10 悪魔とその友達 その③
紗奈とナナセとレイナは、ダンススタジオで膝を突き合わせて座っていた。
紗奈が美優の件を相談すると、ナナセは難しい顔をした。
「困ったことになったね」
「どうしたら、いいと思う?」
紗奈の声は不安で小さくなっていた。
今やナナセだけが頼りだ。しかし、さすがのナナセも美優は難敵だと感じているようで、表情に余裕がない。
ナナセは紗奈の不安に気づいたのか、紗奈を安心させるように表情を緩めた。
「前と同じ手を使おうか」
「前と同じ?」
紗奈がナナセに聞き返すと、今まで黙って話を聞いていたレイナが口を挟んできた。
「美優には死んでもらう」
紗奈はため息を飲み込んだ。ため息なんか聞かせたら、レイナは落ち込むはずだ。
レイナは悪気があるわけではない。才能がある人によく見られるように、頭のネジが少しばかり抜けているのだ。
「それは前に却下したレイナの案でしょ。美優が死んだら殺人っていう、もっと大きな問題になることは考えてるの?」
「だって、アニメでよく聞くセリフだったから」
子供のようにいじけたレイナは、すべてアニメのせいにした。
なにもなければレイナとアニメの話をするのも悪くなかったが、今はのんびりアニメの話をしている場合ではない。
「ごめんね、レイナ。この問題が片付いたら、後でゆっくりアニメの話をしようね」
紗奈は表情を引き締めて、ナナセに顔を向ける。
「それでナナセ、前と同じ手って、どういうこと?」
ナナセは二か月前にもした話を、もう一度、紗奈に話した。
「アイたちが待ち合わせ場所に集合したら、私も待ち合わせ場所に行くの。それで『ライブの運営スタッフが足りてないから、紗奈に手伝って欲しいの』って嘘をついて、私がアイを楽屋に連れて行ってあげる」
二か月前はその方法で、健と一緒にチェルナダのライブを観るという約束から逃れることができた。
しかし今回は、紗奈とアイが同一人物だと、美優に疑われている。
ナナセの言った方法で仮に今回は凌げたとしても、紗奈がナナセと手を組んで、美優から逃げたのは明らかだ。そんなお粗末な方法では、美優の疑いは強くなる一方で、一時しのぎにしかならない。
「海の日のライブは、その方法でなんとかなるかもしれないけど、余計に美優から疑われるんじゃない?」
ナナセは得意げな顔を浮かべる。どうやら、ここからが本題らしい。
「だから、紗奈の偽物を用意するの」
「私の偽物?」
ナナセは頷いた。
「たぶん美優は、アイとチェキを撮るよね? アイを間近で見て、アイと喋って、アイが本当に紗奈なのか、たしかめるために」
ナナセの言った通り美優なら、きっと紗奈とチェキを撮りに来るだろう。
その理由には、先ほどナナセが話した内容に加えて、紗奈をいたぶるという目的も含まれている。
「そうだね。美優なら、私とチェキを撮りに来ると思う」
「アイが美優と喋っているときに、アイは偽物の紗奈を指さして、美優に教えてあげるの。『紗奈はあそこで、ライブの運営の手伝いをしているよ』ってね。アイと紗奈が別々にいるんだから、アイと紗奈は同一人物じゃないって、美優は信じるんじゃないかな」
チェキを撮った後で、紗奈は美優と話すことになる。そのときに、美優を騙そうとナナセは言っていた。
紗奈が美優と喋っているときに、偽物の紗奈を美優に見せる。そして、その偽物を、本物の紗奈だと美優に信じ込ませるのだ。そうすれば紗奈とアイが同一人物ではないと、美優は思うはずだ。
たしかにナナセの言った方法が上手くいけば、美優を騙せるかもしれない。問題は、いかにも疑り深そうな美優に、紗奈の偽物を本物だと信じ込ませることだ。
「私の偽物ってことが、美優にバレないかな?」
ナナセは自信に満ちた笑顔で応えた。
「だいじょうぶ。アイと体形の似ている事務所の後輩の子に、紗奈と同じ髪形で、紗奈の眼鏡をかけてもらって、紗奈が当日着てきた服を着せれば、遠目からなら偽物だってバレやしないよ。もともと紗奈の髪形自体が、顔を隠すような髪形だからね」
紗奈は前髪を伸ばして目を隠していた。目と言う顔の中で一番印象に残る部分が、そもそも隠れているのだから、偽物を見分けるのは難しいはずだ。
美優を騙すことができるかもしれない。湧いてきた希望に、紗奈は全身に力が湧くのを感じた。
「ありがとう。やっぱり、ナナセは頼りになるね」
「私は?」
レイナが嫉妬した顔で紗奈をにらんでいた。
紗奈は、体育座りをしているレイナの顔を、胸に抱きしめた。それから、レイナの頭を撫でる。シャンプーの優しい匂いが、紗奈の鼻をくすぐった。
レイナの髪は特になにもしていないのにサラサラだ。紗奈がレイナの髪を手ですくうと、レイナの髪は水のように流れて、重力の向きへ真っ直ぐな線を作った。
「レイナは私の精神安定剤だから、いてくれるだけでいいんだよ」
レイナが顔を、紗奈の胸にうずめてくる。
「またおっぱい大きくなったね」
紗奈はナナセと顔を見合わせる。
どこかの中年男性が言えば、一発でセクハラ認定されそうなレイナの発言に、ナナセが呆れて笑っていた。
海の日になった。今日は美優たちと、チェルナダのライブを一緒に観に行く日だ。
美優たちとの待ち合わせ時間の3時間前には、紗奈はライブ会場に着いていた。
楽屋にステージ衣装などの入ったキャリーケースを運び込んで、リハーサルをすませる。それからライブ会場を出て、近くの本屋へ移動した。
本屋のトイレでコンタクトを外して眼鏡に変える。トイレの個室で三つ編みを作り、前髪で目を隠せば、いつもの紗奈へと戻った。
美優となるべく会話をしたくなかった紗奈は、待ち合わせの時間のギリギリまで、本屋にある雑誌を読んで時間を潰した。不安で胸が張り裂けそうで、雑誌の内容はまったく頭に入ってこなかった。
待ち合わせ時間の5分前になると、紗奈は本屋を出て、美優たちとの待ち合わせ場所であるライブ会場前へと向かった。
紗奈が待ち合わせ場所に着くと、すでに美優と春香は待ち合わせ場所で紗奈を待っていた。
「来ないかと思って、心配してたんだよ。顔色が悪いけど、だいじょうぶ?」
言葉とは裏腹に、美優は笑顔だった。紗奈をイジメて楽しんでいることを隠そうともしていない。
「だいじょうぶだよ」
紗奈は強がって笑った。
美優には弱いところを見せたくない。弱いところを見せれば、美優はさらに強い刺激を求めて、紗奈をイジメるだろう。
「紗奈!」
事前にしていた打ち合わせ通り、ナナセが紗奈のもとへ駆けつけて来た。
「なにしてるの? ライブ前に、こんなところにいていいの?」
紗奈はなにも知らないフリをして、ナナセに尋ねた。
ナナセが息を切らしながら、紗奈に事情を説明する。
「紗奈がライブを観に来ることは聞いてたから、紗奈を探してたんだよ。ライブの運営スタッフが足りてないの。紗奈、手伝ってくれない?」
「私なんかで、いいの?」
「もちろんだよ」
美優に口を挟む隙を与えぬように、紗奈とナナセは続けざまに会話を行った。
紗奈がチェルナダのメンバーと同じダンススクールに通っていることは、すでに美優には話している。だから、紗奈と親しいナナセが、紗奈に頼みごとをすることは、なんら不自然ではない。
残すは美優と春香への説明だけだ。
紗奈が美優と春香へ向き直ると、美優は呆気にとられた顔をしており、春香は興味がなさそうな顔で、あらぬ方向を見ていた。
紗奈は心からすまなさそうな顔で、美優たちに詫びる。
「美優、ごめんね。ライブの運営の手伝いをするから、一緒にライブは観られなくなっちゃった」
ようやく事態を把握した様子の美優は、感心した顔で紗奈を見つめた。
「なにかしてくるとは思ってたけど、そんな手を使ってくるんだ」
「急いでるから、もう紗奈は連れて行くね」
ナナセが紗奈の手首を握り、早くも不穏な空気を放ち始めた美優のもとから、紗奈を連れ出す。
そんな紗奈の背中に、美優は挑戦的な言葉を投げつけた。
「観客席から応援してるから、ライブがんばってね」
紗奈が走りながら後ろを振り返ると、美優は嫌らしい笑みを浮かべていた。
紗奈がすると言ったのは、ライブの運営の手伝いであって、ライブに出演することではない。
美優の応援は、紗奈に対するものではなく、アイに対するものだった。暗に紗奈とアイが同一人物だと言っているようなものだ。
その一言だけで、紗奈の心臓は縮み上がったのに、美優はさらに毒のある言葉を吐いた。
「いつまで逃げ切れるかな?」
紗奈は前を向いて、ナナセの背中だけを見て走った。
美優と距離が離れていっているはずなのに、美優の気配が影のように追いかけて来て離れなかった。




