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8 生誕祭 その②

 特典会場の出口に着いた英樹だったが、そこでクルリと反転する。今日の英樹は家に帰る前に、やらなければならないことがあった。


 特典会場の出口の近くで、英樹は目的の人物がやって来るのを待った。

 待っている時間はイライラさせられた。アイとチェキを撮るために待っている時間は、興奮で胸が高鳴るのに、今の気分はそれとは真逆だ。


 目的の人物が視界に入ると、英樹の顔は険しくなった。

 その男は高身長で精悍な顔をしていた。おまけに年齢だって、英樹より二十歳近くは若い。

 英樹は顔に笑顔を貼りつけると、その男――健に声をかけた。


「健くんだっけ? ちょっと俺の話を聞いてもらえないかな?」

「いいですけど、どんな話ですか?」


 話すのは今日が初めてだったが、お互いにチェルナダのライブの常連で、顔見知りではあった。だから健も英樹に対して、それほど警戒心は抱いていないようだ。


「健くんは、俺がアイの生誕祭実行委員をしているのは知っているかな?」

「生誕祭実行委員?」


 健は生誕祭実行委員も知らないようだった。

 健の知らないところでアイの生誕祭の準備のために、どれだけ自分が労を惜しまずに働いてきたか教えてやりたくなったが、それはやめておいた。そんなことをすれば、やたら自分の努力や苦労をひけらかす会社の上司と変わりない。


「生誕祭実行委員っていうのは、アイドルの誕生日を祝うための有志による非営利団体だよ。俺はその生誕祭実行委員のリーダーをやっている野原って者だ。その様子だと、俺がXで生誕祭実行委員のメンバー募集をしていることも知らないよね?」


 生誕祭実行委員を務めるのは、アイドルオタクの中でもトップオタクばかりだ。トップオタクとは、文字通りアイドルオタクの頂点のことで、英樹はアイのトップオタクだった。


 英樹はアイのために、物販会ではアイのグッズを欠かさず購入し、特典会では一度に複数枚のチェキ券を使っていた。ライブだって、チェルナダを知ってからは皆勤賞で通っている。他のオタクとも積極的に情報交換をし、アイ界隈では名前が知られていた。

 英樹は過去に、べつのアイドルの生誕祭実行委員を務めた経験があり、アイの生誕祭を知って、自らアイの生誕祭実行委員会を発足したのだった。


 しかし、他のオタクと積極的にコミュニケーションをとらない健は、英樹が生誕祭実行委員会を発足したことも知らなかったようだ。


「すいません。知りませんでした」

「いや、謝らなくていいよ。知らなくても悪いことじゃないから」


 英樹は、あわてて健に優しい声をかける。

 健の無知を責めるつもりはなかったのに、健に対する嫉妬から、つい言い方が刺々しくなってしまった。

 健が素直に謝るものだから調子が狂わされる。もっと嫌なヤツのほうが、憎むべき相手として気持ちの整理はつけやすかった。


「その生誕祭実行委員会に、健くんも入って欲しいんだけど、どうかな?」

「俺がですか? なんでですか?」


 健が不思議そうに聞いてくる。本当に理由がわかっていないようだ。

 その理由を口にするのは、自らの敗北を認めるようなものだった。しかし、アイのことを思えば、なんとしてでも健には、生誕祭実行委員会に入ってもらいたかった。


「健くんがアイのオキニだからだよ」

「オキニ?」


 それも説明しろと言うのか。

 他の生誕祭実行委員に、健を生誕祭実行委員に誘う役目を任せなくて良かった。もし気の荒い生誕祭実行委員に任せていたら、健は殴られていてもおかしくはなかった。


「お気に入りって意味だよ。きみはアイのお気に入りのファンだろ」

「俺がですか?」


 健が自身の顔を指さして、英樹に尋ねた。


 こいつ、俺を挑発しているのか?

 英樹が訝しげな目で健を見ると、健は戸惑ったような顔をした。どうやら本当に気づいていなかったらしい。

 英樹はため息を飲み込むと、努めて冷静な声を出した。


「健くんは気づいていないみたいだけど、みんなそう思ってるよ」


 健は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、目をパチパチと瞬いている。


 健がオリジナルのガチ恋口上をして、不調だったアイを救ったことは、まだ記憶に新しい。一部の者からは、健のガチ恋口上がなければ、アイはチェルナダを卒業していたかもしないとまで言われていた。

 それほどの危機からアイを救った健は、アイのファンだけでなく、ナナセやレイナのファンからも感謝されていた。目覚ましい活躍を続けるチェルナダの、さらなる躍進の原動力となったのは、アイのパフォーマンスの向上によるところが大きかったからだ。


 健は見た目も良くて、年齢もアイと近い。そのうえ、アイを不調から救ったのも健なのだから、アイが健を気に入るのは自然なことだ。


 英樹にとって健は、いわば恋敵だった。健は英樹のことをまったく敵視していないようだが、英樹は健と会話することさえ避けていた。


 しかし、アイのことを思えば、今回ばかりは健を避けるわけにはいかなかった。アイもお気に入りの健に、生誕祭を祝って欲しいだろう。嫉妬に狂って、アイを不幸にするようなことだけはしたくない。


 それに英樹としては、この機会にライバルである健のことを知りたかった。もし健が生誕祭実行委員の活動をいい加減にすれば、それを公にして、健の株を落としてやろうという暗い策略もあった。


「きっとアイも、オキニの健くんに誕生日を祝ってほしいはずだ。協力してくれないかな?」


 健は、英樹の言葉の裏に隠された暗い気持ちには気づいていないようだ。澄んだ瞳で英樹を見つめている。


「わかりました。俺も生誕祭実行委員会に入らせてもらいます。俺は、なにをしたらいいんですか?」


 生誕祭実行委員会の主な活動内容は、フラワースタンドの発注にメッセージカードの収集、生誕祭開催前にサイリウムを他の観客に配布することだ。

 フラワースタンドについては、すでに英樹が発注をすませてあった。


「生誕祭では、メッセージカードを収納したアルバムをアイに贈ろうと思ってる。だから、明日の特典会のときに、他のアイ推しのオタクから、メッセージカードを収集するのを手伝ってくれないか?」

「わかりました」


 健は英樹の頼みを快く引き受けてくれた。返事も簡潔で、余計なことも聞いてこない。

 多少、勘の悪いところもあったが、健は従順で気持ちの良い若者だった。もし健がアイのオキニでなかったら、健とは仲の良いオタク友達になれたかもしれない。


 英樹はスマホを取りだして、健に見せた。


「ちょっと健くんの写真を撮らせてもらってもいいかな?」

「どうしてですか?」


 健が身構えた。どうやら写真を撮られるのは苦手らしい。それだけ見た目が良いのだから、写真ごときで緊張する必要なんてないだろうに。


 見た目が良い人間は総じて自分に自信を持っていて、英樹はそんな人間と接すると、自分との違いを実感してしまう。だから、健があまり自分に自信を持っていないことに、英樹は親しみを感じた。

 英樹は健の警戒をほぐそうと、柔らかな笑顔を健に向ける。


「生誕祭実行委員会の活動内容を、Xにポストするためだ。健くんが生誕祭実行委員会に入ったのはビッグニュースだからね」


 生誕祭実行委員会の活動内容には、生誕祭に使うカンパを集める活動も含まれている。生誕祭実行委員会の活動内容を、他のオタクたちにも目に見える形で示さなければ、カンパの使途を巡って、あらぬ疑いをかけられることもあった。

 ちゃんと理由を説明しさえすれば、健が写真の撮影に応じると思っていたのだが、予想外に健は写真を撮られることを渋った。


「俺、写真とか苦手なんですよね」

「じゃあ、俺と一緒に写真を撮ろう。俺と一緒でも恥ずかしいかな?」


 英樹が口元に笑みをにじませると、健は英樹の挑発に乗ってきた。


「べつに恥ずかしくないですよ。いいですよ、撮りましょう」


 その返事を待っていた。

 英樹は健の気が変わらぬうちに、急いで写真を撮りにかかる。


 英樹が健の隣に並ぶと、健はずいぶんと背が高かった。

 それならばと、英樹は持っていた傘を床に置く。それから、健の肩に腕を回し、健の顔を自分の顔に抱き寄せた。


「ちょっと、なにするんですか?」

「どうせ撮るなら、仲の良さそうな写真を撮ろう。生誕祭実行委員は、みんな仲良しってアピールしたいんだよ。ほら、健くんも笑って」


 健にはそう説明したが、本当の目的は健を屈ませることだった。こうすることで頭の高さが同じになり、健と自分の身長の差を比べられることもなくなる。


 英樹が横目で健を見ると、健は下手くそな作り笑いを浮かべていた。

 英樹は健の顔がおもしろくて笑った。

 その瞬間に、英樹はシャッターボタンを押した。

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