私の頭の中が変わった日
石田さんは面接を終えて売り場に出て行く。
私もその後を追った。
トイレの前を通り過ぎとトイレの小窓から灯りが漏れている。
「あれ? 電気が点けっぱなしじゃないか。ッたくうー・・・」
私はスイッチを切った。
するとトイレの中から気の抜ける様な声する。
「ア~~~・・・」
私は驚いて、
「あッ! すいません」
急いでスイッチを元に戻した。
「・・・な~んだ、使ってるのか」
私は売り場に出て、カウンターの静子に、
「トイレ、誰か使ってるの?」
「トイレ? ・・・あ~あッ! そう言えばアノ人」
静子は売り場の時計を見る。
「・・・ちょっと長いわねえ」
「いつ入ったの」
「三十分位前かな?」
私は驚いて、
「三十分ッ! そりゃあ、長いわ」
「オナカでも壊したんじゃない」
「ウンな~あ・・・。何やってんだろう」
静子は怒って、
「知らないわよ、そんな事」
そこにバックルームから商品を抱えた石田さんが出て来る。
静子の傍に来て、
「店長!トイレって誰か使ってんスか?」
「そうなの。ず~と」
「おかしいっスよ。水、流れっ放しみたい」
「流れっ放し?」
さすがの静子も気持ちが悪くなり、
「ちょっと。アンタ! 見て来てよ」
「『見て来てよ』って言ったって、入ってるんだろ。それは出来ないだろう」
静子は気持ち悪そうに小声で、
「首でも吊ってたらどうするの?」
「それは無い。さっき知らないでトイレの電気消したら変な声がしたから」
「変な声? いいから行って来てよ」
「誰が?」
「誰がってアンタしか居ないじゃないの」
気の進まない私は静子を見て、
「・・・何て言えば良いんだよ」
「そんな事、『丈夫ですか』しかないでしょう」
「ええ?・・・」
すると石田さんが、
「アタシが行って来ましょうか」
そう言われたら私の面子が立たたない。
「いい、僕が行くッ!」
仕方なく私はバックルームのトイレに向かった。
心配そうに見送る静子と石田さん。
トイレの前に立ち尽くす私。
カウンターからジッと見つめる静子と石田さん。
私は心細そうに振り向き二人を見た。
怖い顔をした静子が私に目配せをしている。
私は意を決してドアーを静かにノックする。
「トントン」
すると、あの声が、
「ハ~イ、今出ま~す」
「すいませーん、お客さーん。トイレ借りたい人が待ってるんですけど」
暫く返事が無い。
トイレの水は相変わらず流れっ放しの様である。
私は少し声を張って、
「お客さ~ん! どうかしましたか~。大丈夫ですか~? ・・・?」
するとまた、あの奇妙な情け無い声が。
「は~い。大丈夫で~す。今、出まーす」
「あの~、トイレを借りたい人が・・・」
「今、出ま~す」
石田さんがそっと私の傍に来た。
トイレのドアに耳を近づけ、私を見ながら、
「・・・何やってンでしょうね」
「う~ん・・・」
すると石田さんが『逃げる体勢』でトイレのドアーを思いっ切り叩く。
「ドンドン!」
石田さんが大声で、
「お客さーんッ! 営業妨害ですよー。警察呼びますよー」
「は~い。すいませ~ん。今、出ま~す」
私はシビレを切らし、
「ヨシッ、石田さん。不法占拠だ! 警察を呼べ!」
「ハイッ!」
するとトイレのドアーがそっと開く。
中から髪の毛を濡らしてスッキリとした顔の男が覗いた。
トイレの床は水びたしである。
私と石田さんは男の姿を見て唖然とした。
私は『何か一言』言おうするが、頭の整理がつかない。
しかし何かを言わねば・・・。
そしてこの言葉を選んだ。
「おッ、おいキミ! トイレで何をしていた」
男は何も言わずトイレを後に、店を出て行った。
私は男を追いかけた。
ダストボックスの上で『雉トラ(招き猫)』が私を見ている。
暫くして私は店に戻って来た。
カウンターから静子が心配そうに、
「ど~お、捕まえた?」
「うん?・・・うん・・・」
そこにトイレの掃除を終え、濡れたモップを持った石田さんがカウンター出て来る。
石田さんは私を見て、
「プー(浮浪者)でしょう」
「プ~ウ?・・・うん。まあな」
静子は浮かない顔の私を見て、
「元気がないわね。何かあったの?」
「うん? うん。・・・アイツ・・・うちのトイレを風呂代わりに使ってた」
静子が驚いて、
「フロッ?」
「・・・うん。ついでに洗濯もしてたそうだ」
石田さんは目を丸くして、
「 センタク~~ッ?」
静子は男が便器の中で洗濯する姿を思い描いて、
「洗濯って・・・便器の中で? ・・・そんな~、ウッソ~?」
石田さんが笑いを堪えて、
「信じられな~い。変なヤツがいっぱい来るけど、ウチの店のトイレを風呂代わりに使って、ついでにあの便器の中で洗濯までした客なんて・・・初めてっスよ。この店、また一つ伝説が増えた」
私は初めて目の当たりにした『ホームレス』の実態を二人に解説した。
「いいかな? アレは客じゃないんた。アレはまさに絵に描いた様な人生の放浪者だ。ま~あ、『ボヘミアン』とでも云おうか。・・・これが今の社会の現実なんだよ」
石田さんが、
「ボヘミアン? て何スか」
「うん? ま〜あ、一種のプー太郎だな」
石田さんは納得した様に、
「あ~あ、浮浪者の事ですね」
石田は笑いをこらえ切れず、吹き出しながら事務所に走って行く。
この日から私の頭の中も、変に成って行った。
つづく




