鉢巻を締め直す男
大石は流れる様に客を捌いて行く。
「ありがとう御座いま~す。またお越しくださいませ~」
そこに・・・。客にまぎれて一人の男が入って来る。
垢で汚れたTシャツ。
作業ズボンにゴム草履。
頭には『タオルの鉢巻』をしている。
男は弁当コーナーにまで来ると、チルドケースの前で立ち止まった。
そして商品の一点をジィーと見詰めている。
すると巻いた鉢巻を締め直した。
石田さんはその男を見て静子にそっと耳打ちをする。
「店長! あの男、ヤリますよ」
「え? なに?」
静子が石田さんを見た途端、その男は弁当を一つワシ掴みにして店を飛び出して行く。
石田さんはすかさず、
「あッ、ヤッタ! お客サ~ンッ」
その言葉を発するや否や、もの凄いスピードで男を追いかけて行く。
店内は一瞬、時間が止まる。
大石も呆気に取られ、
「どうしました?」
静子は気が動転して、
「マ、マンビキ? え~~?」
大石はこの洗礼に驚いて、
「万引き?・・・ですか?」
静子は私を見て、
「ちょっとアンタ! 石田さんの所に行ってあげて。早くッ!」
私はまだその場の空気が読めない。
「ありがとう御座いま~す。またお越し下さいませ~」
と客を見送りニッコリと静子を見た。
「うん? どうしたの?」
「どうしたジャないわよ。早く石田さんの所へ行ってあげてッ!」
「イシダ? あれ? 何処に行った?」
静子は呆れた顔で、
「ッたく、アンタって本当に頼りにならないわね。とにかく外に出て見て来なさいよ」
「え?」
私は大石を見て、
「何だろう。大石さん、悪いけどチョット、レジお願いします」
私はズボンのベルトを片手で上げながら店を出た。
静子が大石の顔を見て、
「恥かしいわあ。もうちょっとシッカリしてる人かと思ったのに」
「いや、中々ユニークなオーナーじゃないですか。僕は好きだなあ」
「ええ?」
駐車場の隅で石田さんが鉢巻の男を捕まえている。
男は弁当を一気に頬張ったらしく、石田さんの問いかけに答えられない。
「お客サン、金払いなヨ。皆、金払ってンだからさあ・・・。払ってから喰えよナ」
私は頭を掻きながら駐車場の石田さんの傍に来た。
「どうしたの?」
「万引きっスよ。万引き! ッたく」
私は驚いて、
「えッ! え~えッ?」
そこには両頬にメシを詰め込んで喋れない男が。
私はその場面を見て目を疑った。
一年前の私の実践的社会学研究の場は某国会議員のアルバイト秘書である。
しかし今、私の目の前に繰り広がるドラマの様な、そして逆光に照らされたこの現実は・・・。
声を掛けようにも、あまりに常人からかけ離れたこの浮浪者の姿。
私は男を目の当たりにして昔の愛読書ニーチェ(哲学者)の、『この人を見よ』の一節がアタマの中を過った。
『すべての弱者、病人、出来損ないの者ども、自分自身に苦しむ者、すなわち没落すべき全ての者。これこそ「真の善人」と呼べる者なのである』
まさにこの鉢巻の男こそ食べる為に生きている、あまりにも人間的? いや動物的な『真の善人』なのかも知れない。
私は生まれて初めてのこの経験に、どう対処すべきか戸惑っていた。
すると石田さんが、
「オーナー! 何やッてンすか?」
私はその問いかけに我に返った。
「ナニを? あッ! はい」
石田さんの見ている手前、形だけでも毅然とした態度を取らねばならない。
「お客サン! お金は持って無いんですか」
石田さんが、
「持ってッこないっスよ、こんな男」
私は石田さんのその一言に、北風に吹かれた落ち葉が吹き溜まりに集まって行くような淋しさを感じた。
「・・・それじゃ、仕方が無いな・・・」
石田さんが、
「仕方がない?」
男は弁当の空容器を握り締めている。
私は男の握る空の弁当容器を見て、
「・・・食べちゃったんだ・・・」
と、溜め息を吐いた。
石田さんが、
「警察呼びましょう」
「ケイサツ? ・・・そうだな~」
石田さんはジーンズの尻ポケットからスマホを取り出した。
私が石田さんを見て、
「あッ、チョット」
と制止した。
石田さんは驚いて、
「え?」
「警察に渡したってお金は持って無いんだから・・・」
「だから?」
「だから・・・金は戻って来ない」
「ダカラ?」
石田さんは私に迫って来た。
「ダカラ、ダカラ、ダカラ」
私の頭の中で『ダカラ』のその言葉がクルクルと回り始めた。
そして結論が出た。
「・・・だから・・・良いよ」
石田さんは驚いて、
「え~えッ! だめですよ。万引きは犯罪っスよ?」
石田さんの言っている事は正しい。
私も石田さんも『見てしまった』。
私は昔、先生(法務副大臣・日弁連副会長)から車の中で『強烈な法律の説教』をされた事を思い出した。
「キミ、法律は誰が作ったの?」
「ダレ? ですか。モンテスキュー? あッ、いえ、分かりません・・・」
「キミはソレで早稲田を出てるのか?」
「ハ?」
「法律を作ったのは社会だろう」
「え?」
「人が二人寄ると社会が出来る。社会の中で『決め事』は出来る。その決め事が罰則で有り、秩序、法律に成る。で、ここに居るのはキミとワタシ。では法律は誰が作るの!」
「それは・・・あッ! 先生です」
「そうッ!」
しかし、私がそれを石田さんに説いても解るはずもない。
私は石田さんに出来るだけ分かりやすく、こんな説明をした。
「そうだけど・・・。警察に渡したって、こう云う人は直ぐ出て来ちゃうんだ。同じ事なんだよ」
「同じ事って?」
石田さんは問い詰めて来た。
私は石田さんの顔を見詰めて、
「キミには分らないだろうなあ」
「分からないっスよ。そんな事。で放してやるンすか?」
「うん?・・・うん」
「ウン? そンなあ~、だめっスよお。癖になります! どうせ他の店でもやってンだから」
「クセ? うん・・・でも・・・いいよ。放してやりなさい」
「え~ッ! レジの金が合わなくなりますよ」
男はようやく口の中の物を飲み込んで、垢まみれのシャツの腕で鼻汁を拭いている。
私はそれを見て、
「・・・僕が出すよ」
「え~え! 良いんスか?」
「だって、こう云う人は食べなかったら死んじゃうじゃないか。ヒトを一人助けたと思ば何て事ないよ」
石田さんは少し悩んで妙な納得をする。
「・・・まあ、そうですけど」
石田さんはため息を吐いて残念そうに、
「じゃ、放してやりますか。チッ、オマエ本当に運が良いな。他の店だったらこうはいかないぞ。この教授に感謝するンだな」
私は久々に自分を教授と呼ばれた事に驚いて、
「キョウジュ?」
「店長が言ってましたよ。『プー太郎大学の教授』だって」
「僕の事をそんな風に言ったか」
「はい」
石田さんは捕まえていた男の薄汚い作業ズボンのベルトから手を放す。
男は逃げる時に脱げてしまったのか、片方だけのゴム草履を履いてトボトボと去って行く。
その後ろ姿を見て石田さんが、
「アイツ、また来ますよ」
「来ないよ」
「キ・マ・スッ! この店で甘い汁を吸ったンだから」
「甘い汁かあ。ハハハハ。来たら廃棄の弁当でもくれてやろう」
石田さんは驚いて、
「え~ッ! だめっスよ~、そんな事したら。ウチの店、プー太郎だらけに成っちゃいますよ?」
私は石田さんを見て、
「プー太郎だらけ? でも、あの廃棄の弁当を毎日捨てるよりは、バチが当たらないだろう」
私と石田さんは店に帰って行く。
石田さんが、
「やっぱ、オーナーって変ってますね」
「変ってる? そうかな。変った店に変った客、もひとつオマケに変ったオーナーか。ハハハハ」
石田さんは私をシゲシゲと見て、
「オーナーって本物の教授ですか?」
「うん? あ、石田さん、この事、店長には絶対内緒だからね。これが知れたら僕は店をクビにされちゃうから」
「え~えッ!・・・言っちゃおうかな」
「言ったら時給下げるからな」
石田さんは驚いて、
「ウソ、ウソですよ。口が裂けても言いません」
店の入り口。
ダストボックスの上で『雉トラ(招き猫)』が二人を見ている
店内は一日の中で一番忙しい時間が過ぎている。
静かに成った店に私と石田さんが戻って来た。
静子が二人を見て、
「ご苦労さま。どうだった?」
「おお、石田さんが見事に捕まえてくれた」
静子は石田さんを見て、
「さすがイッちゃんね。で、お金は払ってくれたの?」
「そりゃあ。あッ、あの弁当って何だったけ?」
私は石田さんを見る。
「ええ?」
「あッ、いや。あの人は何食べてたの?」
石田さんは腹立たしく、
「デラックス幕の内! 六四六円」
「お~お、そう。そうだったね」
私はポケットから小銭入れを取り出し、
「ハイ、七百円ナリと。店長、これ打っといて。おツリはいらないから」
何か納得ゆかない静子の表情。
私は売り場を見回して、
「あれ? 大石さんは」
「帰ったわよ」
「なんだ、ゆっくり話しでもしたかったのに。しかし、コンビニって忙しいね。シーさん、よくナナ(7)なんかで三年間もバイトやってたね」
石田さんは、私がシーさんと店長を呼んだ事に、
「シーさん? シーさんって誰っスか」
「シーサン? ああ、店長のナマエ」
「ええ! 店長、シーさんて云うんスか?」
「そう。静子だからシーさん。でも石田さんは店長って呼んで下さいね」
「えッ? そりゃもちろんっスよ」
つづく




