客を見たら泥棒と思え
その客は傘を担いでいた。
少し前に店の前を通り過ぎて行った、あの赤いゴム長靴の男である。
タオルで頬被りをして、『ヒヨットコ』の様な実に奇妙な格好の男である。
男は店内を一周してカップ麺の棚から品物を一つ取って、レジカウンターに持って来る。
静子が接客する。
「いらっしゃいませー」
・・・バーコードをスキャンする。
「二百六十七円です」
すると男は傘付きの生活道具をそっとレジカウンターの下に置き、腰に巻き付けた巾着袋をおもむろに解き始める。
そして袋の中から数十枚の小銭を取り出し、何を思ったか一枚ずつレジカウンターの上に並べ始める。
静子は暫くそれを見ていた。
男は並び終えるとホッとした表情で、フロアーに置いた傘付き生活道具を肩に担ぎ、一礼してキチッと一歩、下がる。
赤いゴム長靴がやたら眩しい。
静子はあまりにも奇妙なこの男の姿と仕草に戸惑いながら、
「 あ、はい。確かに二百七十円有ります。ありがとう御座います。・・・三円のお釣りです」
男は釣り銭を受け取るとカップ麺を片手に、傘付き生活道具を肩に担いでカウンターの隅に置いてある湯沸かしポットの前まで来る。
そして肩に担いだ生活道具をコピー機の上にキチッと置き、カップ麺の蓋を開く。
シミジミとお湯を注ぎ、注ぎ終わると備え付けのテープカッターからセロテープを引き切り、麺の蓋をキチっとで塞いで、湯沸かしポットに一礼する。
そしてカップ麺と傘付き生活道具を担いで店を出て行く。
しかし・・・。
暫くするとまたあの男が店に戻って来た。
静子は忘れ物かと思い男を見る。
すると男は指で、箸の仕草をする。
静子は焦って、
「あらッ、ごめんなさい! お箸ですよね。すいません。・・・はい」
静子は男に箸を渡す。
男は右手をキチッと開き、拝むような仕草で丁寧に一礼、店を出て行く。
最後まで一言も声を出さない。
ダストボックスの上で『雉トラ(招き猫)』が傘の男を見ている。
静子は心の中で、
「可哀想に・・・あの人。喋れないんだわ」
と思い、その哀れな男?の背中を見送る。
暫くして、品出しを終えた石田さんがレジカウンターに戻って来る。
静子はカウンターの上を雑巾で拭きながら石田さんに、
「・・・いろんなお客さんが来るわね。お店ってとても勉強に成るわ」
それを聞いて石田さんは、
「え?・・・あ~あ、今の男っスか? あの男の名前はステキチって云うんス。あんなの序の口ですよ」
静子は驚いて、
「ステキチさん? 石田さん、名前知ってるの?」
「ハイー」
静子は淋しそうに、
「ステキチさん、聾唖者なんでしよう。可哀想・・・」
「ロウアシャってなんスか?」
「ああ、障害者の事よ。喋れない人の事を云うの」
石田さんは驚いて、
「ダレが?? ステキチが? アイツ、腹が減るから声を出さないだけっスよ」
静子は更に驚いて、
「ええッ!」
すると石田さんは呆れた様に話し始めた。
「店長、あのステ功はねえ。この前も小銭でカップ麺のビッグサイズを買ってったンすよ。そン時は全部一円玉っスよ。ビニール袋に入った一円玉をアタシに見せてさ。信じられますか? 客が後ろに並んでるのにあんな調子でパッチンパッチンやられてみなさいよ。たまったもんじゃないっス。完全に営業妨害っスからね。シッたらアイツ、袋に百円入っているから数えなくて良いなンて、手でこんな事するんスよ」
石田さんは手と指でステキチの真似をする。
そして、
「そんな事言っても一応念のため数えるジャン。ビニールの袋切ってコインカウンターで数えましたッ! シッたら、何か一円多いジャン。後ろの客はキレそうだし、アタシだって頭に来てるから、ソイツを睨み付けて一円玉をビシッと叩き返してやったんス。シッたら、またアイツ、手でこんな事するんスよ」
石田さんはまた、静子にステキチの仕草を真似して見せる。
「良く見たら、コインカウンターの中の一円玉が一枚曲がってんジャン。アイツ偉そうに腕組をしてアタシの顔を見てニヤと笑ったんスよ。もう、ムカツイタからカップ麺だけ渡して、箸なんか付けてやンなかったんス。シッたらアイツ、『ハシッ!』ってはっきり喋ったジャン。なんだ、テメー喋れんジャンかよ。ザケンジャネーヨよ!って、もうアン時はキレるのを止めるのがヤットだったっス」
静子は石田さんの独特な喋り方と表現力に思わず噴出してしまう。
「ダハハハハ」
石田さんは笑う静子を見て、
「笑い事じゃないっスよ」
「だって面白いんだもの! ハハハハ」
静子は笑いが止まらない。
石田さんは静子を睨んだ。
静子は堪えながら、
「ごめんなさい。あ~あ、面白い。・・・じゃ、さっき新聞を買いに来た下駄のお客さんは?」
「あ~あ、あのお天気おじさんスか? あのオヤジ『タカちゃん』って云うんス」
「タカちゃん?」
「そうっス。あのオヤジきのう三ノ輪の魚屋で見かけたんスよ。シッたら魚屋のオヤジとまた天気の話してたんス。山は何とかカントカってさ。あのオヤジ、一年中、山の天気の事しか話さないんスよ。頭ん中がイッちゃッてんじゃないスか」
静子が冷静に、
「ソレってタカちゃんは、よっぽど山が好きなんじゃないの?」
「そりゃあないっスよ~。タカん家、下駄屋っスよ。それにアイツにリュックが似合うと思いますか? 絶対に似合わないっス!」
静子は石田さんの歯に衣を着せぬ口調に妙な近親間が沸いて来る。
「石ちゃんて、面白いわね」
石田さんは静子の突然の気安い口調に、
「イシちゃん? アタシあんなデブじゃないっシ」
「あッ、ごめん、ごめん。じゃ、イッちゃん」
「何でも良いスよ、名前なンて。とにかく、ここの店の客を甘く見たらだめっスよ。『客が来たら泥棒と思え』っスからね」
静子はこのハネッカエリな娘が徐々に愛おしく思えて来た。
静子は石田さんの横顔を見ながら、
「へえー・・・。あッ! そうだ。さっきオーナーが言ってたんだけど、イッちゃんてお母さん居ないんですって?」
石田さんは突然の静子の言葉に黙り込んでしまう。
「あ、ごめんなさい。変な事聞いちゃった? で、お母さんは亡くなったの?」
石田さんはボソッと一言、
「居ますよ」
「え?」
静子は石田さんを見詰める。
「居るけど親じゃないっス」
「親じゃない? どう云う事?」
「良いっスよ。そんな事・・・」
静子は石田さんの淋しそうな横顔を見て話題を変える。
「あ、ところでイッちゃん。毎朝、売り場でフラフラしているサンダル履きのお客さん・・・?」
「木村っスか?」
「そう! あのお客さん木村サンて云うの? その木村サンて云う方」
石田さんは呆れた様に、
「店長、アイツに『サン』とか『カタ』なんて似合わないスよ。もう、最悪なンだから。店ン中でゴミは散らかすし、ズボンの前のチャックは開いてるし、それに客にタカルんですよ?」
「タカル?」
静子は店内で『タカル』と云う言葉を聞いたのは初めてである。
「アイツ、気の弱そうな客を見付けると、缶コーヒーをタカルんスよ」
「え~えッ!」
「アイツもヤリますからね」
静子は以前、コンビニのパートで働いていたが、『ヤル』とか『タカル』と云う言葉が飛び交う店は初めてである。
「ヤル?」
「万引きっスよ、マ・ン・ビ・キ! 店長、7(ナナ)でバイトしてたんでしょう?」
「えッ? あッ、まあ、そりゃあ・・・」
つづく




