に来てるんだから、付き合ってるよね」
え?え?え?
「一緒に帰ってるのも見たことあるよ」
「そうなんだ」
美枝ぽんはそう言ってから、私をちらっと見た。
私はといえば、さっきの沼田君状態だ。地の底まで、一気に落ちて行った。
休み時間が終わった。次の授業はなんにも、頭に入ってこなかった。
「次、体育だよ。着替えいこうよ。穂乃ぴょん」
「え?いつ授業終わった?」
「気が付いてなかったの?早く、着替えに行こうよ。休み時間なくなるよ」
「うん」
重い足を引きずって、更衣室に行き、ジャージに着替え、校庭に出た。
ああ、体育をする気もまったくない。
なのになんで、体育のテニス、班が藤堂君と一緒なのかな。
「じゃ、男子と女子がダブルス組んで、今日は試合をします」
と先生がとんでもないことを言った。ああ、どうして、藤堂君と、ダブルスで一緒になるかな。
「よろしく、結城さん」
ああ。それもなんでこんな時に、そんな爽やかな顔で、挨拶してくるのかな。思い切り、ドキンってしちゃったよ。
藤堂君はテニスも上手だ。ほんと、運動神経いいんだな。でも、実は私もテニスは得意だ。なにしろ、小学校6年間、テニススクールに通っていたし。中学は軟式だから、部活に入らなかったけどね。
「ナイスボレー。結城さん!」
藤堂君がそう笑顔で言った。うわ。その笑顔も素敵だ。
藤堂君と同じコートで、テニスをしてる。これ、なんか、素敵じゃない?!最高じゃない?!
彼女のことなんて、すっかりどっかにすっとんでいった。
「ありがとうございました!」
試合が終わり、終わってみたら、私たちの圧勝だった。
「すごいね、結城さん。テニスしてた?」
「小学校の時に」
「そうなんだ!驚いた。ボレー、すごい上手いからさ」
「そ、そんな」
褒められると、どうしていいかわかんなくなる。
「藤堂君も上手だよ」
「俺?家族がテニス好きでさ。弟もテニス部なんだ。だから、旅行行くとよくテニスしてるんだよね」
旅行でテニス。なんだか、素敵な家族だ。
「…今度、またしたいね」
「え?」
「テニスコート借りて、テニスしたいね」
「う、うん。そうだね」
ああ、そんなことを言ってもらえるなんて。嬉しい。
「……沼田や、中西さんも誘ってみんなでできたら、楽しいだろうね」
「うん」
そ、そうだね。みんなでね。
「…」
藤堂君と私はベンチに座り、汗を拭いたり水を飲んだ。
「あのさ」
藤堂君が私を見ず、足元を見ながら話だした。
「なに?」
「さっき、八代さんが言ってた」
「え?」
「あ、いや。俺もちょっと思ってたんだ」
「何を?」
「…結城さん、沼田といると楽しそうだし、なんだか、似合ってるかなって」
…………。え?
「ど、どういうこと?」
「付き合ったりしないのかなってさ」
どうしてそんなことを聞くの?喉まで出かけた声を飲み込んだ。そして私の口から出た言葉は、
「藤堂君こそ、あの陸上部の後輩と付き合ってるんじゃないの?似合ってたよ」
藤堂君は、一瞬顔をあげた。でも、すぐに視線を下げた。
どわ~~~~!!!!!!
私は何を言ってるんだ。なんてどえらいことを聞いてしまったんだ!!!
ショックだったとはいえ、いや、違う。一瞬、頭に来たんだ。だから、そんなこと言っちゃったんだ。
私のこと好きで、告白までしたくせに、どうしてそんなこと言うの?って。
でも、あれは、白紙にされたんじゃん。告白はなかったことになったんじゃないの!
「…似合ってた?」
藤堂君は下を向いたまま、そう聞いた。
「…か、可愛い子だった」
私も下を向いたまま、そう言ってしまった。
「………」
藤堂君は何も言わなかった。何か言って。いや、聞きたくない。ええい、どっちなの、私。
「私と沼田君も似合ってると思うの?」
私からつい、そんなことを聞いてしまった。
「…なんか、一緒にいて楽しそうだよ。いつも…」
そんなことないっ。昨日だって、一緒に暗くなってただけだし!
「あいつも、よく結城さんに声かけたりしてるしさ」
それは、相談にのってるだけで。
「…もし、付き合うって言ったら?」
ハ!私、なんでこんなこと聞いてるの?
「いいんじゃないかな。沼田なら楽しい奴だし」
「……」
駄目押し。しちゃった。自分で…。
ず、ず、ず、ずど~~~~~~~~~~ん!!!!地の底に、到着した音だ。
「わかった」
「え?」
「よくわかった」
「え?何が?」
「本当に本当に、もうどうでもいいんだってこともわかった」
「え?」
「それじゃあね、藤堂君」
私は抜け殻になって、その場を立ち去った。魂はもうどっかに消えてなくなったよ。
空は青空。すごく晴れた日なのに、私は暗い暗い道のりを歩いているような気持ちで、テニスコートを出て、歩いていた。




