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8 生誕祭 その③

 いつもの英樹なら、特典会では複数枚のチェキ券をチェキスタッフに渡して、アイと長時間のお喋りを楽しむ。しかし、今日の英樹には、アイとお喋りを楽しむ時間はなかった。

 今日はアイとチェキを撮るために並んでいるアイ推しのファンから、生誕祭にアイにプレゼントするメッセージカードと、生誕祭に使うためのカンパを集めることになっていた。

 英樹はアイの列に並んでいるファンに声をかける。


「生誕祭にアイに贈るメッセージカードの記入を、お願いできないでしょうか?」

「いいですよ」


 ファンが快く応じてくれたので、英樹はクリップボードとメッセージカード、それにボールペンをファンに渡した。

 メッセージの書き込みを待つ間、他の生誕祭実行委員の様子が気になって、英樹は顔を横に向けた。


 他の生誕祭実行委員も、英樹と同じように上手くやっているようだ。その中には健の姿もあった。メッセージカードとカンパを集めるために、何度も頭を下げている健を見ていると、健への敵対心が和らぐのを感じた。


 俺も健に負けないようにがんばろう。

 メッセージカードの記入を終えたファンから、先ほど渡したものをすべて回収する。それから、カンパについてもお願いしてみた。


「少額でもけっこうですので、アイの生誕祭に使うカンパもお願いできますか?」

「もちろんです」


 英樹はファンから、お金を受けとった。


「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」


 英樹はファンに向かって頭を下げた。

 今のファンのように快く応じてくれるファンばかりならいいのだが、もちろんそんなファンばかりではない。中にはカンパを拒むファンだっている。

 アイを推しているファンの中にも、カンパを拒むファンはいた。


「なにがカンパだよ。本当にカンパした金をアイのために使うのか? お前らの懐に入るんじゃないのか?」


 男の怒声が特典会場に響き渡った。一人のファンが剣呑な目で、生誕祭実行委員をにらみつけている。

 運が悪いことにトラブルに巻き込まれたのは、生誕祭実行委員の中でも気の弱い男だった。


「そ、そんなことしませんよ」


 生誕祭実行委員は震える声で、ファンの考えを否定した。その声は、不正がバレそうで怯えている声に聞こえないこともなかった。

 余計に疑いを深めた様子のファンは、生誕祭実行委員に疑心に満ちた顔を近づけた。


「本当か?」


 英樹は運営スタッフに視線を向ける。運営スタッフのほうでも、すでに騒ぎは把握しており、運営スタッフ同士で意見を交換しているようだった。

 英樹は唇を噛んだ。事態は悪い方向へ転がっている。


 近頃では、生誕祭実行委員会の発足自体を禁止しているアイドルもいた。その理由は、今起こっているようなアイドルオタク同士によるトラブルを防止するためだ。

 今起こっている問題をすぐに解決しないと、アイの生誕祭実行委員会の解散命令だってありえた。


「今年使い切れなくて余ったカンパは、どうすんだよ? お前らが着服していないのなら、俺に教えてくれよ」


 カンパを拒んだファンが、さらに語気を強める。早く事態を鎮めに行かないとまずそうだ。

 英樹は騒動の発生した地点へ走って向かう。

 しかし、英樹が着くより先に、健がその騒動の中へ割って入った。


「カンパで集めたお金が余った場合には、そのお金は来年のアイの生誕祭で使わせて頂きます。頂いたカンパは、すべてアイのために使いますので、ご安心下さい」


 英樹は瞠目した。

 まだ高校生なはずの健の敬語は、それなりに板についていた。相手は怒りに顔を紅潮させているというのに、健は落ち着き払っており、その振る舞いは堂々たるものだ。健は接客関係のアルバイトでもしているのだろうか?


 そして、なによりも素晴らしいのは健の真摯な瞳だった。健の目は真っすぐで、私利私欲に溺れた人間の目には、とても見えなかった。こればかりは健の生まれ持った真っすぐな性格がなせるものだろう。


「お前が言うなら信用してもいいか。千円でかまわないか?」


 カンパを拒んだファンが態度を軟化させた。

 健はガチ恋口上でアイを救ったオタクとして、チェルナダのファンたちから一目置かれていた。だから、一度は疑ったファンも健の言葉は信じたのだろう。


 英樹はスマホで、ファンからカンパを受けとる健を撮った。これも生誕祭実行委員会の活動報告に使えそうだ。

 英樹の口元に自然と笑みが浮かぶ。健を仲間に加えておいて良かった。

 

 

 

 アイの生誕祭は、いよいよ明日に迫っていた。

 英樹は生誕祭実行委員のメンバーを居酒屋に集めて、最後のミーティングを行っていた。もっともミーティング自体は早々にすませて、今はミーティングという名の飲み会になっている。


 どうにかやるべきことは、すべて果たすことができた。夏休みの最後の日に宿題を終わらせたような気分で、英樹は充実感でいっぱいだった。苦労を共にした他のメンバーも、おそらく同じような気持ちだろう。みんな満ち足りた顔をしている。


 生誕祭実行委員の中でも、いくらかの意見の対立はあった。しかし、なんとか英樹はみんなの意見を束ねて、ここまでみんなを導いてきた。そのことは、きっと他のメンバーも認めてくれているはずだ。


 英樹は他のメンバーが、英樹のリーダーシップを高く評価してくれていると思っていた。だから、英樹が生誕祭実行委員のリーダーであることに不満が出るなんて、想像もしていなかった。

 最後のミーティングも終わり、そろそろ解散しようというときだった。

 眼鏡をかけた酒井という男が、思いもよらぬことを言いだした。


「来年は僕に、生誕祭実行委員のリーダーをやらせてくれませんか?」


 酒井の一言で、和やかだった場は凍りついた。

 静かになった酒の席で、酒井はあまり上手いとは言えない演説を打つ。


「僕がアイのために一番お金を使っていると思うんです。だから、野原さんより僕のほうが、生誕祭実行委員のリーダーにふさわしいんじゃないでしょうか?」


 アイドルオタクが集まると、オタク同士でマウントの取り合いが行われることがある。

 生誕祭実行委員のリーダーという立場は、オタクにとっては一種のステータスだ。生誕祭実行委員そのものがトップオタクの集まりで、その中のリーダーともなれば、トップオタクの中のトップだからである。


 健のように、そんな肩書になんの興味も示さない者もいれば、酒井のように固執する者もいる。酒井は先ほどの演説を言いだすタイミングを、ずっと伺っていたのだろう。


 困ったことになった。

 英樹がアイのために、どれだけお金を使ったのかをここで話して、酒井と張り合うことは簡単だ。だが、そんなことをすれば険悪なムードになるのは目に見えている。

 かといって、酒井の勝手な主張を認めてしまえば、英樹だけでなく他の生誕祭実行委員も不満を抱くだろう。


 今までずっとそうしてきたように、英樹は生誕祭実行委員のリーダーとして物事を考えていた。今すべきことは酒井と喧嘩することではなく、この場を丸く収めることだ。

 しかし、突然のことに混乱して、すぐには良い案が思い浮かばない。

 みなが黙り込む中で、酒井は獲物を見つけた。


「原田くんも、来年は僕のほうがふさわしいと思いませんか?」


 この中で、もっとも若い健が一番くみしやすいと考えたのか、酒井は健に同意を求めた。

 しかし、健は毅然とした態度で、酒井の言葉をきっぱりと否定した。


「俺は、来年の生誕祭実行委員のリーダーも野原さんでいいと思います」


 健の言葉に一番驚いたのは、おそらく英樹だろう。健がそんなにも高く英樹を評価してくれているとは思ってもいなかった。


 みなが息を呑み、場が静かになる。他の席から聞こえてくる喧騒が、やけに遠く聞こえた。

 唖然としていた酒井だったが、戦う意思を取り戻したのか、ムッとした顔で健をにらんだ。


「どうしてですか? なんで僕ではダメなんですか?」


 一つ言葉を間違えれば、言い争いに発展しかねない。

 健もその点は承知しているようで、一語一語噛みしめるように言葉を紡いだ。


「酒井さんは、生誕祭の企画や必要なものの発注、チェルナダの事務所との交渉、それに生誕祭実行委員内での意見の調整を、野原さんより上手くできますか?」

「それは……」


 酒井が言いよどむ。酒井は生誕祭実行委員のリーダーという肩書が欲しかっただけで、リーダーに必要な資質は持ち合わせていなかった。


 勝手な主張をした酒井を、健はとがめることができたはずだ。しかし、健は酒井を見放しはしなかった。

 厳しい顔をしていた健だったが、打って変わって、柔和な笑みを浮かべる。どこかで見たことのある笑顔だなと思ったら、それはアイの笑顔だった。


「酒井さんは絵が上手いですよね。酒井さんのおかげで、フラスタやメッセージカードのデザインが、とても良いものになりました。酒井さんには酒井さんにしかできない得意分野があります。だから、酒井さんはそちらに専念するほうが、アイのためになるんじゃないでしょうか?」


 酒井は呆れたように笑った。


「けっきょく、アイのためですか。僕を慰めてくれるのかと思って聞いていたのに、聞いて損をしましたよ」


 小さな笑い声が起こり、それはやがて大きな笑い声へと変わった。

 またも英樹は健に助けられた。本当に健は役に立つ男だ。

 健が生誕祭実行委員の活動をいい加減にすれば、それを公にして、健の株を落としてやろうと考えていた過去の自分を恥じた。


 アイと同じ笑顔を浮かべる健の隣に、アイの姿を思い描いてみる。なんの違和感もなく、寄り添う二人がイメージできた。

 英樹がいる世界とは違う世界に、アイも健もいるように感じた。いくら必死に手を伸ばしても、英樹には手が届きそうになかった。

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