第13話 魅了された
部室に戻り、絵を描きだした。ちらっと柏木君を見たら、なんだかものすごく集中していて、そこだけ空気が違っても見えた。
ゴールデンウィーク、衝撃的なことがあったって言ってたっけ。なんだったのかな。
5時半を回り、そろそろ忘れ物でも取りに行こうかと思い、片づけを始めた。柏木君はまだ描いている。美術部は一応5時までだけど、美術室が7時まで開いてるので、その時間までは居残って絵を描いてもいいことになっている。
「お先に失礼します」
小声で言って、私は美術室を出た。
5分前に弓道部の部員が通って行ったから、もう道場には藤堂君くらいしか残ってないかな。それはそれで、緊張するけど、でも他の部員がいて、また藤堂君に気を回したりしたら、かえって藤堂君が嫌な思いをするだろうし…。そう思って、わざとゆっくりと道場に向かった。
「失礼します」
そう言って中に入ると、ああ、部長が残っていた。
「藤堂!結城さん来たよ。カメラケースどこにあったっけ?」
「あ、ここです」
藤堂君が奥のほうからやってきた。
「どう?絵は描けてるの?」
部長が聞いてきた。
「はい。おかげさまで」
「そうなんだ。ま、また描けなくなったらいつでも、見学に来てよ」
「ありがとうございます」
「じゃ、藤堂、俺先に行くから、戸締りとかよろしくな」
「はい」
「じゃあね、結城さん」
「はい…」
部長は道場を出て行った。
「…あの、待っててくれたんだよね?ごめんね、遅くなって」
「え?いや、ちょうど部長とも話があったし、そんなに待ってないよ」
「…そう?」
「…」
藤堂君は黙り込んだ。
「あの…。私はこれで」
「もう部活は終わったの?」
「え?うん」
「じゃ、帰るだけ?」
「うん」
「…俺も着替えたら帰るから、5~6分待っててくれない?」
「え?!」
「昇降口のところにいてくれる?」
「う、うん」
一緒に帰れるってこと?!
う~~わ~~~。私はドキドキと嬉しいのとで、浮かれながら昇降口に行った。
待っててって言った。ドキドキ。私、嫌われてないってことかな。迷惑だったらそんなこと言わないよね。
昇降口に弓道部の人たちが来たから、さっと隠れた。今、見つかったらまたあれこれ言われるかもしれないし。あ、もう言われないかな。
「藤堂、なんか悩み事?部長とよく話してるじゃん」
一人の部員がそう言った。え?悩み?
「あれはアドバイスを受けてるんじゃなくて、これからの部のことで部長から相談されてるんだよ」
「え?どういうこと?」
「藤堂ってさ、部長になるタイプじゃないだろ?口数も少ないし、みんなを仕切っていくタイプじゃない」
「そうだな。だから、川野辺が次期部長なんだろ?な?川野辺」
「うん。でも、部長が信頼してるのは、藤堂だよ」
「え?」
「信頼っていうより、藤堂の性格をわかってるからじゃないの?縁の下の力もちって感じじゃん」
「藤堂が?」
「部長が藤堂に言ってるの、俺、ちらっと聞いたよ。川野辺のこといろいろと、サポートしてあげてくれって」
「え?」
「泣かせるよな~~。な?川野辺」
「…そっか。部長、そんなこと言ってたのか。って、やっぱ俺が頼りにならないからじゃん」
「あはは。まあ、そう言うなって。お前も藤堂がいたら安心なんじゃないの?」
「まあね」
「だろう~?」
そんな会話をしながら、弓道部のみんなはその場を去って行った。
そっか。藤堂君、部長に頼られてるのか。あれ?じゃ、前に言ってたミーティングって、部長と2人でのミーティングだったとか?
「お。君、昼休み聖に水ぶっかけた…。今帰るところ?」
いきなり、後ろから声をかけられ、びっくりして振り返った。うわ。聖先輩と、そのお友達。
「す、すみませんでした。あの、服、乾きましたか?」
「うん、すぐに乾いたよ」
聖先輩がそうにこりと笑って言った。ああ、この笑顔を見れるなんて、なんてラッキーなんだ。
「結城さんだっけ?少しは元気になった?」
「はい。ありがとうございました」
「そうだ!名前分かったよ」
「え?」
「アフガン・ハウンド。柏木が教えてくれた」
「え?」
か、柏木君?!
「知り合いですか?」
「柏木?うん、よく海を見に江の島に来て、うちの店に寄って行くから」
ガ~~~ン。そうなんだ。っていうか、いつ柏木君に会ったの?
「柏木君がいつ、アフガン・ハウンドのこと言ってたんですか?」
「さっき。ああ、結城さんって、美術部なんだね。美術室の前通ったら、まだあいつが描いてたから、ちょっと話してたんだ」
「…」
そうだったの?なに~~。そんな知り合いなのに、柏木君、なんにも言ってなかった。
「で、柏木も結城さんはアフガンに似てるって言ってたよ」
「……」
う。その話題はもうやめてくれないかな。なんか、落ち込む。
「聖、やめろって。そんなこと言われて困ってるじゃん」
聖君の友達、なんだっけ。葉一って呼んでたっけ。優しい人なんだな~。
「それじゃね。結城さん」
もう一人の友達がそう言った。えっと、基樹君だっけ?
「さ、さようなら」
私がぺこってお辞儀をすると、聖先輩もさよならって言って、友達とふざけあいながら、行ってしまった。
「…聖先輩と、仲いいんだね」
また後ろから声をかけられ、振り返った。うわ!いつの間に藤堂君いたの?
「あ、今日の昼、話をして…」
「ああ、食堂で?なんだか、話してるなって思ってたけど」
「水、かけちゃったの。っていうか、その水は沼田君のなんだけど、私がテーブル傾けちゃって、その反動でコップが宙に浮いちゃって」
「聖先輩にかかっちゃったの?」
「うん」
「怒られた?」
「ううん。全然」
「…聖先輩、優しいもんね」
「知ってるの?」
「中学、委員会でお世話になったことあって」
「そうなの?」
「俺が2年で先輩が3年の時、放送委員でさ。そういうの苦手なのにクジで運悪く当たっちゃって、ずっと先輩がフォローしてくれてた」
「…みんな聖先輩と、接点があるんだね。いいな」
「え?みんなって?」
「柏木君も知り合いだった」
「でも結城さんだってもう、知り合いでしょ?」
「あ、そ、そっか…」
「…よかったね。聖先輩に知ってもらえて」
「うん」
「めずらしいよ、高校に入ってから、先輩、ほんと女子と話さないし」
「…話ができたって、もしかして貴重なこと?」
「うん」
「そっか。嬉しいな」
「…」
藤堂君はゆっくりと歩幅を私に合わせ、歩いている。
「文化祭には見れるのかな。絵…」
「う、うん、それまでには仕上がると思う」
「何か月も前から描くんだね」
「私はね。すぐに描けちゃう人は、文化祭に2点くらい出したりしてるの」
「へえ、そうなんだ。結城さんは、一つの作品に時間をかけるんだね」
「…うん。きっと要領悪いんだよね」
「そうじゃないんじゃない?一つの作品をじっくり、心こめて描いてるんだよ。去年、絵を描いてる結城さん見て、俺、そう思ったし」
「…そう思ったって?」
「心こめて描いてるんだろうなって」
「…」
「あれ?違った?」
「ううん。でも、こんなこと言うと、みんな変に思うだろうなって思って、誰にも言ってないんだ」
「何を?」
「藤堂君も変に思うかも」
「思わないよ。言ってくれていいよ?」
「…」
と、藤堂君がなんだか、優しい口調になってる。
「絵に魂が宿るっていうか、生きてるみたいに思えてくるの」
「魂?」
「あ、変だよね」
「…全然変じゃない。俺もそれ、思ったし」
「藤堂君が?」
「うん。結城さんの絵を見て、桜の木が本当に命を持ってるように見えたよ」
「…」
うわ~~。すごく嬉しいことを言ってくれてる。
「そう言ってもらえると、嬉しい」
「…結城さんがそれだけ、心をこめて描いてるからでしょ?」
「心こめてっていうよりも、描いてるうちに本当に生きてるように思えてきて、命を与えてるっていうよりもね、なんていうのかな」
「うん」
「無心になって描いてると、絵の中の桜の木にこっちが命を吹き込んでもらってるような、そんな感じになるの。だから、粗末に描けなくなるし、すごく大事になってくるんだ」
「…すごいね」
「え?」
「すごいよ」
「何が?」
「何がって、結城さんが…」
「すごくないよ?変わってはいるだろうけど」
「ううん。すごい。だからあんなに結城さんの絵は魅せられるんだ」
「…え?」
「弓道の見学に行って、俺、弓道に魅せられたでしょ?」
「うん」
「その空気感とか、矢を射る時の、緊張感とか。それだけじゃない。矢が生きてるようにびゅって飛んでいく瞬間とか、的に当たった時の感覚とか、そういうの全部、魅了された」
「…」
「その時と同じくらいに、結城さんの絵も、俺、魅了されたんだ」
「わ、私の絵が?そんなに?」
「うん。入学して校門の横の桜にも、ものすごく感動したけど、それ以上の感動だったな」
「…すごい褒め言葉だ、それ」
「え?」
「…」
私は涙が出そうになって、あわてて目をこすった。
「…そっか」
「え?」
「こういうこと、ちゃんと言えばよかったんだよね」
「…え?」
「なんでもない…」
藤堂君はしばらく、下を向いて黙り込んだ。
そして駅に着いた。
「あ、あのさ」
「うん」
「時間、もうないよね?」
「え?」
「…今日はもう、帰るよね?」
「…うん」
「そっか。じゃ、今度でもいいけど」
「?」
「俺、ほら、この前の手打ちパスタ食べ損ねたから、食べに行きたいって思ってさ」
「ああ、あの店?えっと、どこだったかな。けっこう歩くんだよね。私、方向強くないからわからないけど、沼田君なら知ってるから、今度沼田君、誘ってみたら?」
「そうだね…」
あれ?今、一気に声のトーン、下がらなかった?藤堂君。
「ごめん。私あまり役に立てなくて」
「え?いや、いいんだ。今度沼田に場所聞いてみるから」
「うん」
「……あ、美味しかった?」
「うん、冷製パスタ、美味しかったよ。沼田君のお勧めなんだって」
「…そうなんだ」
駅に着いたのに、藤堂君はなかなか改札を通らないでいる。
「もしかして、お腹空いてるとか?」
何か食べに行きたいのかな?そう思って聞いてみた。
「え?ああ、うん。昼、うどんだったし、すげえ腹減ってるかも」
藤堂君はそう言うと、物静かに笑った。
「そうなんだ。じゃあ、えっと」
この辺でも、パスタ屋あるけど、蕎麦のほうが好きなんだよね。蕎麦屋はどこにあるか、わからないな。
「お勧めのお店あるけど、パスタなの。藤堂君は蕎麦のほうが好きだよね?」
「いや、パスタでも、全然」
「そうなの?えっとね。この通りをまっすぐに行って、右に曲がると…」
説明を始めると、藤堂君は、
「お腹空いてる?」
と私に聞いてきた。
「え?」
「おごるから、そこ案内してくれない?」
「え?!」
「俺、方向音痴だし」
「…でも、すぐのところだから、簡単だよ?道」
「……」
藤堂君が黙り込んだ。
「……」
あ、待って。だとしたら、2人でご飯食べられるってこと?ドキドキ~~。それって、ものすごく嬉しいことだったりして。
「はあ…」
え?ため息?なんで?
「ごめん。なんつうか、沼田みたいにいかないよなって思って。真似しようとしても駄目だよね」
「え?」
「…結城さんさ」
「う、うん」
「沼田って話しやすいでしょ?」
「うん」
「柏木ってやつは?」
「柏木君はよくわかんない。からかわれてるだけかもって、そう思う時もあるし」
「からかう?」
「なんか、いつもふざけたこと言ってるし」
「そういうやつは苦手?」
「う、うん」
「…そっか」
藤堂君はしばらく黙り込んだ。
「じゃあ」
藤堂君は話し出そうとしてから、また一回黙り込み、それから私を見て、
「俺は?」
と聞いてきた。
「え?」
俺はって?
「話してて、話にくい?苦手なやつかな」
ドキ~~~。そ、そ、そんなことない。でも、なんて答えたらいいのかな。
「あの、藤堂君は」
わあ。頭真っ白だ。えっと、えっと。なんて答えたらいいのかな。
「今の質問、困ってる?」
「うん」
ハッ!私今、うなずいちゃった?
「ごめん。また、困らせてるね」
「ううん!」
どどど、どうしよう。
「じゃ、俺さ、そのお勧めの店、一人で行くから、ここで」
「え?」
「じゃあね」
「でも場所…」
「まっすぐに行って、右でしょ?」
「うん」
「大丈夫、俺、方向強いから」
え?
「でも、さっき方向音痴って」
「ああ、そう言えばついてきてくれるかなって思って、そう言っただけだから。ごめんね、嘘ついて」
え?
「じゃあ」
「ま、待って」
「…え?」
私は思わず、藤堂君を引き留めた。引き留めて何が言いたいのかもわからないのに、思わず引き留めてしまった。