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10 悪魔とその友達 その①

 梅雨は例年より早く明けた。

 傘を持ち歩かないといけない生活に、紗奈はうんざりとしていたのだが、いざ梅雨が明けてみると、今度は暑さにうんざりした。


 教室のエアコンはフル稼働している。にもかかわらず教室は暑くて、汗ばんだ肌に服が張りついてくる。まだ午前中なことも考えれば、この先が思いやられた。


 2018年に学校環境衛生基準の温度基準が見直され、ほとんどの教室にエアコンが設置されることになった。しかし、もともとエアコンが設置されることを想定してなかった教室に、断熱処理など施されていなかった。そのため教室は保温性がなく、エアコンの効きは極めて悪かった。

 だから、紗奈の時代でも下敷きは、うちわの役割を兼任していた。


「俺も、うちわを買おうかな」


 紗奈の手の動きに合わせてしなる下敷きを、健が物欲しそうな目で見ている。


「これは、うちわじゃなくて下敷きなんだけどね」


 健の席の隣に立つ紗奈は、小さく笑った。

 暑さでぐったりして机に突っ伏している健に、下敷きであおいで、紗奈は風を送ってあげる。

 すると健は、口を半開きにして恍惚の表情を浮かべた。


 紗奈の口もとが緩む。そんなに喜んでくれるのなら、こちらとしても、あおぎがいがある。


 なにかに気づいたようで、健の視線が下敷きから外れて、紗奈の背後へ向いた。

 紗奈が背後を振り返ると、クラスメートの前田美優と竹中春香が、こちらへ歩いて来ていた。

 紗奈は警戒心に体を硬くする。この二人は苦手な相手だった。


 入学当初、紗奈は美優ともよく話していた。しかし、だんだんと美優の人となりがわかるにつれて、美優とは距離を置くようになった。


 美優は人の気持ちを不快にするようなことを、笑顔でする人間だ。美優の周りでは、いつも小さな争いが起こっている。一学期も終わりに近づいた今では、美優に話しかけに行く者は春香以外にはいなくなっていた。


 春香は美優の親友だった。

 二人と同じ中学校に通っていた紗奈の友達の話によると、生意気で無視ばかりする春香は、それが原因で、中学校のときには酷いイジメにあっていたそうだ。そのイジメの現場を美優はスマホで隠し撮りし、その動画を使ってイジメっ子を脅迫して、イジメっ子からお金を巻き上げた。同時に春香へのイジメもなくなったらしい。


 美優のしたことは立派な犯罪だが、それで春香はイジメから救われた。それ以来、美優と春香はいつも一緒にいる。


 学校の問題児二人が手を組んだのだから、当然、トラブルは増えると思われていた。しかし、その予想は良いほうに裏切られて、逆にトラブルは減った。

 美優は前に比べて、どういうわけか大きな揉め事を起こさなくなった。

 春香のそばには敵に回すと厄介な美優がいるため、春香が生意気でも、みんな春香にかまわなくなった。


 春香は誰に対しても無表情で接するため、感情が読みにくい。おまけに、紗奈が口にしたこともないような汚い言葉を、春香は平気で使っていた。苦手意識で言えば、美優に感じるものと、そう変わりない。


 できれば自分たちの前を素通りして欲しかったのだが、紗奈の願いは叶わなかった。

 美優は健の前で足を止めると、持っているスマホを操作してから、スマホの画面を健の眼前に突きつけた。


「これって、原田だよね?」


 スマホの画面を見た健は目を剥いた。


 美優のスマホから流れて来る曲と歌声に、紗奈は聞き覚えがあった。聞き間違えるわけがない。聞こえて来る曲はチェルナダの曲で、歌っているのは紗奈だ。

 紗奈は健と顔を並べて、スマホの画面をのぞき込んだ。


 スマホの画面に映っていたのは、YouTubeの動画だった。

 昔、大ヒットした映画のタイトルをもじったのだろう。〝世界の中心で、ガチ恋口上をさけぶ〟というのが、動画のタイトルだった。


 動画の内容は、チェルナダのライブを観客がスマホで撮影したもののようで、曲に合わせて踊る健の姿が、斜め後ろの位置から撮られている。ステージの上で踊る紗奈も、同じく映像に収められていた。

 美優が動画のシークバーを操作して、動画を5分ほど早送りする。その時点が最もリプレイ回数が多いようで、シークバーに触れたときに薄っすらと現れる白い波形が、最も盛り上がっていた。


「会った瞬間、一目ぼれ!」


 音割れした健の声が、美優のスマホから聞こえてきた。

 床に向かってオリジナルのガチ恋口上を叫ぶ健と、ステージの上から呆然と健を見降ろす紗奈が、美優のスマホに映っている。


「動画を止めてくれ」


 よほど恥ずかしいのか、健は耳まで真っ赤になっていた。

 しかし、美優は健の頼みを無視して、動画を止めずに健の反応を楽しんでいる。


 紗奈は美優に注意しようか迷った。相手は美優だ。怒らすと、とんでもないことになる。

 紗奈が逡巡していると、春香が口を開いた。


「美優、耳障りだから止めてくれない?」


 耳障りという言葉が気に入ったようで、美優は噴きだした。それからヘラヘラ笑いながら動画を止めて、春香に形だけの謝罪をする。


「ごめんね。キモオタの声なんか聞かせちゃって」


 怒りを通り越して、紗奈は唖然とした。

 健も驚いたようで、放心した顔で美優を見ている。


 二か月ほど前に、健は佐々木と中野と言うクラスメートの女子に、アイドルオタクであることをバカにされたことがあった。健は今のようにショックを受けていて怒らなかったので、代わりに紗奈が佐々木と中野に注意をした。

 そのときの健を見て、この程度では怒らないと思って口にしたのだろうが、いくらなんでも踏み込み過ぎた発言だった。


 美優は健の感情を無視して、再びスマホの画面を健の顔に突きつける。


「この動画に映っているオタクって、原田だよね?」


 健も紗奈と同じで、美優を怒らすと危険なことは知っている。みながそうするように、美優との争いを避けるため、健は大人しく美優の質問に答えた。


「そうだけど。なんでYouTubeに俺の動画があるんだよ」


 健の後半の言葉は美優への質問ではなく、動画を投稿した者に対する不満の言葉だった。

 そんなこともわからないのかと、美優は鼻で笑う。


「こんな面白い動画が撮れたら、そりゃ誰だって投稿するでしょ」


 一昔前は、アーティストのライブと言えば、日本では撮影不可が当たり前だった。その理由は、著作権や肖像権の侵害になるからだ。

 しかし、海外では撮影可能なアーティストが多く、日本でも撮影を許可するアーティストは増えていた。


 無名だったアイドルが、観客の撮った奇跡の一枚で、一躍その名を広めた出来事があったように、観客が投稿した動画や写真はプロモーションになる。

 国内で活動するアイドルの数は、メジャーアイドルから紗奈たちのようなライブアイドルまで含めると、一万人を超えるとまで言われていた。競争の激しいアイドルの世界で、自分たちのことを知ってもらえるのなら、どんな手でも使いたい。そんなプロデューサーの意向もあり、チェルナダはライブの撮影を許可していた。


 美優のスマホに映る動画の再生回数に目を向ければ、再生回数はゆうに百万回を突破している。

 チェルナダもYouTubeに動画を投稿しているが、その動画の再生回数は最近になって急激に増えていた。おそらく健のガチ恋口上の動画がバズッて、その視聴者がチェルナダの公式チャンネルへ流入してきたのだろう。


 美優が白く細い指で、スマホの画面に映る紗奈を指さした。


「原田の好きなアイドルって、この子なの?」

「そうだよ。悪いか?」


 健の声には剣呑な響きが含まれていた。自分のことなら多少は我慢するが、アイのことはバカにするなと言外に匂わせている。


「やっぱり、そうなんだ」


 楽しげに笑う美優は、健ではなく、なぜか紗奈に視線を向ける。

 美優の愉悦に満ちた瞳に、紗奈は背筋が冷たくなった。

 なんで美優は、原田じゃなくて私を見てるの? なにが、そんなに楽しいの?


「用はそれだけだから。じゃあ、またね」


 紗奈に恐怖を植えつけた美優は、春香を連れて紗奈たちのもとを離れる。

 美優が健をからかいに来たのかと思っていたが、美優の最後の一瞥を見る限り、美優の真の標的は紗奈のようだ。

 美優がなにを考えているのかはわからないが、紗奈を不幸にすることなのは間違いない。

 またね、という美優の言葉が、耳にへばりついて離れなかった。




 美優からなにかされるのではないかと、紗奈は不安な日を過ごしたが、それから美優が紗奈に近づいて来ることはなかった。

 美優が紗奈に、なにか良くないことをするなんて感じたのは、ただの勘違いだったのではないか? クラスメートなのだから、話す機会なんていくらでもある。またね、という言葉に、深い意味なんてなかったのだ。


 しだいに紗奈は、そんなふうに楽観的に考えるようになっていた。

 紗奈が一人で下校していたときに、その考えは打ち砕かれた。


「紗奈、ちょっといい?」


 突然、後ろから名前を呼ばれて、紗奈は飛び上がるほど驚いた。

 後ろを振り向くと、美優と春香がいる。美優は紗奈が一人になるのを待っていたのだ。これから、健や理子の前では、できないような話をしてくるに違いない。


「なに?」


 紗奈は近寄って来る美優と距離をとった。

 警戒心も露な紗奈を見て、美優は唇を笑みの形に歪ませる。


「人に聞かれたくない話だから、場所を変えない?」


 前置きがあまりにも不気味過ぎた。これで素直に美優について行くほど、紗奈はバカではない。


「ごめん。ちょっと用事があるから、また今度ね」


 紗奈は忙しいフリをして帰ろうとした。

 だが美優も、簡単に紗奈を逃がしはしない。


「紗奈の秘密を言いふらしてもいいの?」


 美優の言葉を背中に受け、大きな秘密を抱える紗奈は、石像のように体の動きを止める。

 美優に、紗奈がアイだとバレたのか?

 美優の勝利に酔いしれた声が、紗奈の耳朶を打った。


「ついて来てくれるよね?」


 紗奈は静かに瞼を閉じた。

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