12 お邪魔します その③
特典会場を出るなり、健は大きく息を吐く。
紗奈がアイだと気づいてから、今日初めて紗奈とチェキを撮った。
紗奈とチェキを撮らない選択肢もあったが、いつも撮っているのに、今日だけ撮らなかったら、紗奈に不自然に思われるだろう。そうなったら紗奈のことだから、必ず次の勉強会のときに、その点を追求してくるはずだ。
チェキでは1分間だけ、紗奈だと気づいていないフリをして会話をすればいい。
だが、紗奈に不自然に思われれば、勉強会で紗奈と会ったときに、紗奈が納得するまで時間無制限で追求されるだろう。
どちらがマシかを考えれば、当然、チェキを撮るほうがマシだった。
だから、不安を抱えながらもチェキを撮ったのだが、こんなに緊張するとは思わなかった。
アイになっている紗奈と、なんとかいつも通りに会話することができたとは思うが、いつになったら慣れるのだろう?
慣れない演技をしたせいで、健は疲れていた。少しでいいから休みたい。
特典会場の出口付近で休んでいると、女性が健に近づいてきた。
女性の格好は、帽子にサングラスにマスクと、いかにも怪しい格好をしている。
日差しの強いこの季節では、帽子にサングラスは不自然ではない。だが、マスクは見ているだけで暑苦しかった。
変装をするにしても、ここまで露骨に顔を隠すと、かえって目立っている。顔を見られると、よほどマズい理由でもあるのだろうか?
「さっき、あなたはアイとチェキを撮っていましたね。あなたはアイのファンの方ですか?」
女性の声は落ち着いていて、声の感じからすると、歳は中年ぐらいだろう。
女性がアイの名前を出したことに、健は警戒心を強くする。こんな怪しい格好の女性に関りたくはなかったが、気が変わった。
この怪しい格好の女性は何者なのだろう? もし、紗奈に害をなす者だったのならば、紗奈に報告しておいたほうがいいだろう。
「まぁ、そうですけど」
「アイのことでお伺いしたいことがあるんですけど、お時間はありますか?」
「構わないですけど、その前に教えて下さい。あなたは何者なんですか? なんであなたは顔を隠しているんですか?」
不審感も露な健を落ち着かせるためなのか、女性は丁寧に頭を下げた。
「驚かせてしまって、ごめんなさい。私は記者です。お化粧が面倒なので、顔を隠しているんです」
健は男だから、女性の化粧の事情なんて知らなかった。だから、化粧が面倒臭いという理由で、女性が顔を隠すことが普通なのかどうかも、わからない。
顔を隠している理由はともかく、女性が記者だということが気になった。
「記者? 記者って、取材をして記事を書く、あの記者ですか?」
「そうです。今はチェルナダの取材をしていて、チェルナダのファンから聞き込みを行っているんです」
女性が本当に記者だとしても、チェルナダの取材をしていることが、健には信じられなかった。
「チェルナダは、まだメジャーデビューもしてないんですよ? あなたは、そんなアイドルを取材しているんですか?」
「そんなアイドルなんかでは、ありませんよ。チェルナダは東京アイドルフェスティバルにも出演予定で、今もっとも勢いのあるアイドルです。あなたこそチェルナダのファンなのに、チェルナダの評価が低すぎやしませんか?」
健のチェルナダの評価が低いことに、記者は腹を立てているようだった。
記者の物言いに納得できず、健は歯を食いしばる。
記者の言う通り、東京アイドルフェスティバルに出演することになって、チェルナダの名前は全国のアイドルファンに知られていた。その活躍を考えれば、記者が取材に来ることも、あるのかもしれない。
納得できなかったのは、健がチェルナダを低く評価しているという、記者の感想だ。
チェルナダのライブは、デビューライブから観ている。チェルナダの凄さなら、誰よりも知っている自信があった。
チェルナダを低く評価しているだなんて、言いがかりもいいところだ。
「俺は知名度の話をしたんです。まだデビューして間もないから、知名度はありませんけど、チェルナダの実力はメジャーアイドルにも負けていません。近いうちに、必ずチェルナダはトップアイドルになります。記事にも、そう書いといて下さい」
健が早口でまくし立てると、健がチェルナダを高く評価していることに気がついたようで、記者は嬉しそうに笑った。
「おっしゃるとおりです。すいません。勘違いをしておりました」
記者が素直に謝罪をしたから、健の怒りも収まってくる。
先ほど、この記者は、チェルナダのことを「今もっとも勢いのあるアイドル」と評していた。
このことから、この記者がチェルナダを高く評価していることは、なんとなく健にも伝わっていた。
取材に協力すべきなのかもしれない。この記者なら、きっとチェルナダのことを良いように書いてくれるだろう。良い記事を書いてもらえれば、チェルナダの知名度も評判も、さらに上がるはずだ。
「それで俺に、なにを聞きたいんですか?」
「あなたはアイのどこが好きですか?」
すぐには答えらなかった。
紗奈の容姿も性格もすべて好きで、しいて好きなところを挙げろと言われると、困ってしまう。
考えこんだ健に、記者はやや冷淡な声で回答を促した。
「思い浮かばないんですか?」
「全部好きだから、なんて答えればいいのか、わからないんですよ。アイは見た目も性格も最高なんで」
記者が噴きだした。
「ありがとうございます。最高のコメントだと思います」
「そうですか? 取材って、これだけなんですか?」
紗奈の好きなところをすぐに答えられなかった健に、記者は腹を立てかけていた。この記者も健と同じで、紗奈のことが好きなのだろう。
見た目は怪しかったが、健と同じように紗奈を好きなこともあって、だんだんと記者に対する警戒は解けていた。
しかし、記者の次の質問で、健の警戒心は一気に蘇る。
「まだあります。あなたは、アイの本名や、アイの通っている高校を知っていますか?」
紗奈の秘密を暴くような質問に、背筋が粟立った。
健は血相を変えて、記者に質問の意味を尋ねる。
「ちょっと待って下さい。そんなことを調べて、どうするつもりなんですか?」
「そんなに身構えないで下さい。ちょっとした調査ですよ。チェルナダの中でもアイだけが、本名も、通っている高校も、特定されていないですよね? それを知っている人がいるのか、私は調べているだけです」
記者の声は淡々としていて、それがより不気味だった。
もし「知っている」と答えたら、次は「それを教えてくれませんか?」と、聞かれるに決まっている。だから健は、知らないフリをすることにした。
「俺は知りませんよ。知っている人が、いたんですか?」
「今のところはいないですね。取材は以上です。取材にご協力頂き、ありがとうございました」
記者は健に頭を下げると、健から離れて、特典会場のほうへ視線を向けた。どうやら取材対象のオタクを、物色しているらしい。
記者の最後の質問は、気味が悪すぎた。
やはり、この記者のことは、紗奈に報告しておいたほうが良さそうだ。




