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13 約束 その⑤

 事務所の事務室には、皺のついたスーツを着た男が、大股を開いて座っていた。

 その男が、チェルナダのプロデューサーだった。


 プロデューサーは、青色のファンレターを熱心に読んでいる。

 青はレイナのメンバーカラーだから、プロデューサーが読んでいるファンレターは、レイナ宛てのファンレターなのかもしれない。

 ファンレターを送るのは女性ファンが多い。レイナは女性から人気があり、チェルナダで一番ファンレターをもらっているのは、レイナだった。


 机の上には段ボール箱と、その中身と思われる大量のファンレターが、山のように積まれている。段ボール箱にはA4サイズのコピー用紙が貼られており、〝チェルナダ〟と印刷されていた。

 事務所に所属するタレント宛てに送られたファンレターは、タレントに渡される前に、内容を事務所の職員が検閲する。もし問題があれば、職員の手によって、ファンレターは廃棄されることになっていた。


 紗奈の事務所は職員の人数が足りていないのか、チェルナダのファンレターの検閲は、プロデューサーが自ら行っていた。

 可愛らしい便せんを、中年の男が睨むようにして読んでいる。その光景は中々にシュールだった。


 事務室には他にも女性の職員がいた。

 紗奈はプロデューサーの隣に立ち、女性職員に視線を向ける。紗奈の視線の意図に気づいた女性職員は、逃げるように事務室を出て行った。


 プロデューサーに、学業を優先したいことを伝えるんだ。

 紗奈は唾を飲みこむと、両手を固く握りしめる。手は汗で、びっしょりと濡れていた。


「プロデューサー、お話があるんですけど」

「話? なんだ?」


 顔を上げて紗奈を一瞥したプロデューサーは、忙しいようで、すぐにファンレターへ視線を戻す。

 最近はいつもこうだ。プロデューサーは紗奈を含めて、チェルナダのメンバーとは、ろくに目を合わせようともしない。


 妙な色眼鏡をかけるようになったのも、チェルナダがデビューしてからだ。

 デビュー前は、こんな風ではなかったのに。

 チェルナダが金儲けになると気がついて、プロデューサーは変わってしまったのだろうか?


 紗奈は、なけなしの勇気を振り絞る。


「私は学業を優先したいんです。だから、私の出演するライブやレッスンを減らしてください」


 ファンレターから手を離すと、プロデューサーは弾かれたように顔を上げた。

 黄色のレンズの眼鏡をかけているプロデューサーは、レンズの奥の目を見開いて、紗奈を見ている。深く刻まれた眉間の皺から、プロデューサーの気持ちが、容易に読み取れた。


 最悪の反応だった。紗奈の願いを聞き入れてくれるようには、とても見えない。


「学業を優先したい、だと?」


 ドスの効いた声で、プロデューサーが紗奈に確認する。

 まるで自分が、とんでもなく馬鹿なことを言ったような気分になった。


「はい」


 紗奈は消え入りそうな声で返事をする。

 年の離れた大人の男に、本気で怒られるのは、震えあがるほどに恐かった。

 プロデューサーを説得しようと思っていた気持ちが、風船のように萎んでゆく。


「今がチェルナダにとって、大事な時期なのは、アイだってわかっているだろ? 勉強なんかより、今はアイドル活動に専念するんだ」


 よく見れば、黄色のレンズの奥にあるプロデューサーの瞳は揺れていた。その瞳から、なにかを読み取れそうになったときに、プロデューサーの視線はファンレターへと戻る。

 話はそれで終わりらしい。プロデューサーはファンレターを黙々と読んでいる。


 勉強なんか?


 あまりの言われように、紗奈は愕然とした。

 どれだけ私が、将来のことで悩んでいると思っているんだ? それを「勉強なんか」と一言で切り捨ててしまうなんて、信じられない。


 そりゃあ、プロデューサーからすれば、勉強なんかよりアイドル活動に専念して欲しいだろう。私がいくら勉強をしたところで、一銭にもならないんだから。


 アイドルを使って、金儲けをすることだけが、プロデューサーの仕事なのか?

 アイドルの話を聞き、アイドルの要望に応えることは、プロデューサーの仕事ではないのか?


 紗奈の拳が震える。

 プロデューサーが恐くて震えているのではない。今まで感じたことがないほどの怒りで、体が震えていた。

 こんなヤツは、プロデューサーなんかじゃない。ただの金の亡者だ。


 恐怖に抑圧されていた紗奈の不満や怒りが、恐怖を突き破って表面に顔を出す。

 紗奈はプロデューサーの手から、ファンレターをひったくるようにして奪いとった。


 今まで紗奈は、プロデューサーの前では怯えて縮こまっていた。

 それが今の紗奈は、鬼のような形相でプロデューサーを見下ろしている。

 いつもと違う紗奈の様子に、プロデューサーは戸惑ったような表情を浮かべていた。

 そんなプロデューサーに、紗奈は感情を爆発させる。


「勉強なんかって、なんですか! 私の成績が下がったのは、プロデューサーがライブやレッスンを詰め込んだからでしょ! もし、私が大学受験に失敗したら、プロデューサーが責任をとってくれるんですか?」


 プロデューサーは両手の掌を紗奈に見せた。それから震えた声で、紗奈をなだめにかかる。


「お、落ち着け。学校の成績なんか気にするな。お前にはアイドルがあるだろ?」


 紗奈は拳で机を叩いた。机の上のファンレターが浮き上がり、驚いたプロデューサーの体も浮き上がる。


「学校の成績なんか?」


 紗奈はプロデューサーに考える時間を与えた。

 まだ理解できないのか?


 プロデューサーは、紗奈と視線をあわせては、視線をそらせている。かなり紗奈を恐がっているようだ。


「わかった、わかった。その話は東京アイドルフェスティバルが終わった後でしよう。東京アイドルフェスティバルが近いのもあって、忙しいのやら緊張やらで、少しおかしくなっているんだろう」

「はぁ? なに言ってんの? おかしいのは、お前だろ」


 紗奈はつかんでいたファンレターを、机の上に放る。

 もう話す気も失せた。

 プロデューサーは、いくら話しても、こちらの気持ちを理解することもできない、哀れな人間なのだ。

 こんな人間のもとで働きたくなんかない。


 紗奈はプロデューサーにクルリと背を向けると、ドアのほうに向かって歩く。


「どこへ行くんだ?」


 立ち上がって呼び止めるプロデューサーの声を、紗奈は無視した。

 ドアノブをつかんで事務室を出る。それから、ドアノブをつかんだまま振り返り、有無を言わさぬ目で、プロデューサーの瞳を見据えた。


「プロデューサーが間違いを認めて、私に謝りに来るまで、私は休業させてもらいますから」


 プロデューサーは目を白黒させている。


「おい、それって――」


 紗奈はドアを乱暴に閉めた。逃げるようにして事務所から飛び出る。

 事務所から出ても、興奮と恐怖で乱れた心臓は、なかなか治まらない。

 とんでもないことをしてしまった気がするが、これが私だ。

 もしこれでダメになるのなら、仕方ないとあきらめるしかない。

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