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13 約束 その⑦

 紗奈が事務所の会議室で待っていると、プロデューサーがドアを開けて、会議室に入ってきた。プロデューサーの後から、健も会議室に入ってくる。

 プロデューサーは開口一番に、紗奈に謝った。


「原田くんから話は聞かせてもらった。アイが将来のことで、そんなに悩んでいるとは知らなかったんだ。私の考えが浅かった。許してくれ」


 プロデューサーは、今まで見たことがないほどに、憔悴した顔をしている。

 しかし、その言葉は紗奈の心に響かなかった。

 相変わらずプロデューサーは、紗奈と目を合わせようとしない。

 なんだか口先だけで謝られた気がする。


 だから紗奈は心を鬼にして、プロデューサーの胸の内を探った。


「本当に悪いことをしたと思っているんですか? プロデューサーは、お金儲けのことしか考えていないんじゃないですか?」

「たしかにチェルナダが売れれば、事務所の懐は潤うだろう。でも私は、チェルナダの才能を世の中に届けることが、自分の使命だと思っているんだ。決して金儲けのために、アイを利用していたわけじゃない」


 紗奈は内心で舌打ちを打つ。

 素直に自分の過ちを認めれば、すべて丸く収まるのに、どうして余計な見栄を張るのだろう?

 急げば東京アイドルフェスティバルに間に合うかもしれないのに、あなたの見栄に付き合って、もし間に合わなかったら、どうするんだ?


「使命って、なんですか? なにを格好つけてるんですか?」


 紗奈はプロデューサーをせせら笑ったが、プロデューサーはすぐに言い返してこなかった。

 紗奈は首を捻る。プロデューサーの様子がおかしい。

 するとプロデューサーは沈痛な顔で、思いも寄らぬことを語り始めた。


「この業界で何十年も生きていて、たくさんの消えてゆく芸能人を、私は見てきた。ちょっと待ってろ」


 プロデューサーは会議室を駆け足で出て行った。

 紗奈は健と視線を交わす。突然、会議室を出て行ったプロデューサーに、健も戸惑っているようだった。


 すぐにプロデューサーは会議室に戻ってきた。戻ってきたプロデューサーの腕には、段ボール箱が抱えられている。

 プロデューサーは段ボール箱を机の上に置いた。


「彼らが芸能界で生き残れなかったのは、単純に才能がなかったからだ。でも、お前たちは違う。お前たちは奇跡だ。これを見ろ」


 段ボール箱の中を、プロデューサーは指さした。段ボール箱の中には、チェルナダ宛てのファンレターが、いっぱいに詰まっている。

 珍しくプロデューサーが、紗奈の目を見ていた。瞳を隠すような黄色のレンズの奥に、プロデューサーがひた隠しにしていた気持ちが、かいま見える。


 こんな目で、人から見られるのは初めてだ。

 プロデューサーの目は大きく見開かれ、視線を合わせることを恐れているかのように、揺れ動いている。

 プロデューサーが、チェルナダのメンバーと目を合わせなくなった理由が、今わかった。妙な色眼鏡をかけるようになったのも、目を見られたくなかったからだろう。


 偉そうな態度をとって隠そうとしているが、プロデューサーは、チェルナダのメンバーを恐れていた。

 チェルナダが信じられないほどの快進撃を続け、紗奈たちの才能がステージで花開き、紗奈たちの才能を奇跡だと、プロデューサーは信じたようだ。


 笑ってしまいそうになる。だが本当にプロデューサーは、神様でも見るような目で、紗奈を見ている。

 私たちが奇跡? さすがにそれは言い過ぎでしょ。

 そう思ったが、水を差すようなことを言うのは止めた。


「私は自分から、ファンレターの検閲の仕事を引き受けたんだ。ファンレターを読むたびに、私の心は震えたよ。こんなにも人の心を動かせる人間がいるなんて、今でも信じられないぐらいだ。この才能を世の中に届けることが、私の使命だと思ったんだ」


 感極まったのか、プロデューサーの声は震えている。

 プロデューサーの声に、紗奈は焼けつくような情熱を感じた。

 くたびれたスーツを着ているこの中年の男は、まるで高校球児のように、熱い夢を見ている。


 似ている。

 ライブで観客を楽しませたいと思う私の情熱と、チェルナダの才能を世の中に届けたいと思うプロデューサーの情熱は、そっくりそのまま同じだ。


「そのために、私はライブやレッスンを詰め込んでしまった。お前たちが学生であることを、考えもせずにな。そのことは本当にすまないと思っている」


 プロデューサーの気持ちはわかった。

 決してわかり合えないと思っていた相手と、和解する決意ができる。

 私はこの人を誤解していた。

 この人になら、私の運命を預けてもいいのかもしれない。


 紗奈は最終確認をする。


「じゃあ、約束してくれますか?」


 プロデューサーは重々しく頷いた。


「今後はアイが勉強もできるように、仕事をセーブすると約束しよう。だから一緒に、東京アイドルフェスティバルに行ってくれないか?」


 紗奈は満足そうな笑みを浮かべる。

 商談成立だ。

 しっしっと追い払うように、紗奈は手を振る。


「この部屋から出て行ってください」

「なぜだ? まだ私を許してくれないのか?」


 紗奈はキャリーケースを机の上に置いて、キャリーケースを開く。

 プロデューサーの熱い思いを聞けたのはよかったが、おかげで時間が無くなってしまった。

 急がないと、ナナセが会場で待っている。


「違いますよ。衣装に着替えるからです。車の中では着替えられないでしょ?」


 メイクは車の中ですればいい。そうすれば会場に着いたときに、すぐにステージに立てるはずだ。


「それは、つまり……」


 紗奈の言葉の意味に気づいたプロデューサーが、ボーっと突っ立っている健の襟首を捕まえて、会議室の出口へ引っ張る。


「覗きは許さんぞ。お前も会議室から出るんだ」

「自分で歩くから、引っ張らないでくださいよ! 首が締ま――ぷぎゅっ」


 健とプロデューサーが会議室から出て行って、ドアが閉まった。


「外で待っているからな」


 ドアの向こうからプロデューサーの声が聞こえて、足音が遠ざかってゆく。

 健から蛙を踏んづけたような音が聞こえたが、だいじょうぶなのだろうか?

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