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13 約束 その④

 ダンススクールの前で健と落ち合うと、紗奈は人気のない公園へ場所を移した。

 アイの状態で、健と二人きりでいるところを、他の人に見られたくなかった。


 東京アイドルフェスティバルに出演することになり、アイドルオタクたちの中では、チェルナダの知名度も上がっている。チェルナダを知っているオタクが、偶然にも紗奈の近くを通らないとも限らない。

 アイドルが異性と二人でいるところを見られれば、オタクに誤解を与えてしまう。その誤解が原因で、アイドルを引退しなければならないようなトラブルに、発展することもありえた。


 だから紗奈は、チェルナダのアイだと気づかれないように、帽子を被って変装をしていた。

 いつもは眼鏡をかけて、さらに前髪で目を隠している。

 いつもの変装に比べると、帽子だけの変装は、ひどく心もとない気持ちに紗奈をさせた。


「悩みごとって、なんだよ?」


 公園のベンチに座っている健が、隣に座る紗奈に尋ねてくる。


 ナナセの策略にまんまとハマってしまったのは癇に障ったが、健に相談できるのは嬉しかった。

 たとえ健が、紗奈の悩みを解決できなかったとしても、話を聞いてくれるだけで、心は軽くなる。自分の悩みを健に知ってもらえることが、単純に嬉しかった。


 紗奈は誰にも相談できなかった悩みを、健にだけは打ち明ける。


「将来のことが不安なんだよ。私はアイドルを続けていて、本当にいいのかな?」

「アイは絶対にアイドルを続けるべきだよ。間違いなくアイには、アイドルの才能があるから」


 握り拳で力説する健の声は、感情が乗ってしだいに大きくなっていた。


「声が大きいって。他のオタクに見つかるでしょ?」


 紗奈は小声で、健に注意する。

 他のオタクに、二人でいるところを見られるとマズいことは、待ち合わせ場所で会ったときに、健にも話していた。

 叱られた健は、申し訳なさそうな顔で謝る。


「わるい。これだけは譲れなくて」


 紗奈は、くすりと笑う。

 他人の健のほうが、よっぽど紗奈の才能を信じていた。

 私の将来の不安も、健なら笑い飛ばしてくれるのだろうか?


「もし、チェルナダが売れたとしても、いつまでもアイドルは続けられないでしょ? 私はアイドルを辞めた後のことが、心配なんだよ」

「アイドルを辞めた後? そんなのアイドルを辞めた後で、考えればいいんじゃないのか?」


 紗奈は久しぶりに、心の底から笑う。

 悩んでいる私がバカみたいだ。

 健のように、遠い未来のことなど気にせずに、今だけを見つめて生きられたら、どれだけ楽に生きられるだろう。


「そうだね。でも、私はそれが気になって、仕方ないんだよ」

「アイドルを辞めた後で、したいことはないのか?」


 今していることがしたいことで、他にしたいことなんてない。

 アイドルが楽しくて、アイドルを辞めた後のことを具体的に考えるのは、今まで避けていた。


「それは大学に行った後で、考えようと思ってたんだ。とりあえず勉強をがんばっておけば、進路は広がるでしょ? でも、最近はアイドルが忙しすぎて、勉強する時間もとれなくてさ。成績が下がってるの」


 紗奈は力なく笑う。

 次から次に、弱音がこぼれた。

 こんなふうに弱くなれるのは、紗奈の不安を、健がちゃんと受け止めてくれるからだ。


「俺の勉強する時間を、アイにあげられたらいいのにな。俺は勉強なんかしたくないよ」


 また健が、紗奈を笑わせてくれる。

 解決には、なっていない。でも、健と話しているだけで、紗奈の不安は半分になっていた。

 こんな暗い話ばかりしていたら、健に嫌われるかもしれない。

 でも健には、全部聞いて欲しかった。


「このまま成績が下がったら、きっと大学受験も失敗しちゃうね。もし、アイドルを辞めた後で、ちゃんと就職することができなくて、食べるお金もなかったら、どうしよう? 私、ホームレスになるのかな?」


 悪いように考えると止まらなくなって、紗奈は本当にそんな心配までしていた。

 だが健は、いくらなんでもそれは心配しすぎだと感じたようだ。冗談でも聞いたかのように、白い歯を見せる。


「それはいくらなんでも、マイナス思考すぎるだろ。もっとプラス思考に考えたほうがいいんじゃないか?」

「だって、心配なんだもん。アイドルを辞めた後で、食べていくのも精一杯の元アイドルを、私はたくさん知ってるんだよ? もし、私がそうなったら、どうするのよ?」

「そのときは……」


 なにか言おうとした健だったが、なにも言わずに口を閉じてしまう。

 なんだ。けっきょく、なにも思い浮かばないんじゃないか。

 まぁ、健に期待しすぎるのは、おかしいとは思っていた。

 それでも、ビシッとなにか解決策を言ってくれて、カッコいいところを見せてくれることを、いつの間にか期待してしまっていた。


「ごめんね、変な相談なんかして。でも、ありがとう。話を聞いてくれただけで、だいぶ心が軽くなったよ」


 嘘じゃなかった。

 たぶん健はわかっていないだろうが、健は紗奈を十分に助けていた。


 ベンチから腰を浮かして、紗奈は立ち上がる。

 紗奈はもうあきらめているのに、健は座ったまま、まだ紗奈のために考えてくれていた。

 ふんわりと目を細めて、紗奈は健を見る。

 アイドルになって、よかった。アイドルにならなれば、健と仲よくなることも、なかったかもしれない。


 なにか思いついたようで、ふいに健が顔を上げた。


「プロデューサーに相談したら、いいんじゃないか? 『忙しくて勉強ができないから、ライブやレッスンを休ませてほしい』って」


 それはまったく思いつきもしなかった。

 忙しくなってもナナセやレイナは、当たり前のようにライブやレッスンをこなしている。

 自分だけ音を上げるような解決策を、負けず嫌いの紗奈が、思いつくはずがなかった。


 しかし健の案は、プライドとは別の理由で採用できない。


「言えないよ。せっかくチェルナダが上手くいってるのに、みんなに迷惑をかけることになるじゃない」

「そこまで気を使う必要はないだろ。他のアイドルグループだって、メンバーが学業を優先して、ライブを欠席することは、よくあることじゃないか」


 健の言う通りだった。

 事務所によって違いはあるものの、アイドルの学業優先に理解を示し、所属するアイドルに、積極的に休みを取らせる事務所もあった。


 大手のアイドル事務所では、試験に間に合わせるために、ロケ地からヘリをチャーターして、帰京させた例まである。

 所属するアイドルが、アイドル活動が忙しくなるあまり、学校を卒業できなかったのであれば、事務所がその責任を問われかねない。だから、事務所のイメージダウンを回避するために、そこまでしたのかもしれないが、大手の事務所でもこうなのだ。


 紗奈が学業を優先するために、ライブやレッスンを欠席することは、おかしなことではない。チェルナダのプロデューサーも、話せばわかってくれるかもしれなかった。


 紗奈が納得して黙っていると、さらに健は、紗奈の背中を後押しする。


「もちろん俺も含めて、みんなアイをライブで観たいとは思ってる。でも、そのために無理をして欲しくないんだ。ナナセとレイナがいれば、ライブはなんとかなるだろ?」


 体調不良で、紗奈はライブを欠席したことがあった。そのときも、ナナセとレイナだけでライブは上手くいっていた。

 逆にナナセやレイナが、体調不良でライブを欠席したこともあった。ナナセがライブに出られなかったときは、MCをできる人がいなくて、ひどく困った記憶がある。


 紗奈がライブに出られなくても、ナナセとレイナがいれば、ライブはだいじょうぶだ。そんな心配はしたこともない。


「そうだね。プロデューサーに相談してみるよ」

「がんばれよ」

「うん。ありがとう」


 健の励ますような笑顔に、紗奈も笑顔で応える。

 健に別れを告げると、紗奈は事務所に向かって歩き始めた。

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