10 悪魔とその友達 その④
美優と春香のことが気になって、いまいちライブに集中できなかったが、無事にライブを終えることができた。こんな状況下でも歌詞やダンスが飛ばなかったのは、日頃の練習の賜物だろう。
ライブが終わって、いつもなら一安心するところだが、今日の本番はここからだ。
今、行われている特典会で、美優を騙せるかどうかで、紗奈が今後アイドルを続けられるかどうかが決まる。
紗奈とチェキを撮るために並んでいる人々を眺めると、その中には、やはり美優の姿もあった。春香は列には並んでいないようだったが、美優に付き添って、美優の話を隣で聞いている。
美優だけに集中したい気持ちもあったが、お金をもらってチェキを撮っているのだから、目の前にいるオタクをないがしろにはできない。紗奈はオタクたちの話に耳を傾けて、彼らの喜ぶ話題を探した。
オタクたちの笑顔を見ていると、どれだけ自分が彼らから元気をもらっているのかを自覚させられる。やっぱり私は、アイドルという仕事が好きだ。美優なんかに、この仕事を奪われたくない。
美優と春香が紗奈に近づいてきて、二人の会話が紗奈にも聞こえるようになった。美優はライブに出演していた他のアイドルの悪口を話しており、美優の近くにいるオタクが、美優の話を聞いて顔を引きつらせていた。
不意に美優が話をやめて、こちらを向いてくる。
紗奈は会話をしているオタクに、あわてて視線を戻した。
どうやら美優は、紗奈の声が聞こえることに気づいて、紗奈とオタクの話に聞き耳を立てているようだ。
チェキ券を買ってくれたオタクに申し訳ないので、紗奈はオタクとの会話に集中しようとするのだが、オタクの後ろにいる美優の視線が気になって仕方がなかった。
黙り込んだ美優に、珍しく春香のほうが声をかけた。春香はトイレへ行くと言って、美優のもとを離れて行く。
相手をしているオタクが入れ替わるタイミングで、紗奈は後ろに控えている運営スタッフに目で合図を送った。これで紗奈に扮した事務所の後輩が、特典会場の端に現れる。
女子トイレは混雑しているようで、春香がトイレから戻って来る前に、美優とチェキを撮る番がやってきた。
美優がチェキスタッフにチェキ券を渡して、ツーショット写真を頼む。
チェキスタッフに誘導された美優が、紗奈の隣に並んだ。
紗奈の体が震える。怖くて震えているのではない。武者震いだ。
今までは防戦一方だった。しかし、今度は紗奈の攻める番だ。
偽物の紗奈を美優に見せて、それが本物の紗奈だと、美優に信じ込ませてやる。そうすれば紗奈とアイが同一人物ではないと、美優に思わせることができるはずだ。
失敗するリスク? そんなの失敗したときに考えればいい。美優の驚いた顔を見るのが楽しみだ。
紗奈の表情が生き生きとしてくる。守っているのは得意じゃなかった。だてにアイドルなんて博打な商売はしていない。当たって砕けるぐらいのほうが、紗奈の性分には合っていた。
チェキスタッフがカメラを構える。
「ポーズは、なにがいい?」
もともと紗奈のときには、声でアイだとバレないように、地声より低い声を出していた。だから、美優に話しかけている今の声こそが、紗奈の本来の声だった。
予想外に元気な紗奈に、美優は一瞬だけ気圧されたようだったが、すぐに例の嫌らしい笑みで対抗してきた。
「紗奈の好きなポーズでいいよ」
いきなり美優はジャブを放ってきた。いくらなんでも、その攻撃は見え透いている。
「あなたが紗奈の話していた美優ちゃん?」
今の私はアイで、美優とは初対面だ。引っかかりはしない。
美優がニヤニヤ笑いながら頷いたので、紗奈は大人の笑顔で対応する。
「私は紗奈じゃないから、紗奈の好きなポーズなんて、わかんないよ」
「ごめんね。アイが紗奈に似てるから、間違えちゃった」
美優がかわい子ぶって、わざとらしく舌を出した。あの舌を引っこ抜いてやりたい。
美優の選んだポーズは、美優の前にいたオタクが選んだポーズと同じポーズだった。
「私の前の人がやってたハートを作るポーズはどう?」
「もちろん、それでかまわないよ」
左にいる紗奈が左手でハートの左半分を作り、右にいる美優が右手でハートの右半分を作る。二人の手を合わせればハートマークになった。
フラッシュがたかれて、写真が撮られる。
美優はチェキスタッフに誘導されて、紗奈の正面の位置に戻って行く。そのときに紗奈は、特典会場の端に目を向けた。
いるいる。紗奈の格好をした後輩は、特典会場の端で清掃の仕事をしていた。
カメラから写真が出てきて、チェキスタッフが紗奈に写真を渡す。
紗奈が写真に書き込みをする間、紗奈は美優と喋ることになっていた。
これから自分の運命が決まる。美優を騙すことに成功してアイドルを続けられるのか、それとも失敗してアイドルを辞めることになるのか、もう後戻りはできない。
成功と破滅の狭間で、紗奈の心は大一番に挑むギャンブラーのように高ぶった。
先手必勝だ。紗奈は自分から、紗奈の話題に触れてゆく。
「紗奈を借りちゃってゴメンね。次は紗奈と一緒に、ライブを観れるといいね」
美優がおかしそうに笑った。口に虫でも入ればいいのに。
「無理なんじゃない? 紗奈が観客席にいたら、ステージの上のチェルナダのメンバーが二人だけになっちゃう」
本当に美優は、どこまでも人の気分を逆なでにするのが上手い女だ。
しかし、調子に乗っていられるのも今のうちだ。すぐにその勝ち誇った顔を、蒼白に変えてやる。
「紗奈から聞いてたんだけど、美優ちゃんは勘違いをしてるよ」
「勘違いって、なにが?」
「私は紗奈じゃないよ」
紗奈がきっぱりと言い切ると、美優は挑発するような笑みを紗奈に向けた。
「本当に? じゃあ、今ここに紗奈を呼んで来られる?」
自分が優位にあると美優は過信していて、まさか紗奈が罠を仕掛けているとは夢にも思っていないようだ。
「それは無理だけど」
「なんで無理なの? アイが紗奈だから?」
美優はヘラヘラと笑っている。
やめてくれ。そんな顔を見せられると、騙された美優の間抜け面を想像して笑ってしまいそうになる。
「違うよ。紗奈はあそこで運営スタッフの仕事をしているからだよ」
紗奈は、特典会場の端で清掃をしている後輩の背中を指さした。
背格好が同じで、紗奈の眼鏡をかけ、三つ編みをして、前髪で目を隠し、今日紗奈が着て来た服を着ている後輩は、遠目から見れば紗奈にしか見えなかった。
「うそ、なんで?」
美優は後輩を紗奈だと信じたようで、驚愕に目を見開いていた。
紗奈の唇の端が吊り上がる。不安から解放され、美優の間抜け面も拝めて、最高の気分だった。
チェルナダの集客力が増え、大きな会場で特典会を開くようになっていたことが幸いしていた。そうでなければ、美優と後輩の距離が近すぎて、後輩が紗奈の偽物だとバレていたかもしれない。
紗奈が後ろにいる運営スタッフにアイコンタクトを送ると、運営スタッフは小さく頷いた。これで運営スタッフから後輩に連絡が行き、美優の入って来られない楽屋へ後輩は避難する。
紗奈は美優と撮ったチェキに、〝今日は来てくれてありがとう!〟と書き込んだ。できれば〝もう二度と来ないでね〟と書き込みたいところだったが、ぐっと堪えた。
ここまではナナセの書いた筋書き通りだった。ところが、ここでアクシデントが起こる。
楽屋へ向かう紗奈に扮した後輩と、トイレから出て来て、こちらへ走って来る春香がすれ違ったのだ。すれ違いざまに、春香は後輩の顔をマジマジと見ていた。




