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12 お邪魔します その⑤

 健が特典会場を出ようとすると、特典会場の出口の前に、例の怪しい記者の姿を見つけた。

 相変わらず記者は、帽子を被り、サングラスをつけて、マスクをしている。この記者のせいで紗奈が怯えているのかと思うと、健は胸がムカムカしてきた。


 すぐにでも取材を止めるように、記者を説得したいところではあったが、特典会場の前で騒ぎを起こせば、迷惑するのは紗奈だ。記者と口論になっても、だいじょうぶなように、記者が特典会場から離れるまでは待ちたかった。


 記者は特典会場の出口付近で、紗奈のファンから聞き込みを行った後、特典会場の近くにある、ライブ会場の裏へと移動した。

 こっそり記者の後をつけて、健もライブ会場の裏へ移動する。


 記者は物陰に隠れて、関係者出入口から、誰かが出て来るのを待っていた。

 関係者出入口でアイドルの出待ちをすることは、トラブルを避けるために禁止されていた。だが、この記者には、そんなモラルは通用しないらしい。


 ますます腹が立ってきた。こんな非常識なヤツに、紗奈の人生をメチャクチャにさせはしない。


 記者を監視しながら健も待っていると、衣装から私服に着替えた紗奈が、キャリーケースを引いて関係者出入口から出てきた。紗奈は急いでいるようで、早足で歩いて行く。


 記者が紗奈の後をつけて行ったので、健は気づかれないように記者の後を追った。

 記者は首を振って、やたらと周囲を警戒していた。だから、記者に気づかれないように、記者の後をつけるのは骨が折れた。


 紗奈が向かったのは駅だった。駅の構内へ、紗奈の姿が消える。

 記者は駅の中にまで、紗奈をつけて行こうとしていた。


 記者を説得するのなら、今だろう。

 もし口論になっても、ここならチェルナダに関わる人たちの迷惑にはならない。それに今なら、紗奈に気づかれることなく、記者を説得できそうだった。


 健は全速力で駆けて、駅の入り口へ向かう記者の前に立ちはだかった。

 突然、前に立ちはだかった健に怯むことなく、むしろ挑むようにして、記者は健に近づいて来る。


「あなたは、前に私が取材をさせてもらったアイのファンの方ですよね。こんなところで、なにをしているんですか?」


 記者の声には、人を疑うような響きがあった。どうやら記者は、健が紗奈を尾行しているのではないかと、疑っているようだ。


 大野を尾行しているのは、お前のほうだろ。

 腸が煮えくり返るような思いだったが、健の目的は記者の説得であって、記者と口論することではなかった。

 冷静さを失えば、記者を説得することはできないだろう。

 健は努めて冷静な声で、記者の説得にかかる。


「俺はあなたを尾行していたんです。アイのファンの間では、〝アイの身元を調べる記者がいる〟って、悪い噂が広まってますよ。もうアイの取材をするのは止めてくれませんか? それからアイについて調べたことを、記事にはしないで下さい」

「どうして私が、あなたにそんなことを言われなければならないの? あなた、本当はアイのストーカーなんでしょ? 一緒に警察に行って、そこで話をしましょう」


 怒りを剝きだしにした記者は、敬語を捨てて、健に食ってかかってきた。健の言うことを素直に聞いてくれそうには、とても見えない。

 どうしたものかと考えた健は、紗奈の抱える事情を、記者に話すことにした。


 紗奈の秘密を、勝手に他の人に話していいのか?

 そんな葛藤も生じたが、それしか有効な手が思い浮かばなかった。


 家族や関係者以外の人にアイドルをしていることがバレたら、紗奈は母親との約束で、アイドルを辞めないといけない。


 それを知れば、記者がまともな心の持ち主なら、紗奈の取材を止めるはずだ。


 もし記者が、血も涙もない人間だったならば、健の説得に耳を貸さず、記者は取材を続けて、紗奈の身元を突き止めるだろう。

 しかしその場合は、健が紗奈の秘密を話しても話さなくても、結果は同じだ。紗奈の身元は記事にされて、紗奈はアイドルを辞めないといけなくなる。


 紗奈の秘密を記者に話して、事態が好転することはあっても、事態がさらに悪化することはないように思えた。

 だったら可能性に賭けて、記者の情に訴えかけるのも悪くない。


 それにモラルを疑う部分はあるが、この記者の紗奈に対する好意は本物だ。長身で目つきの鋭い健に怯むことなく、今も身をていして紗奈を守ろうとしている。

 この記者なら、紗奈の事情を知ったら、きっと取材を止めてくれるはずだ。


「アイは、アイのお母さんとの約束で、家族や関係者以外の人にアイドルをしていることがバレたら、アイドルを辞めないといけないんです。だから、アイの身元がわかるようなことを記事にされると、アイが困るんです」

「ちょっと待って。あなたはなんで、そんなことを知ってるの? あなたはアイのファンじゃなかったの?」


 記者を説得する前に、まずは記者の質問に答えないと、こちらの話を聞いてくれそうにもなかった。

 下手な嘘をついて不審に思われれば、説得どころではなくなる。

 健は正直に、自分と紗奈の関係を話すことにした。


「俺はアイのクラスメートで、チェルナダのことをよく話す仲なんです」

「クラスメート?」


 記者はまるで、外国の言葉でも聞いたかのような反応をした。

 記者の表情が気になったが、サングラスやマスクに隠れて、その表情は読み取れない。


 健は記者の次の言葉を待った。しかし、いくら待っても、記者はピクリとも動かない。

 心配になってきたころ、記者はおもむろに何度も頷いて見せた。


「あなたはアイのクラスメートで、アイのファンなのね。あなたのことは、だいたいわかったわ。それでどうして、お母さんとの約束を、あなたは知っているの?」

「アイは自分の身元を調べる記者がいることに、怯えていました。それで、『アイの本名や高校を記事に書かれたら、なにか困ったことになるのか?』って、アイに尋ねたら、お母さんとの約束を、アイは俺に教えてくれたんです」

「アイが怯えていたの? 私が恐くて?」


 記者はひどく狼狽えた声を出した。

 記者の動揺が激しいので、健は少し心配になった。

 しかし、紗奈のためにも、追及の手を緩めるわけにはいかなかった。


「もし身元を明かされるようなことを記事にされたら、アイはアイドルを辞めないといけないんです。恐いに決まっているじゃないですか。アイの事務所も、あなたのことは問題視していますよ」

「そんなつもりじゃなかったのよ。私はただアイのことが……」


 健に厳しく責め立てられた記者は、言葉を詰まらせる。


「アイのことが、なんですか?」


 健はさらに追及したが、記者は理由を言葉にするのは避けた。


「とにかく、もうアイの取材は止めるわ。それに、アイのことを記事にしたりはしない。今回の件は、アイの事務所を通して、アイに謝罪もしておくわ。これだけすれば、あなたも満足でしょ?」


 健としても、その約束さえしてもらえれば十分だった。説得は成功だ。


「約束ですよ? ちゃんとアイに謝ってくださいね」


 自分よりも年下の健に説教をされたことが、記者は気に食わなかったのだろうか?

 逆襲とばかりに、記者が健の過失を咎める。


「あなたは、さっきからずっと私を非難しているけど、そういうあなたこそ、どうなのよ? 今日、私を説得しに来たことを、アイや、アイの事務所は知っているの?」

「知りませんけど」


 雲行きが怪しくなってきて、健の声は小さくなる。

 記者は呆れたように、ため息を吐いた。


「あなたは今日したことを黙っておいたほうがいいわよ。あなたは無茶をしすぎなのよ。あなたがしたことを、アイの事務所が知ったら、『部外者が勝手に首を突っ込むな』って怒られるわよ」


 記者の説教を、健は仏頂面で聞くしかなかった。

 紗奈を助けたい一心でやったこととはいえ、少々無茶をしすぎていたのは事実だ。


「わかりました。黙っています。アイに謝罪をするときには、俺のことは伏せておいて下さいね。俺は、もう行きますから」


 説得は成功したのだから、もうここに用はなかった。記者と一緒にいれば、長々と説教を聞かされるかもしれない。

 健は帰ろうとしたのだが、記者に呼び止められた。


「待って。アイはアイドルをしていることを、家族や関係者以外には隠しているのよね? 関係者でもないあなたが、どうしてクラスメートにアイがいるって知っているの? アイがあなたを信用して、あなたにだけは特別に話したの?」


 健は額に手をやって、どうやって説明するかを考える。

 健と紗奈は、学校の友達という関係だ。

 健とアイは、オタクとアイドルという関係だ。

 そして紗奈とアイは、本当は同じ人間なのだが、健の前では友達という関係になっている。


「違います。偶然の事故で、クラスメートの女子がアイだと、気づいてしまったんです。俺が気づいていることも、アイは知らないはずです。さっきのお母さんとの約束の話も、自分の秘密としてではなくて、友達の秘密として、アイは俺に教えてくれたんです」

「偶然の事故って、なに?」


 記者がしつこく尋ねてきた。

 この記者は、紗奈と親しい健のことが、気になって仕方がないようだ。


 質問に答えれば答えるだけ、新たな質問が湧いてくるだろう。こんな質問に付き合っていたら、いつまでたっても帰れそうにない。

 だから健は、適当に嘘をついて帰ることにした。


「すいません。もうバイトに遅れそうなんです」

「じゃあ、また今度、時間があるときに聞かせてもらうわね」


 記者は最後に、笑みの滲んだ声を寄越してきた。

 健はなにも応えずに、記者に背を向ける。

 紗奈を怯えさせた記者なんかに、もう二度と会いたくはなかった。

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