13 約束 その②
健との勉強会の後にはライブがあって、ライブが終わればレッスンがある。
レッスンの後には、東京アイドルフェスティバルに向けた最後のミーティングがあった。
目の回るような忙しさだ。
クタクタになって家に帰り、欠伸をしながら食事をする。
ゆっくり湯船に浸かる時間もなかった。急いで入浴を済ませれば、瞼は鉛のように重い。
このままベッドに倒れこみたかったが、まだやらなければいけないことがあった。
一日に一回は、Xにポストをすると紗奈は決めていた。
ベッドに座り、ポストする内容を考えてみるが、眠い頭では、ポストする内容も思い浮かばない。
夏休みに入る前は、アニメやドラマの感想を、よくポストしていた。
だが、勉強する時間を捻出するために、夏休みに入ってからは、アニメやドラマを見る時間を削っていた。そうなると当然、アニメやドラマに関することで、ポストする内容は思い浮かばない。
明日は午前中からレッスンがあり、のんびり寝ている時間はなかった。娯楽の時間だけではなく、今度は睡眠時間を削っている。
一日だけなら耐えられるが、こんな日が、ここ最近は何日も続いていた。
睡眠時間を削ると、命が削られるような気がした。
体が弱っているときに、より心の不安は大きくなる。
紗奈は自分の将来が不安になった。
中学生のときにスカウトマンにスカウトされて、モデルを始めた紗奈は、たくさんの芸能人をその目で見てきた。
高校生になってからはアイドルとしてデビューし、自分と同じアイドルも、たくさん見てきた。
芸能界そのものが厳しい世界だが、アイドルはそれに輪をかけて、厳しい世界だった。
俳優やタレントは、一度実力が認められれば、実力が衰えない限りは、長く仕事を続けられる。
実力主義なところはアイドルも同じだが、アイドルの実力には、若さが含まれていた。
アイドルの賞味期限は短く、二十台も半ばを過ぎる頃には、ほとんどのアイドルが引退を決意する。
アイドルとしてデビューしてから、まだ3か月半ほどしか経っていないが、紗奈はたくさんのアイドルが、志半ばで辞めてゆくのを見てきた。
その中には、中学生や高校生などのまだ若いうちに、アイドルに見切りをつける者もいた。
アイドルを辞めると話す彼女たちの目には、みな一様に涙がある。青春を捧げてきたアイドルを辞めるのだから、辛いのは当然だ。
しかし紗奈は、彼女たちの中に、悲しみとは別の感情を見つけていた。
アイドルを続ける紗奈たちの前では、決して口にすることができない。
彼女たちが隠している感情は、安心だ。
アイドルという華やかだが不安定な仕事を辞めて、退屈かもしれないが安定した普通の生活に戻る。
中学生や高校生のうちにアイドルを辞めて、ちゃんと勉強をすれば、彼女たちは普通の人生を歩むことができるだろう。
学生でアイドルをする者は、みな選択を強いられた。
学業を犠牲にして、アイドルに打ち込むのか。
あるいは、アイドルと学業の両立を目指すのか。
紗奈は後者の選択をして、アイドルと学業の両立を目指した。
理由は、アイドルを辞めた後の保険が欲しかったからだ。いい大学を卒業できれば、就職にも困らないだろう。
チェルナダが忙しくなる前は、いい成績を維持できていたから、未来に不安はなかった。
それがここ最近は、アイドル活動が忙しくなり、思うように勉強をすることができず、成績が下がってしまっていた。
アイドルとして成功できるのは、ほんの一握りだ。
これまでの実績から、自分にも才能があることは自覚していた。
だが、その才能は、メジャーアイドルとしても通用する才能なのだろうか?
インディーズの世界だからこそ、通用しているだけなのかもしれない。
中途半端に才能があるせいで、ズルズルとアイドルを続けてしまい、引き際を間違えて、気がついたときには手遅れになっていたら、どうしよう?
アイドルと学業の両立が困難になり、紗奈の中では、将来への不安が生まれていた。
頭の中は不安でいっぱいで、Xにポストする内容も思い浮かばない。
けっきょく紗奈は、二日後に迫った東京アイドルフェスティバルへの意気込みを、ポストすることにした。
〝明後日は東京アイドルフェスティバルです! 天気もいいみたいだし、楽しみ!〟
スマホの画面に表示された、〝東京アイドルフェスティバル〟という文字を見て、紗奈は複雑な気分になる。
東京アイドルフェスティバルは楽しみだし、東京アイドルフェスティバルに出演することになって、チェルナダの知名度は飛躍的に上がった。
だがそのせいで、勉強する時間もとれないほどに、アイドル活動が忙しくなってしまった。
紗奈は小さくため息をこぼす。
忙しくなるならせめて、大学受験が終わってからにして欲しかった。
アイドルが上手くいっているのに、大学受験のことで悩んでいるなんて、私は贅沢を言いすぎなのだろうか?
紗奈はベッドに横になった。
明日も練習がある。早く寝よう。
紗奈は眠るために、瞼を閉じる。
体も心も疲れ切っているし、眠気もあるのに、不安ですぐに眠りにつけなかった。
最悪の想像が頭に浮かぶ。
売れなくてアイドルを辞める。大学受験は失敗する。就職も上手くいかない。
後には思い出だけが残った。だが思い出では、ご飯は食べられない。
珍しい話ではなかった。芸能界にいれば、こんな話はごまんと聞ける。
私はもしかして、誤った道に進んでいるのか?
大学受験を控えた高校生という大事な時期に、アイドルなんてしていて、本当にいいのだろうか?
今すぐにでもアイドルを辞めれば、まだ間に合うのではないのか?
不安で胸が苦しくなり、紗奈は飛び起きた。右手で胸元の服をきつく握りしめ、左手で口を押さえる。
叫んでしまいそうだった。
両親は寝ている。叫んだりしたら、きっと両親は心配して、紗奈の様子を見に来るだろう。
激しい運動でもしたかのように、心臓が暴れていた。
こんな精神状態では、とても眠れそうにない。
紗奈はベッドから降りると、勉強机に飾ってあるハンドクリームに手を伸ばした。そのハンドクリームは、生誕祭のときに、健が紗奈にプレゼントしてくれたものだ。
ベッドの中に戻った紗奈は、胎児のように体を丸める。それから、ハンドクリームのチューブを両手で握りしめて、鼻を手に押しつけた。
チューブの中身は使い切っていたが、ほんのりとグリーンフローラルの香りがする。
ハンドクリームをプレゼントしてくれた健のことを思うと、心がスーっと落ち着いた。
紗奈は現実の世界から逃げるようにして、夢の世界へ落ちていった。




