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13 約束 その⑨

「そろそろ会場に着くぞ。準備しておけ」


 プロデューサーの声で、紗奈は手鏡を閉じた。

 顔を上げると、車は会場のあるお台場を走っている。

 東京アイドルフェスティバルの出演者パスを、紗奈は首からぶら下げた。


 パスの上部には、東京アイドルフェスティバルのロゴが印刷されており、ロゴの下には〝ARTIST〟と書かれている。さらに、その下には〝チェルナダ〟という所属するグループ名と、〝アイ〟という名前も書かれてあった。


 パスを握る紗奈の手に力がこもる。

 パスを見ると、セカンドチャレンジでの熱い戦いが、胸に蘇ってきた。


 勉強する時間が欲しくて、東京アイドルフェスティバルを欠席することも厭わずに、紗奈はストライキを起こした。

 それが、どれだけ身勝手で、浅はかな行動だったかを、紗奈は反省する。


 東日本Bブロックの決勝ライブや、セカンドチャレンジでは、出演したアイドルは、みんな泣いていた。

 東京アイドルフェスティバルのチケットを手に入れたアイドルは、喜びの涙を流していた。

 チケットを手に入れることのできなかったアイドルは、悲しみの涙を流していた。


 チケットホルダーに入っている、この薄っぺらい紙には、アイドルたちの汗と涙が詰まっている。

 このパスを手に入れられなかったアイドルたちのためにも、無様なステージは見せられない。


 シンボルプロムナード公園内にあるウエストプロムナードエリアで、観客はチケットをリストバンドと交換する。そのリストバンドが、入場チケットの役割を果たしていた。

 車がウエストプロムナードエリアに近づくにつれて、歩道を歩く人々の数が増してゆく。

 ギラギラと照りつける太陽の下を、汗を浮かべて歩く通行人の顔は、みな一様に楽しそうだ。


 どこかのステージで歌うアイドルたちの歌声が、風に乗って、潮騒のように聞こえてくる。アイドルの歌声とともに、ライブを盛り上げるオタクたちのコールも、紗奈のもとへ届いた。


 うなじの毛が、チリチリと逆立つ。

 大勢の人たちの前で、ライブができることを思うと、興奮で胸が震えた。

 ここにいるすべての人たちに、私のライブを観て欲しい。

 ライブを観てもらい、ライブを楽しんでもらえると、自分の存在が肯定されたように感じた。


 容姿や才能、努力だけではない。紗奈がこれまでに選んできた選択や、過去に味わった苦しみ、その他もろもろの自分を形作るすべてのものが、ステージの上で観客に肯定される。

 普通に生きていたら、きっとこんな感情は味わえない。一度でもこの快感を味わうと、もう二度と忘れられなかった。


 横断歩道の手前の路肩に、紗奈たちの乗る車が止まる。

 運転席のプロデューサーは、後部座席の紗奈に指示を飛ばした。


「私は車を駐車場に停めてくるから、アイは先に行け。急がないとライブに間に合わないぞ」

「ステージは、どこにあるんですか?」


 紗奈が尋ねると、プロデューサーは苦虫を噛み潰したような顔になる。


 プロデューサーの運転する車に乗って、みんなで東京アイドルフェスティバルに行く予定だった。プロデューサーやスタッフ、それにナナセも、以前にステージの近くを通ったことがあったので、みんなで行けば迷うはずもなかった。

 だから紗奈は、ステージの場所を調べてこなかったのだが、それがここにきて困った事態を招く。

 せっかくここまで来たのに、あと少しで間に合わなかったのでは、悔やんでも悔やみきれない。


 すると、今まで黙っていた健が、おずおずと口を開いた。


「俺がアイを、フェスティバルステージに連れて行きましょうか?」


 紗奈を迎えに来る前は、健はフェスティバルステージにいた。だから、フェスティバルステージがどこにあるのかを、健は知っていた。


「これを貸してやる」


 プロデューサーは、首にぶら下げていた出演者パスをとると、健に放り投げる。

 健は空中でパスをキャッチした。

 唖然とする健に、プロデューサーは念を押すように、ゆっくりと言い聞かせる。


「今日だけ原田くんを、チェルナダの臨時スタッフとして雇ってやる。原田くんは、体調が回復したアイを、私の代わりにフェスティバルステージに案内した。誰かにアイのことを聞かれたら、それだけ言って、他のことは一切喋るな。わかったな?」


 健はチケットホルダーの紐に頭を通す。不要となったリストバンドは、ボディバッグにしまった。


「わかりました。臨時スタッフってことは、給料は出るんですか?」

「アイのそばにいられるんだから、こっちが金を取りたいぐらいだぜ」


 なにが不満なのか、健は不満そうな目をしている。

 健の態度に、紗奈はイラっとした。


「なにが不満なのよ? 私と一緒にいられるだけでは、給料の代わりにならないとでも言いたいわけ?」


 背後から脅かされたように、健の背筋が伸びる。

 健はプロデューサーを指さした。


「アイには給料ぶんの価値があるさ。でも、俺はさっきからずっと、このデリカシーのないおっさんの隣にいたんだぞ? 慰謝料として、少しぐらい金をくれたって、いいと思わないか?」

「誰がデリカシーのないおっさんだ! ぐだぐだ喋ってないで、さっさと行け!」


 プロデューサーに耳元で怒鳴られて、健は顔をしかめた。たしかにデリカシーはない。


 紗奈と健はシートベルトを外すと、同時に車から飛び出した。

 二人が車から降りるなり、プロデューサーの乗る車は、駐車場を求めて走り去る。

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