第2話 警察官たるもの
ここは警視庁特務課・幻想人対策班のオフィス。日々に凶悪さを増してゆく幻想人たちを速やかに鎮圧、そして市民の安全を死守するために新設された当係は一つの最前線だ。
だが、今はちょうどお昼休み。
普段は殺気立ちながら事件を追う刑事たちも食堂や喫煙室に出払い、オフィス内は静けさに包まれていた。
唯一響くのは、淡々とキーボードを打つ音だけ。
「あーもう! 書いても、書いても始末書が全然終わんないッ!」
不満をぶちまけながら華怜は、目の前に映写されたホロスクリーンと睨み合っていた。
頭を捻り、それっぽい一文を書き上げても、PC内蔵のアシストAIが細かな文法にケチを付けてくる。
「うぐっ……この書き方でもダメなの⁉」
思えば自分は勉強の類が苦手であった。警察学校を主席で卒業できたのだって、座学よりも実技。その中でも近年新たな必修科目として加わった〈ウルフパック〉の操縦テストで、前代未聞のハイスコアを叩き出せたことが大きい。
「はぁ……もっと勉強もしておくべきだったのかなぁ……」
そもそも、どうして華怜に始末書の作成が命じられたのか? その理由も極めてシンプルだ。
昨夜、幻想人「ピーターパン」に瀕死の重傷を負わせてしまった件。
現行の司法に、幻想人に対する暴力を咎めるような記述はない。やむを得ぬ場合の殺害だって認められている。
だが、それにしたって警棒で頭蓋と顎を叩き割り、馬乗りになってまで殴打するのは明らかな過剰だったと判断されてしまったのだった。
「……」
華怜の鼻先には未だ、血の匂いがこびり付いている。
赤黒く汚れてしまったスーツは既に処分したし、手だって入念に洗ったはずだ。それでも幻想人特有の甘い香りが鼻腔を抜けようとしない。
きっとこれはフラッシュバックのような症状なのだろう。過去に焼き付けられた苛烈な経験故に、たびたび鼻先へあの甘香がふわりと蘇るのだ。
華怜は鼻先を強く擦った。この嗅覚は自分の武器の一つなのだから、鈍らせてはならないと内心で言い聞かせる。
すると、今度はほろ苦い香りが華怜の鼻先をくすぐった。
スンスンと鼻を鳴らし、匂いの元を辿ってみれば、ちょうど一人の強面刑事がオフィスに戻ってきたところであった。
「この香りは備え付けのインスタントじゃない……芳醇な豆の苦みと、仄かなミルクの甘味。さては、駅前に出来たばかりのオシャレ喫茶に行ってきましたね?」
「おぉ、よく分かったじゃないか」
ズバリ言い当てられた強面刑事は困惑するも、すぐにクシャッと笑みを浮かべて見せた。
「その嗅覚があれば、いつでも鑑識課の即戦力になれるんじゃないか?」
そこで華怜は疑問を抱く。なぜ、鼻が良ければ即戦力なのかと。
そして自分の中で一つの答えへと辿り着き────
「それって警察犬としてって意味じゃありません⁉ 辰巳警部⁉」
強面刑事基い、辰巳鋼一郎警部は、イタズラがバレた子供のように肩をすくめてみせた。
昨晩は〈ウルフパック〉に乗車するためのフルフェイスメットを被っていたせいで分かり辛かったが、時代錯誤なパンチパーマも相変わらずだ。そこに生粋の悪人ヅラが加わるのだから、「刑事」というより「ヤの付く自営業の人」と紹介された方が違和感もない。
だが、そんな取っ付きにくい印象の彼が、外見に反しお茶目な性格をしていることも、華怜は知っている。
現に今だって、しれっと華怜のホロスクリーンを覗き込んで来るのだから。
「すまん、すまん。それで始末書の方の進みはどうだ?」
「……それ、始末書を書くように命じた張本人が聞くことじゃないような……」
辰巳は華怜の直属の上司であると同時に、対策班の面々をまとめ上げる班長でもあった。そんな彼のスタンスは
「相手がいかに危険な犯罪者であろうと、苛烈な暴力を加えてならない」という至極真っ当かつ、模範的なもの。昨晩の一件が強く咎められたのだって、「トップの辰巳がそういうスタンスだから」という背景が大いに関係していた。
辰巳は適当な椅子を引っ張り出して、華怜の隣を陣取ると、喫茶店で貰ってきたであろう付け合わせの豆菓子をポリポリと摘み始めた。残りの昼休みをこうやって過ごそうという気満々である。
「お前も食うか? 砂糖もまぶしてあって美味いぞ」
「いりませんよ。ただでさえ始末書に追われて、お昼も取れなかったのに。そんなの食べたら、余計にお腹が空いちゃいます」
「それも、そうか。……ところで、大上。半月前の術科訓練のことは覚えているか?」
「ん? なんです、藪から棒に」
唐突に切り替えられた話の流れに、華怜も自らの脳内を検索する。半月前と言えば、そこでちょっとした一悶着があったのだ。
対策班は職務の性質上、課せられる訓練内容だって過酷なものとなる。専門知識を求められる危険物の解体訓練や、シミュレーターを用いた特定状況の疑似体感訓練。心体の研磨と執行力の体得目的する術科訓練も、それらに含まれるものの一つだ。
そして、警察組織は二〇四〇年になろうとも男性社会の側面が未だ残り続けていた。ウェアボットの著しい普及によって男女の身体的能力差が埋まりつつあっても、やはり一度根付いてしまった悪習はなかなか絶やすことが出来ないのだ。
話を華怜が起こした一悶着に戻すが、事の原因もこの悪習に起因した。要は「過酷な対策班に、軟弱な女の新人は必要ない」と一部の連中が面倒な絡み方をしてきたわけだ。
警察学校を出たばかりの新人がいきなり対策班に引き抜かれる経緯自体がイレギュラー中のイレギュラーであることも手伝って、華怜自身もやっかみの対象になる覚悟はできていた。
だから、その時は無視に徹しようとしたが、相手方もそれを許してくれない。そして双方が徐々にエスカレートし、遂には殴り合いの乱闘事件へと発展したのが事の最終的な顛末であった。
「あっ……そういえば」
華怜は、事態に気づいて止めに入ってくれた辰巳の股間を蹴り上げてしまったところまでを思い出す。
あれはつい勢いで、やってしまったのだ。
「辰巳警部が白目剥いて昏倒したときのことですかね?」
「そこまでは思い出せとは言っていない」
額を軽く小突かれた。
確かに今のは失言だったと反省していると、辰巳がいつになく真剣な顔をした。
「なぁ、大上……俺が思うに、お前は何か異質な才能を秘めている。だって、そうだろ? お前はあの時も、自分に殴りかかってきた連中の一人にカウンターを決めるだけにとどまらず、残りの追撃も軽々といなしてみせたんだから」
辰巳は敢えて「異質な才能」と言葉を濁したが、それは紛れもなく「暴力の才能」であろう。
過剰なまでの攻撃性は、鋭い嗅覚に並ぶ武器であると華怜も自負している。ただ、それは同時に自身が内包する危うさでもあった。
「確かに俺たち警察官は、必要な暴力を振るうことが許されている。ただ、推奨はされているわけじゃないんだ。幾ら相手が幻想人といえど、平和的解決が望めるのならそれが一番だし。ブレーキをなくしてしまえば、それはもう警察官じゃなく、ただの暴力装置と変わらない」
そこまで、話し終えると辰巳は押し黙ってしまった。渋い表情から察するに問題児である自分へ、先輩としてどうアドバイスすれば良いかを悩んでいるのか?
辰巳だって二七歳のまだまだ若手刑事であった。それでも積み上げてきた実績と〈ウルフパック〉の操縦技術が評価され、対策班の班長に抜擢された以上は、多少強引にでも威厳を示さなくてはならないのだろう。
「えっーと! つまり何が言いたいかというとだな! 前の乱闘騒ぎ然り、昨夜の一件然り、無軌道に暴れすぎんなってことだよ。お前は俺なんかよりよほど、良い刑事なれる才能があるんだからさ」
華怜が「肝に銘じます」と頷くと、辰巳も満足したようにはにかんでみせた。
「おう! 素直なのもお前の良いところだな」
そして最後の豆菓子を摘みながら、思い出したかのように次の一言を付け加えた。
「あっ……そう言えば! さっき。表で富田重工のカッちゃんがお前のことを探してたぞ。何でも、お前専用の〈ウルフパック〉がようやく仕上がったらしいとかでさ」
ここまでの読了、そして本作を手に取ってくれた事に感謝を。警視庁特務課・幻想人対策班一同、喜ばしい限りです。
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