8 生誕祭 その④
居酒屋から帰って来た英樹は、自室にある椅子に座っていた。
パソコンもテレビもつけておらず、部屋はしんと静まり返っている。
英樹の頭の中では、今までに起こった様々な出来事が渦を巻いており、後は悲しい現実を受け入れるのみとなっていた。しかし、なかなか踏ん切りがつかない。
酔いもすっかり覚めた英樹は、机の上に置かれたアルバムを手にとる。
アルバムの表紙は、アイのライブ衣装に似せた装飾が施されており、その装飾は専門の業者に頼んでしてもらった。本当は英樹の手で装飾を施したかったのだが、手先の不器用な英樹では出来の良いものが作れなかった。それでやむなく業者に依頼したのだ。
装飾に失敗しても作り直せるように、念のために買っておいた予備のアルバムは、部屋の隅に積まれて、埃がうっすらと積もり始めている。
英樹は装飾が施されたアルバムの表紙をめくった。アルバムの中には、アイのファンから集めたメッセージカードが貼りつけられてある。
英樹はアルバムをめくり、健のメッセージカードを探した。健のメッセージカードは、アルバムの後半のページに貼りつけられてあった。
〝誕生日おめでとう! アイと出会ってから色々なことがあったけど、そのどれもがオレの宝物です。これからもアイを応援するので、よろしくお願いします! 原田健〟
このメッセージカードを、きっとアイは何度も読み返すのだろう。
英樹は負けを認めざるを得なかった。
健は生誕祭の準備を、文句一つ言わないで手伝ってくれた。
メッセージカードを集めるときにはトラブルを解決してくれたし、今日のミーティングでも、健がいなければ大変なことになっていただろう。
若さや容姿の良さだけではない。健は誰からも好かれる性格をしていた。
しかし、せめて一矢報いたかった。恋愛では負けても、プレゼント勝負ぐらいなら、なんとかならないだろうか?
机の上には、生誕祭のプレゼントとしてアイに贈る予定の入浴剤があった。アイのXを見ていると、アイは入浴が好きなことがわかったから、アイには入浴剤を贈ろうと決めていた。
こんなありきたりなプレゼントでは、健がアイに贈るプレゼントには勝てないだろう。健がアイになにをプレゼントするのかは知らないが、健から贈られたものなら、アイはなんでも喜んで受けとるに違いない。
アイにとって大事なのは、プレゼントの中身ではなくて、誰がそのプレゼントを贈ってくれたかだ。よほどアイの欲しいものでもない限り、プレゼントを開ける前から勝負はついている。
プレゼントに価値があるのではなく、それを贈る健に価値がある。
英樹がそのことに気づいたとき、今まで想像もできなかったような閃きが、英樹の頭を貫いた。
英樹は興奮してXを開く。直近でポストした写真は、生誕祭実行委員会のミーティングで撮った写真だった。
写真には、ビールで乾杯をする生誕祭実行委員たちに交じって、一人だけオレンジジュースで乾杯をする健の姿が写っている。
これだ! これなら健のプレゼントに勝てる!
英樹は急いでアイのプレゼントの作成に取りかかった。プレゼントの作成は深夜にまで及んだが、アイの喜んだ顔を想像すると眠気は吹き飛んだ。
プレゼントを作り終えた英樹は、アイにプレゼントする予定だった入浴剤を湯船に放り込んだ。もう入浴剤は必要ない。もっと良いプレゼントが見つかった。
ローズの香りがする湯船に浸かりながら、英樹は上機嫌にチェルナダの歌を口ずさんだ。
一度ぐらい俺が勝負に勝ってもいいだろ? いつも主役ばかりが勝負に勝っては、おもしろくないはずだ。
物販ブースでチェキ券を購入した英樹は、アイに贈るプレゼントを、会計スタッフに差しだした。
「アイの誕生日プレゼントです。アイに渡して下さい」
「お預かりさせていただきます」
会計スタッフが英樹からプレゼントを受けとった。
プレゼントにはマスキングテープでメモ用紙が貼ってある。そのメモ用紙には〝チェルナダのアイ様へ〟という宛名と、プレゼントした者が誰かわかるように英樹の名前が書いてあった。
アイは事務所に所属しており、アイの所属する事務所では、アイドルにプレゼントを贈りたい場合は、運営スタッフにプレゼントを渡すことになっていた。運営スタッフはファンから預かったプレゼントをチェックして、問題がないものだけをアイドルに渡すようになっている。
チェキ券を手にした英樹は、アイとチェキを撮る列に並んだ。さすがに今日の主役だけあって、アイの列はいつにもまして長かった。
列に並ぶファンは、みな満足そうな顔をしている。それもそのはず、アイの生誕祭は大成功だった。
アイのソロによる歌唱とダンスでは、アイの成長を見ることができた。
その後には珍しいアイのMCがあった。アイのMCは、会場まで足を運んで来てくれた観客に対する感謝の言葉から始まった。その次の、デビューから今までの軌跡を振り返るところまでは良かった。ライブ後に自宅で食べるアイスクリームが好きという話になったときに、アイの話は脱線し始めた。
アイの話によるとアイスクリームは光に弱いそうで、明るい光に当たると、乳脂肪の酸化による風味の劣化を起こすらしい。だからアイは、アイスクリームを食べるときは暗闇で食べているそうだ。ご丁寧にアイは、アイスクリームを食べるときには暗闇で食べるように、観客に注意喚起までして見せた。
生誕祭とは欠片も関係のないアイのマニアックな話に、笑いをこらえる観客が続出した。そこでようやくアイは自分が場違いな話をしていることに気づき、会場では堰を切ったような笑いが起こった。
見計らったかのようなタイミングで、ナナセとレイナがケーキを持ってステージに登場する。ナナセはアイに、アイスクリームではなくてケーキを持ってきたことを詫びた。ナナセの狙いすましたボケで、さらに会場は笑いに包まれた。
そして、涙ぐむアイに向かって、みんなでハッピーバースデートゥユーを歌ったときに、会場は一つになった。
どの瞬間も、英樹にとっては印象深いものばかりだ。
しかし、英樹がもっとも印象に残っているのはアイの視線だった。
英樹は健の隣にいたのだが、アイの視線は英樹を素通りして、いつも隣の健でとまった。アイの視線は残酷なほどに正直だった。
英樹がメランコリックな気分に浸っていると、英樹のチェキを撮る番がやってきた。
今日が誕生日のアイに、こんな辛気臭い顔は見せられない。英樹は気持ちを切り替えると、笑顔を作った。




