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13 約束 その①

 紗奈は健と一緒に、ファミレスで夏休みの宿題をしていた。

 鬼気迫る勢いで、紗奈は問題集に答えを書いてゆく。どれだけ問題を解いても、一度胸に芽生えた不安は消せなかった。


 紗奈の向かいの席に座る健は、すでに集中力が切れている。健の手から滑り落ちたシャープペンが、問題集の上を転がった。


「そろそろ終わりにしないか?」


 健の声は、集中している紗奈には聞こえていなかった。

 紗奈は脇目も振らずに、問題を解いている。


「大野?」


 もう一度呼びかけられて、ようやく紗奈は、健に呼ばれていることに気がついた。

 紗奈は問題集から顔を上げる。


「ごめん。集中してて聞こえてなかった。なに?」

「今日のところは、これで終わりにしないか?」


 店内にある時計を見ると、いつの間にか、ずいぶんと時間が経っている。


「うん。続きは、また明日だね」


 紗奈はシャープペンを問題集の上に置く。それから、バンザイをするように背伸びをすると、背骨がポキポキと鳴った。

 そんな紗奈を、健が感心した顔で見ている。


「大野って、真面目だよな。もとから頭がいいのもあるんだろうけど、真面目に勉強するから、成績もいいんだろうな」


 紗奈は苦い顔をする。

 健は紗奈の事情を知らないし、悪気があって言っているわけではない。


「そんなことないよ。最近、ちょっと成績が落ちてきてるし」


 成績が落ちた原因はハッキリしている。

 アイドル活動が忙しくなり、勉強する時間が足りていないからだ。

 夏休みに入る前は、平日にはレッスンがあったし、土曜と日曜にはライブが詰まっていた。

 忙しくて思うように勉強ができず、イラつく日もあった。


 夏休みになれば、たくさん勉強ができる。夏休み中に、後れを取り戻そう。

 そう考えることで、なんとかモチベーションを下げずに、アイドル活動をがんばってこれた。


 ところが夏休みになると、さらにチェルナダは忙しくなった。

 一日に複数回のライブやレッスンがあるのは当たり前で、それに加えてYouTubeの動画の撮影などもある。

 プロデューサーは詰め込めるだけ、予定を詰め込んでいた。

 このままでは、さらに成績が落ちることは目に見えている。


「忙しかったら、勉強する時間もないよな」


 健が紗奈を慰めた。

 紗奈がチェルナダのアイであることを、健は知らないはずだ。それなのに、まるで紗奈の事情を見透かしたような口ぶりだった。


「なんで私が忙しいって、わかるのよ?」

「それは……勉強会の待ち合わせの時間が、日によってバラバラだろ? だから、他にも予定があるのかなって思ったんだよ」


 健は紗奈から目をそらして、頬をポリポリとかいている。


「ふーん。珍しく鋭いじゃん」

「勉強も大事だけど、あまり気にするのはよくないぞ。大野も俺みたいに、余裕を持ったほうがいい。俺なんか授業中に、自主的に休憩してるんだぞ」


 健が世界史の教科書を開いて、紗奈に見せた。有名な歴史上の人物の顔には、落書きがされてある。

 紗奈は冷めた目を、健に向けた。


「それはサボりって言うんじゃない?」

「固いこと言うなって。特別にチャーハンは大野にやるよ。好きに落書きしてもいいぞ」


 世界史の教科書に載っているチンギス・ハンの肖像を、健が指さした。


「チャーハンじゃなくて、チンギス・ハンでしょ。本当に落書きしてもいいの?」

「おう。俺の教科書だからって、遠慮はしなくていいぞ」

「じゃあ、遠慮なく」


 紗奈は筆箱から油性ペンを取りだして、キャップを外す。それから、健の顔にペン先を近づけた。

 寄り目になった健が、のけぞるようにしてペン先から逃げる。


「俺の顔じゃなくて、教科書に落書きしろよ。人の顔に落書きなんてしちゃダメだぞ」

「教科書に落書きするのもダメでしょうが」


 紗奈は、やれやれとため息を吐くと、ペンにキャップをはめた。

 紗奈の注意など、どこ吹く風といった感じで、健は能天気な顔をしている。

 健みたいにならないように、私はちゃんと勉強しないと。

 健の目が、すっと細くなる。


「なんだよ、その目は? 今、俺のことを、心の中でバカにしただろ?」

「正解。今日は鋭いね」


 健が舌打ちをした。

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