第12話 そのままで
「す、すみません」
私が青い顔をして、聖先輩のほうに行くと、沼田君も顔を青ざめ、
「すみません、先輩」
と謝りに駆け寄った。
「ああ、いい、いい。今日天気いいし、すぐに乾くって」
でも、右側の肩も、膝のあたりも、思い切りぬれちゃってるよ?
「すみません、タオル、タオル」
私があわてていると、
「いいって。ほんと、大丈夫だから」
と、聖先輩が笑ってそう言った。
うわわ。笑った。すごく爽やかに…。
「それより、君のほうがタオル、必要なんじゃないの?」
「え?」
「ほっぺた…」
そう言われ、頬を触ると、涙でぬれていた。あ、あれ?いつの間に私、泣いてたんだろう。興奮してたからか、気が付かなかった。
私の顔を沼田君も覗き込み、ちょっと眉をしかめた。
「…大丈夫?」
聖先輩が聞いてきた。
「は、はい」
うわ。話しかけてるよ、私に…。ああ、でも、隣のテーブルだったんだし、さっきの私たちの会話、思い切り聞いてたよね。恥ずかしい。
「先輩はどう思いますか?」
いきなり沼田君が、聖先輩にそう質問した。うわ。ちょっと。何を聞きだすの?
「何が?」
聖先輩もきょとんとして、沼田君の顔を見た。
「今の話、聞こえてましたよね。どう思いますか?変わろうとしても変わらないだなんて、そんなの言い訳でしかないですよね」
「…自分に自信ないの?」
聖先輩が私に聞いてきた。
「は、はい」
私は小さくうなづいた。
「自分がもしかして、嫌いとか?」
私は黙ってうなづいた。
「変わりたいの?」
私はまた、うなづいた。
「でも、変われなくって」
「そんなのなんの努力もしてないじゃんか。努力してから言ったら?」
沼田君がぼそっとそう言った。
「…」
う…。今の言葉でまた、涙が出そうになった。
「ふうん…」
聖先輩は私のほうにちょこっとだけ近づいた。そして、少し声を潜め、
「似てるね、君。俺の彼女に」
と優しく言った。
「え?わ、私のどこが?聖先輩の彼女のほうが、小さくて、かわいくって、女の子らしくって羨ましいくらいで」
と、あわててそう言うと、
「…だから、そういうところ?」
と、聖先輩が優しく言った。
「え?」
「名前は?」
「私ですか?結城です」
「結城さん?俺の彼女もきっと、結城さん見て、羨ましいって言うよ」
「な、な、なんで?」
「そうだな。髪がストレートで綺麗で羨ましいとか、背が高くてすらっとしてて、羨ましいとか?」
「え?」
「背が小さいのも、くせっ毛も、コンプレックスなんだってさ」
「…かわいいのに?」
「でしょ?そこがかわいいのにね」
「…」
うわ。今、思い切りのろけた?ちょっと顔、にやついたし。
「だけど、いつも自信が持てないらしくって、俺の彼女だっていう自覚もなかなか持てないらしい」
「え?」
そうなの?
「そんで、結城さんみたいに、かなり後ろ向き…」
「聖先輩の彼女が?」
その話を黙って聞いてた沼田君が、口をはさんだ。
「そ。よく落ち込んでるしね」
「そういうところ、なおしてほしいって思いますよね?」
沼田君が聞いた。
「え?俺が?」
「はい」
「別に?」
「え?なんでですか?もっと前向きに、明るくなってほしくないですか?」
「…うん」
「え?どうでもいいんですか?」
「いや…。っていうかさ、なんで変えようとするの?変える必要ないでしょ?」
「は?」
沼田君は聖先輩のことを、目を丸くして見た。私も聖先輩が何を言いたいのかわからず、じっと見てしまった。
「俺、コンプレックス持っていようがなんだろうが、それでも、彼女のこと好きだけど?」
「は?」
沼田君は目を点にした。
「かわいいじゃん、そんなところも」
「へ?」
今度は私も目を点にしてしまった。
「結城さんだっけ?結城さんも努力して自分を変える必要なんてないよ」
「え?」
「そのまんまの結城さんを、好きになってくれる人、きっと現れるから。だから、素のままでいたらいいんじゃないの?」
「…」
ボロ。あ、涙がこぼれた。私は慌てて涙をふいた。
「その、結城さんが好きになった人が、もしそのままの結城さんのことを好きになってくれないんなら、結城さんの良さをわかってくれなかった、ってだけだよ。どんな結城さんでも好きだって言ってくれるやつ、きっと現れるからさ」
「…あ、ありがとうございます」
私が涙をふきながらそう言うと、聖先輩の横で会話を聞いてた、聖先輩の友達が私に向かって話しかけてきた。
「あのね、こいつ、別に君のこと慰めてるわけじゃなくって、本当にそう思ったことを言ってるだけだからさ」
「え?」
「な?本気でそう思ってるもんな?聖。まじでこいつ、どんな桃子ちゃんでも好きなんだよ。こっちがまいるくらいにもう、メロメロで」
「うっさいよ、基樹!そこまでばらすな!」
「なんだよ。本当のことじゃん。なあ?葉一」
「そうだな。俺もそういえば、桃子ちゃんにもっと努力したらみたいなこと言ったら、聖に怒られたっけ」
「え?そうなんですか?」
沼田君が聞いた。
「そう。こいつ、桃子ちゃんは今のままでいいんだよ。そのまんまの桃子ちゃんが好きなんだからみたいなことを、言ってた気がする」
「葉一。だから、そういうことばらすなって」
聖先輩の顔が赤い。今、照れてるんだ。
「ま、そういうことだから。結城さんだっけ?大丈夫だよ。そんなに落ち込まなくてもさ」
聖先輩は、頭をぼりって掻いてそう言った。
「はい」
「…君、あれだよね」
いきなり聖先輩が私をじっと見て、
「似てるよね。うん、似てる」
と言い出した。
彼女に?
「耳が長く垂れてて、毛先が長い、すうってした犬、何て名前だっけ?葉一知ってる?」
「知らない。それより、人つかまえて、犬に似てるって言うの、やめたら?確か桃子ちゃんは、ポメラニアンだっけ?」
「え?いいじゃん、かわいいんだから。それよりあの犬、なんていったっけ?足もスラって長くて」
「いいから、食い終わったんだろ?聖、その濡れたシャツ乾かしに、ちょっくら外でひなたぼっこしようぜ」
そう言うと、聖先輩の友達は食堂を出て行った。そのあとを聖先輩も続きながら、
「なんて名前だっけな~~?あの犬」
とぶつぶつ言いながら行ってしまった。
「………」
私たちは、また席に座った。そしてしばらく誰も、話をしなかった。
「なんか、いいね、やっぱり」
ぼそってそう言ったのは、美枝ぽんだ。
「何が?」
麻衣が聞いた。
「聖先輩だよ。私、そばにいったら、聖先輩のアラとか見えちゃって、がっかりするだろうなって思ってたんだ。でも、違った面が見えて、もっと好きになったかも」
そう美枝ぽんが言うと、麻衣がうんうんって目を輝かせてうなづき、沼田君は顔を青ざめさせた。
「そのままでいいだって。先輩、いいこと言うな~。ね?穂乃ぴょん」
美枝ぽんがそう言った。
「うん」
嬉しかった。だけど、そのまんまの私って、どんな私なのかな。この後ろ向きで、思い切り根暗な私でいいってこと?
藤堂君はそんな私を好きになってくれるのだろうか。私の良さをわかってくれる人が、いるんだろうか。っていうか、私の良さってなんなんだろう。
そんなことを考えながら、午後の授業をぼ~~ってしながら受けていた。
放課後、美術室に行った。今日は、一回も藤堂君と話さなかった。本当はなんでもいいから、会話を交わしたい。でも、昨日の「迷惑だ」って言葉がひっかかっていて、顔を見ることもつらくなっていた。
「結城さん。どう?絵描けてる?」
柏木君が聞いてきた。
「うん。見学も毎日行けたし、ばっちり」
「そうなんだ。よかったね」
「柏木君は?」
「俺も描く気になってきたよ。ちょっとね、ゴールデンウィーク中に衝撃的なことがあってさ」
「え?どんな?」
「内緒」
「…」
まあ、いいけどね。
「知りたい?」
「別に」
「なんだよ、つまんねえの…」
「…」
また、ちょっとムカってきちゃった。なんなんだ、この人。
「柏木君って、友達だなんて言っていたけど、本当は私のこと」
「え?」
柏木君の顔が、いきなり変わった。さっきまでのほほんとしていたのに、一気に真剣な顔つきになった。
「私のこと、からかいたいだけなんじゃないの?」
そう私が言葉を続けたら、柏木君ははあ?って顔をしてから、すぐにいつもののほほんとした顔に戻った。
「ばれた?でも、からかっても、乗ってこないからつまんないかもな~~」
「…」
私は呆れたって顔を思い切りして、柏木君のことは無視して絵を描くことに集中しようとした。
「聖先輩って、どこがいいの?」
「え?」
もう~~。なんでいつも、集中しようとしてるのに、邪魔をするんだろう。
「どこって、かっこいいし」
「顔?」
「だけじゃないかな。今日も違う面を見て、また好きになったかも」
「ああ、食堂で?なんか聖先輩と話してたね」
「見てたの?」
「ちらっとね。食後のアイスを食べに行った時、なんだかみんなに注目浴びてたじゃん?」
「私が?」
「うん」
うそ。周りの人たちのことなんて、どんな反応してるかを見る余裕もなかったから、知らなかった。注目浴びちゃってたの?ってことは、藤堂君も見てた?
「聖先輩に水ひっかけたの?先輩、女子のこと嫌ってるし、怒られなかった?」
「全然」
「そうなんだ」
「そういえば、柏木君、知ってるかな」
「何を?」
「耳が長く垂れてて、毛先が長くで、足がすらっと長い犬」
「アフガン・ハウンド?それが何?飼うの?」
「ううん。聖先輩が私に似てるって」
「え?」
一瞬、柏木君が黙り込んだ。そして、
「似てる。うん、すげえ似てるかも」
と笑いだした。
「そんなに似てるの?」
「聖先輩、すげえ言い当ててるよ~~」
「…」
なんだか、聖先輩に言われるのはいいけど、柏木君に言われると、ムカつく。
「アフガン!俺、これから結城さんのこと、アフガンって呼ぼうかな」
「聞かなければよかった」
「え?」
「どうせ、からかって遊ぶんだから、犬の話なんてしなかったらよかった」
私はそう言うと、席を立ち、美術室を出た。
「おい、どこに行くんだよ」
「気分転換!」
なんだか、まだムカムカしてる。ほんと、柏木君ってなんでああなんだろう。
そのまま、私は中庭のほうに出た。
中庭には綺麗な花が、いっぱい咲いている。いろんな色が混ざり合い、本当に綺麗だった。
「花…か~~」
私は花にたとえたら何かな。いや、もしかして花じゃなくて、葉っぱだったりして?
聖先輩、花にたとえたら私はなんでしょうか。って聞いてみたいな。犬にたとえられるより嬉しいよ。いや、葉っぱか、幹に似てるって言われたら、落ち込むから聞かないほうがいいか。
彼女はポメラニアン?ああ、やっぱり。めちゃくちゃ可愛い犬じゃないの。それなのに、私はアフガンなんたらって、そんな犬?
「は~~~~~」
やっぱり、ため息が出る。
藤堂君が弓道してる姿、見たいな。でも、もう見学に行くのもつらいかも。弓道部の人に会うのすら、気が引ける。
はあ。こういうところがきっと、沼田君の言う、後ろ向きな性格なんだよね。でもさ、しょうがないじゃない。こんな性格に生まれついちゃってるんだから。
友達になるために、頑張ろうって作戦練ってたのは、ついこの前のことなのにね。沼田君も協力してくれるって言ってたのに、やっぱり、悪かったかな。
「は~~~」
「絵、描けないの?」
ドキ!この声?
私は後ろを振り返った。あ、やっぱり、藤堂君!
「藤堂君、部活は?」
「これから行くよ」
だけど、なんでここにいるの?道場に行く通り道でもないし。
「用事があったの?中庭に来るなんて、そうそうないよね?」
あ、今の、また変な言い方したかな。
「ああ。うん。職員室から見えるじゃん、ここって」
「え?」
「化学の先生に呼ばれてたんだ。レポートの駄目だしくらってた。書き直せってさ。で、職員室の窓から結城さんが見えたから」
「…」
「なんだか、落ち込んでいる感じだったから、絵、描けないのかなって思って」
私のことを気にかけてくれたの?
ドキン。うわ。いきなりまた鼓動が…!
「見学しても、駄目だった?」
「え?」
「あ、もしかして俺だからかな。モデル…」
「え?!」
「川野辺のほうが描きやすかった?だったらまた、ビデオ撮りにきても」
「違う。そういうことじゃなくって」
「…」
「それに、もう見学には行かないよ」
「…なんで?いいよ、いつでも来てくれて。部長もいいって言ってたじゃん」
「…でも、練習の邪魔になるでしょ?」
「ならないよ」
「ううん。それに、それに…」
ドキン。こんなこと言ってもいい?でも…。
「藤堂君、迷惑でしょ?私が見学しに行ったら」
「…俺?」
「うん」
「ううん、そんなことはないけど…。あ、そうだ。思い出した。今日全然話もできなかったから、言えなかったけど、結城さん、カメラのケース忘れていったでしょ?あれ、ちゃんととってあるから、今度取りに来てよ」
「…」
「結城さん?」
「今日、部活終わったら取りに行く」
「うん。待ってるよ」
え?
藤堂君はそのまま、静かに歩いて行ってしまった。
今、待ってるって言った?もしかして、藤堂君、私が忘れ物取りに行くまで、待ってるってこと?
私は部員がみんないなくなった頃、そっと取りに行こうと思ってたのにな。
「は~~」
そんなことを思ってる自分も、なんて暗いんだって思ってしまい、またため息が出た。
こんな私でもいいのかな。聖先輩。
綺麗な花を見ながら、私は聖先輩の「変える必要なんてない」って言葉を思い出していた。