理を識る魔法士
アイザックは無能だった。
公爵家の長男として生誕した彼は、だが何の能力も持たない凡人だったのだ。
他の兄弟姉妹は有能で知性は元より、魔法もまた卓越した才能を有していた。
「…………」
家からも社会からも爪弾きにされた彼。
否定され、拒絶された生活を送る彼は、自身人生を無駄だと評していた。
「…………」
領内から少し離れた丘の上。そこに屹立した巨大なリンゴの木。
領主のグレゴリオ公爵がその巨樹を管理していた。
辛うじて息子という立場にある彼に、そこへの立ち入りは許可されたものの。
柵にもたれてその木を眺めることしか出来ない。
「何してるんだろう……」
知力も、学力も、剣術や魔法の才能もない自身。
ただ茫然と、彼はその木を見つめていた。
「お前は良いよなあ。大事にされてさ」
龍脈の上に大成したため、リンゴからとれる栄養素や魔素は計り知れず。
才ある者が口にすれば更なる力を得ると言われる。
「…………」
黙ってまた木を見つめた。
風が靡き、枝がさわさわと揺れる。
その背景では雲が空を横切っていた。
ボーっとしていると、不意に気づく。
リンゴが枝から零れ落ち、地面に向かって落ちていく様を。
そして風に流されてアイザックの方へところころと転がっていくのを。
「……」
足元まで来たそれを、管理者に見つかる前に拾って服の袖で拭って口に含んだ。
貴族としてはあるまじき行為だが、四の五を言ってはいられない。
口にしたそのリンゴ——あまりに甘く、とろりとしていた。
口の中で溶けるようにシャリシャリと噛むごとに甘味が増す。
「こんなうまいもの……」
無性にいら立ちを抱くアイザック。
途端に彼は閃いた。
「あ」
地面に落ちて行ったリンゴを。
「力……」
今まで何の疑問も抱かなかった。
高いところから落ちるという事象。
当たり前の事で考えもしなかったそれを、彼は不意に疑問視した。
――この世界の魔法の要素は四つ。
火、風、土、水。
それが魔法を構成する最も偉大な要素である。
だがアイザックの思い描く魔法は違う。
「落ちる力……力?」
芯のみとなったリンゴを、彼は片隅にポイッと投げた。
放物線を描き、それは地面にポトリと落ちる。
「投げる力、曲がる力……」
ブツブツと呟きながら、彼は立ち上がった。
管理者たちに気づかれないようコソコソと木に近づき、その根元に辿り着く。
「もう一つくれないか?」
そう尋ねると、それに応えるようにリンゴが一つまた落ちて来た。
「落下……」
彼はリンゴを口にした、かぶりついた。
ものの数秒で完食する。
「力……力だ」
考える。
魔法には身体強化という、獣人が使う魔法がある。
この国では異端として扱われる魔法ではあるが、しかし、この『力』という言葉にはその魔法に似た性質を覚えた。
「身体強化で身体を強固にすることができるなら、地面や草木だって」
そう考え、足元の雑草に手を当てる。
魔力を使用し、雑草に流し込む。
途端に、鋭利な刃物のように鋭くなったそれ。
「……」
先ほどの落ちる力を想像し、魔力を集めてみる。
ひらひらと落ちてくる枝葉に向けて放つと、一挙にそれが地面へと接近してペチッと叩きつけられた。
「使える、これなら使える」
魔力そのものを利用した、『力』や『物質』への干渉。
四大元素とはまるで違う方向性。
彼の胸中は今。
歓喜と好奇心に満たされていた。
「試行が必要だ」
彼は森の方へと飛び出していった。
——重力をはじめ、浮力、水力、圧力、張力、流体力……。
魔力により操作できる力を、彼は一心不乱に探し出し。
そして。
「ははっ」
三年がたった。
書物を漁り、外出にて検証する毎日。
試行錯誤の末に、彼は自身の魔法をこう名付けた。
万力魔法。
と。
「おい、クソ兄貴」
書籍を山積みに両手で運んでいた彼は後ろから呼び止められた。
口の悪い呼び方で、だが彼は気にすることもなく振り返る。
「ファミアン」
「気安く名を呼ぶな。気色悪い」
顔を歪めて彼を見る次男のファミアン。
「陰気臭いんだよ、お前」
指を差し、ファミアンは彼を睨みつけた。
「それに気味悪いんだよ。毎日毎日意味わかんねえことしやがって」
「力学のことか?」
「リキガクだかラクガキだが知らねえけどな。気に入らねえんだよ」
魔力を動かし、掌に火炎を作り出すファミアン。
「焼き殺してやる」
殺意を剥き出しにして外へと促す彼に。
アイザックは本を山と抱えたまま外に出た。
「決闘だ」
訓練場に出て、ファミアンはそう告げた。
決闘。
貴族同士で由緒正しく行われる聖なる闘い。
互いの魔力で生成する誓約によって、要求内容は絶対順守しなければならない。
「俺が勝ったら、死ね」
「……重い……」
本を広間の隅に置いて、アイザックはファミアンと向き合った。
騒ぎを聞きつけて、使用人や兄弟姉妹たちが集まってきた。
その中に両親もいた。
全員が口を閉じ、その成り行きを静観している。
「面倒なんだけどなあ」
つまらなそうに、アイザックはそう口にした。
それに青筋を立てるファミアン。
二人は互いに魔力に誓約を掛けると。
「父上ッ! 開始に合図をッ!」
アイザックの要求を聞くことなく合図を促すファミアン。
そしてそれに頷くグレゴリオ公爵……。
杖を取り出し、魔法を唱えた。
先から小さな火がともり、空へと飛んだ。
ちょうど両者の間の位置へと。
そして。
ボンッと音を立てて破裂すると。
「くたばれクソがッ!」
先手必勝とばかりにファミアンが火魔法を放った。
アイザックの身体を軽々と呑み込むほどの巨大な火炎。
呑み込まれれば、全身火傷なんて比較にならない大けがになる。
下手をすれば死ぬ。
誰も止めようとしない。
「……」
アイザックは呆れながらも、それをじっと観察した。
そして。
「圧縮」
アイザックに迫る火炎。
それが彼による魔力によって、一点に集まって押しつぶされていく。
「んなっ!?」
声を上げるファミアン。
周囲の人々も何事かと目を開いた。
「うん……汚い魔力だ」
圧縮された火の魔力。
それがアイザックの手の中にあった。
「て、てめえッ、何しやがったッ!」
吠えるファミアン。
対してアイザックは平静だった。
「何って、魔法を圧縮しただけだ」
そう言って、直径一センチほどになった火の魔力をフッとファミアンに向けて吹きかけた。
ふわふわと飛んでいくそれ。
「な、な」
「『解放』」
途端に、圧縮されていた火魔法が一気に膨張した。
目の前で輝きを放つそれを見つめて、ファミアンは目を瞑る。
轟音と共に大爆発を起こす訓練場。
爆風と衝撃が周囲を満たし、もうもうと煙を上げた。
全員が驚く中で、アイザックだけは平然としている。
煙が晴れると、薄い膜の壁に覆われたファミアンがいた。尻餅をついて、口をパクパクさせていた。
「空気を圧力で固定し、空力を応用して衝撃を外側へと逃がしたんだ。真正面からだと爆発の衝撃を受け止められないからな」
薄い膜が消えると、ファミアンの肌を熱波が撫でた。
「僕は戻るよ。要求は、僕の邪魔はしないことだ」
そう言って、アイザックは本を回収して自室へと向かった。
ファミアンに駆け寄る家族と使用人たち。
「力学だけじゃなくて、化学も学ばないとなあ」
魔素に魔力を与えることで四大魔法を発動させることができる。
その魔法によって引き起こされる火事や暴風の副産物は、魔法を解いても影響を残す。
魔法と自然現象には大きな隔たりがあるのだ。
「可燃性ガスや液体、人体に影響を及ぼす鉱石に食物……まだまだ学ぶべきことは多い」
自室に入ると、壁一面に置かれた本棚と書籍、大きなテーブルの上には実験用具が所狭しと置かれていた。
様々な街から取り寄せた本を机に置いて、アイザックは楽しげに笑った。
「楽しみだなあ」
力の源――【星】そのものの解明を夢見て。
彼は窓から宙を見上げた。