11 見ちゃった その①
明日は終業式だった。それが終われば、いよいよ待ちに待った夏休みが始まる。
夏休みが近いからなのか、下校する生徒たちの足取りは軽かった。もちろん、その中には健も含まれている。
みなが明るい表情を浮かべる中で、健の隣を歩く紗奈だけが、なぜか思いつめたような顔をしていた。
「もうすぐ夏休みだね」
「そうだな。大野は夏休みの予定とかあるのか?」
「予定はまぁ、一応考えてることはあるんだけど……」
紗奈は地面に視線を落として、言葉を濁した。
紗奈の考えている予定は、実現が難しいことなのだろうか?
健が首を傾げて紗奈を見つめていると、なんの前触れもなく、紗奈のスカートがフワリと舞い上がった。
日の光を知らぬほどに白い紗奈の脚が露になる。紗奈の履くパンツの色は白色で、太ももには煽情的なホクロがあった。
一瞬遅れて、耳をつんざくような紗奈の悲鳴が上がる。
「逃げろ!」
紗奈のスカートをめくった3人の男子小学生たちは、健たちに背中を向けて走って行く。3人ともスカートをめくることが目的のようで、紗奈のスカートの中には興味がないようだった。
男子小学生たちの背中を呆然と見送る紗奈の顔が、じょじょに赤く染まってゆく。
ギギギっと軋む音が聞こえてきそうなほど、ゆっくりと紗奈は健のほうに顔を向けた。
「見た?」
紗奈は健に、スカートの中を見たのかと聞いていた。紗奈の声の調子からすれば、「見た?」ではなくて、「覗いた?」ぐらいには聞こえた。
いやいやいや、なんで俺が悪いことをしたみたいに、なってるんだ? 悪いのはスカートめくりをした小学生だろ?
紗奈と会話をしながら歩いていたら、紗奈がスカートめくりの被害にあって、紗奈のスカートの中が偶然に見えてしまった。見ようと思って、見たわけでない。
しかし、紗奈にとって重要だったのは、スカートの中が見えた理由ではなくて、健がスカートの中を見たかどうかだった。
今の紗奈からは、尋常ならざる殺気が放たれている。どうやら、八つ当たりの相手を探しているようだ。
スカートの中を見てしまったことを正直に告白すれば、本来はスカートめくりをした男子小学生たちに向けられるべきはずの怒りが、健に向いてきそうだった。
見なかったことにするのが一番良さそうだ。紗奈もきっと、それを望んでいるだろう。スカートの中を見られなかったと知れば、紗奈の心も少しは落ち着くはずだ。
だから健は、額に浮かぶ暑さが原因ではない汗を手の甲で拭いながら、知らんぷりをすることにした。
「見たって、なにが?」
紗奈は健の顔を、じっと見ている。健が嘘をついていないか疑っているようだった。
健は、暑いな、と小さくぼやいて、手で顔を扇ぐ。
平常心を失ってはいけない。平常心を失えば、死が待っている。
「何色だった? 当てたら怒らないから」
紗奈の声はいつもより低く、静かな迫力に満ちていた。
当てたら怒らない? そう言うときは、怒ると相場が決まっているのだ。
俺はそんなヘマはしない。
「俺は本当に、なにも見てないぞ。だから、大野のパンツの色が何色かなんて、わかるわけがないだろ」
「なんで私がパンツの色を聞いたって、わかったの?」
「ん?」
健は間抜けな声を漏らした。
紗奈の顔面がヒクヒクと引きつっている。紗奈はゆっくりと噛んで含めるように、健のミスを指摘した。
「私は原田に、何色か聞いただけだよ? 原田がなにも見ていないのなら、どうして私がパンツの色を聞いたって、わかったの?」
健は目を見開いた。
そうか。そうなるのか。
健は自分が失言をしたことに気づいた。調子に乗って余計なことまで喋ってしまったから、嘘がバレてしまった。
「大野って、頭が良いんだな」
健が素直に感心すると、紗奈は大きくため息を吐いた。
「感心してる場合じゃないでしょ? なんで見てないなんて、嘘をついたのよ?」
紗奈の声が刺々しくなってきた。誰でもいいから八つ当たりをしないと、気が済まないらしい。
スカートめくりの被害にあった紗奈の胸中を思えば、誰かに八つ当たりをしたい気持ちは、わからないでもなかった。しかし、その八つ当たりの相手に、自分が選ばれるのはゴメンだ。
「そうだな。嘘はいけないよな」
「そうよ。だから――」
「白だ!」
健は紗奈の声に、自分の声を被せた。
「急に大きな声を出さないでよ。白って、なに?」
突然、大声で叫んだ健を、紗奈が驚いた顔で見ている。
そんな紗奈に、健は勝ち誇った顔で、先ほどの大声を説明した。
「大野のパンツの色に決まってるだろ。大野はさっき、『何色だった? 当てたら怒らないから』って、俺に言ったよな?」
主導権を健に奪われて、紗奈は不機嫌そうに頷いた。
「たしかに言ったけど」
「パンツの色を当てたんだから、約束通り怒るなよ。それともまさか、大野も俺と同じで、嘘をついたりしないよな?」
勝った! これで大野は、俺を許さないといけないはずだ。俺は理不尽な暴力には屈しないぞ。
「そうだね。私も嘘をつくわけにはいかないね」
ほっとしたのも束の間、健は紗奈に胸倉をつかまれた。
健の喉から、ひっという小さな悲鳴が漏れる。
「でも、私のパンツの色を大声で叫ぶのは、やめてくれないかな? 原田は私のパンツの色を叫ぶのが楽しいの?」
「ご、ごめんなさい」
健は震える声で、紗奈の許しをこう。夏だというのに、鳥肌が立った。
本気で怯えている健を見て、紗奈の怒りも収まってきたようだ。ため息とともに、健の胸倉をつかんでいた紗奈の手から力が抜ける。
「暑いんだから、これ以上暑くしないでよね」
「気をつけます」
不用意に話しかけると、またなにか失言をして、紗奈を怒らせてしまうかもしれない。
健はなにも喋らずに、紗奈のほうから話しかけてくれるのを待った。
しばらく無言で歩いた後、紗奈が健に話しかけてきた。
「原田は、夏休みの予定はあるの?」
紗奈の声は、もういつもと同じように落ち着いていた。
健は安堵の息を吐く。
「バイトだな。チェルナダのライブに行くための金を貯めるんだ」
「ちゃんと勉強もしなよ?」
「わかってるって」
健は笑って答えた。
紗奈はことあるごとに、「勉強もしなよ」と健に注意をする。
きっと紗奈が結婚して子供ができたなら、紗奈は自分の子供に、「勉強もしなよ」と口を酸っぱくして注意をするのだろう。
大野は、きっと教育ママになるな。
そんな風に言って、紗奈をからかおうと思ったのだが、喉元まで出かかった言葉を、健は飲み込んだ。
みょうに紗奈がソワソワしている。なにをそんなに紗奈は緊張しているのだろう?
「夏休みになったら、私に会えなくなっちゃうけど、原田は寂しい?」
本音を言えば、紗奈と会えなくなることは寂しかった。しかし、正直にそれを打ち明けると、なんだか自分が弱く見られてしまいそうで嫌だ。
健は身長も高くて、目つきも鋭かった。
〝寂しい〟なんて軟弱な言葉は、俺には似合わない。〝一人が好きだ〟という言葉のほうが、まだしっくりくる。
それに紗奈だって、弱い男よりは強い男のほうが好きだろう。
だから健は、紗奈に強がって見せた。
「べつに寂しくなんかないけど」
「本当に?」
「本当に」
だが、紗奈の欲しかった答えは、それではなかったらしい。
紗奈は意固地になって、健に本心を喋らせようとする。
「嘘だ。本当は寂しいんでしょ?」
ここで正直になる選択肢もあった。紗奈が健に、〝寂しい〟と言って欲しそうなのは、不満そうな紗奈の様子を見れば明らかだ。
しかし、素直になるべきときに、健はふざけてしまった。
「寂しくないって言ってるだろ。夏休み中は大野に、『勉強もしなよ』って言われなくて済むと思うと、せいせいするぐらいだな」
なにか言い返してくると思っていたのだが、意外なことに紗奈はなにも言い返してこなかった。ガッカリしたような顔で、紗奈は足元を見つめている。
今からでも寂しいと言えば、まだ間に合った。
しかし、プライドが邪魔をして、健は素直になれなかった。




