12 お邪魔します その②
夏休みの初日、健は紗奈と夏休みの宿題をするために、ファミレスへ来ていた。
紗奈が待ち合わせの時間に指定したのは、午前10時だった。
前日の晩に夜更かしができないから、午後にしようと健は言ったのだが、紗奈に断られた。
健に規則正しい生活を送ってもらうために、待ち合わせ時間は、あえて午前10時を選んだらしい。
さすがは紗奈だ。健のことをよく理解しているし、容赦がない。
紗奈は順調にシャープペンを走らせており、問題集に答えを書くサラサラという音は、止まる気配がなかった。
それに比べて、健のシャープペンは、ちっとも動かない。
向かいの席に座っているのが、チェルナダのアイだと思うと、やっぱり気になってしまう。なにせアイは、健の一目ぼれの相手であり、憧れのアイドルでもあるのだ。
健は動揺していることを、紗奈に悟らせないように気をつけていた。その甲斐あってか、今のところ紗奈が、健の動揺に気づいた様子はない。
しかし、健が問題を解けていないことには気がついたようだ。
「ぜんぜん解けてないじゃん。体調でも悪いの?」
今、紗奈が話しかけている健は、「アイに一目ぼれをした」と言った男だ。それなのに紗奈は、平然と健に話しかけている。
健が「一目ぼれをした」と言ったのは、もう3か月以上も前のことだ。だから、紗奈の中では、とっくに気持ちの整理はついているのかもしれない。
時間が経てば健も、紗奈がアイという事実は気にならなくなって、今のように妙な緊張をすることもなくなるのだろうか?
「考えごとをしてたんだよ」
「考えごと?」
紗奈はイタズラっぽい笑顔を浮かべる。
「もしかして、アイのことを考えてたの?」
正解だった。仮にその質問を、健が起きているときに、いつされたとしても、今なら50パーセントくらいの確率で当たっている気がする。
言い返せない健を見て、紗奈は正解を確信したらしい。
「やっぱり、アイのことを考えてたんだ。原田はアイのことが本当に好きなんだね」
その言葉は、健の頭の中でこのように変換された。
「原田は私のことが本当に好きなんだね」
アイのことが好きではないと、ムキになって否定すれば、なぜ嘘をついたのかと、紗奈は疑問を抱くだろう。
アイのことが好きだと同意するにしても、本人を目の前にして、どんな顔をして言えばいいのかわからない。
なにも言えない健は、ジュースに口をつける。
チラリと紗奈を見ると、紗奈はニコニコした顔で健を見ていた。
ふと不安になる。
健は紗奈のことが好きだが、その気持ちを紗奈は、どう感じているのだろう?
一か月半ほど前、健は紗奈にガチ恋口上をした。あのガチ恋口上のおかげで、紗奈はステージの上で過度に緊張することがなくなり、本来の力を発揮できるようになった。
しかし、当時のことを振り返ると、紗奈を助けたい気持ちが強すぎて、やりすぎた気もしていた。強すぎる好意は、ときに人から気持ち悪がられたりもする。
「俺のガチ恋口上の動画が、YouTubeにあるだろ?」
半月ほど前に、前田美優というクラスメートから、ガチ恋口上の動画を、健と紗奈は見せられていた。だから紗奈も、ガチ恋口上の動画がYouTubeにあることは知っている。
健のまじめな顔に、なにかを感じとったのか、紗奈も表情を引き締めた。
「あるね」
「その動画のコメント欄に、『キモい』ってコメントがあったんだよ。俺に気を使って隠してるけど、アイも本当は気持ち悪かったりしたのかな?」
「アイがそんなことを思うわけがないでしょ」
紗奈は早口で否定した。健が疑ったこと自体を、紗奈は怒っているように見えた。
健としても、紗奈の言葉を信じたいところではあった。しかし、紗奈が優しいことは知っている。紗奈が健のために、嘘をついているのではないかと、どうしても疑ってしまう。
「本当か?」
健が念を押すと、紗奈があきらめたように、ため息を吐いた。それからポツリと漏らす。
「アイは、あの動画をよく見ているみたいだよ」
「なんでだよ?」
「あの動画を見ると、元気が出るんだって」
「本当にアイがそう言ってたのか?」
健が食いつくように尋ねると、紗奈は笑って頷く。
嬉しくて、思わず顔がニヤけた。
気持ち悪がられていなかった。それどころか、紗奈はあのガチ恋口上の動画を気に入って、何度も見てくれている。
健を励ましたくて、紗奈は教えてくれたのだろうが、その言葉は効果がありすぎた。
調子に乗った健は、自分の動画を繰り返し見ている紗奈に、偉そうに語りかける。
「そうか、そうか。アイは俺のガチ恋口上の動画を、何回も何回も見ているのか。よっぽど、俺のガチ恋口上が気に入ったんだな」
紗奈は調子に乗りすぎた健が、鼻についたらしい。健をあわてさせるようなことを、わざと言ってきた。
「なんでアイは、原田のガチ恋口上の動画を、そんなに気に入ったんだろね? 動画を見て、一緒に考えてみようか」
紗奈がスマホを操作して、ガチ恋口上の動画を再生しようとする。
健がガチ恋口上をしたのは、一か月半も前のことだ。あれから一度もガチ恋口上はしていない。
しかし、喉がつぶれるほど練習したガチ恋口上の文言は、今だに健の頭に残っていた。健の頭に、ガチ恋口上の文言が思い浮かぶ。
やっぱりアイは、可愛いよ! 好き好き大好き、やっぱ好き!
もし、紗奈に動画を流されれば、ファミレスにいる周囲の客や店員に、健のガチ恋口上が聞かれてしまう。
「恥ずかしいから、やめてくれ!」
健が必死の形相で紗奈を止めると、満足した顔の紗奈がスマホの操作をやめる。
紗奈のほうが一枚も二枚も上手だった。




