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7 プレゼント その③

 健と紗奈が百貨店を出ると、もう雨は止んでいた。

 百貨店に入る前に紗奈が言っていた通り、雨は止んで傘を買う必要はなくなった。同時に相合傘をする必要もなくなったことになる。

 紗奈は雲の切れ間から差し込む美しい光を見て、つまらなさそうにつぶやいた。


「雨、止んだね」

「そうだな」


 できれば雨には、もう少しがんばって欲しかった。雨が降っていれば、紗奈ともう一度、相合傘ができたのに。

 二人そろって力なく空を見上げていると、紗奈が口を開いた。


「その傘は原田にあげるよ」

「なんでだよ?」

「ポーチを私にプレゼントしてくれたでしょ? そのお返し」


 健は紗奈からもらった傘を見てみる。カーキ色の傘は、男の健が使うにしても違和感のないデザインだった。

 しかし、あまり値の張るものだと、本当にもらっていいものなのかどうか迷う。


「これ、いくらしたんだ?」


 健が紗奈に傘の値段を聞くと、紗奈はくすりと笑った。


「ほら、原田だって値段を気にしてるじゃん。プレゼントは高すぎてもダメなんだよ。相手に気を使わせちゃうからね」

「たしかにそうだな」

「安心してよ。その傘は二千円もしないから。私は差し引き五千円の儲けってわけ。絶対に、このポーチは返さないからね?」


 紗奈はポーチを健に渡すまいと、ポーチを胸にきつく抱きしめた。

 そんな紗奈に、健は呆れたような笑みを返す。


「俺はプレゼントする相手を間違えたのかもしれないな」

「いや、大正解だよ」


 紗奈は自信満々に口角を吊り上げた。

 たしかに大正解だった。紗奈が調子に乗り過ぎているのは少し鼻についたが、紗奈が喜んでいる姿を見られて、健は満足している。


 紗奈となら、いつまでも喋っていられそうだった。しかし、夏至を過ぎたばかりで日暮れが遅いとはいえ、時刻はもう午後の6時を過ぎている。


「大正解さん、遅くならないように、そろそろ帰らないか?」

「そうだね。帰ろっか」


 紗奈と一緒に駅へ向かいながら、健は紗奈からもらった傘を見る。

 この傘は大事に使おう。紗奈も同じように思っていてくれたらいいのだが。

 健がそんなふうに考えていると、紗奈も同じことを考えていたらしい。


「これ一生大事にするからね」


 紗奈はポーチを両手で持って、愛おしそうにポーチを眺めている。こんな顔を見るために、みんなプレゼントを家族や恋人に贈るのだろう。


「一生は嫌だな。臭くなりそう」

「なんてこと言うのよ。アイが私と同じことを言っても、原田は同じように返すわけ?」

「アイの場合は良い匂いだから言わない」


 健がふざけると、紗奈は頬を膨らませた。


「なんでアイと私で違うのよ」


 そこで紗奈は、なにか良いことを思いついたような顔をした。


「じゃあ、このポーチがボロボロになったら、また私にポーチを買ってくれる?」

「大野は、遠慮ってものを知らないのか?」


 健がとがめると、紗奈は子猫が甘えるような声を出した。


「べつに千円ぐらいの安いポーチでもいいんだよ?」

「千円なら自分の金で買えるだろ。大野はケチだな」

「もう、なんでわからないのよ」


 紗奈がぷりぷりと怒りだしたので、健は平謝りしてみる。いつものことだから平謝りも慣れたものだ。


「おい、怒んなよ。わるかったって。どういう意味で言ってたんだ?」

「このポーチがボロボロになったときに、まだ原田と一緒にいられたらいいなって思って言ったんだよ」


 紗奈は照れたのか、後半の言葉は尻すぼみになって消えた。

 紗奈の持つポーチがボロボロになるのに、どのくらいの時間が必要なのだろう? 数年でボロボロになるのだろうか?


 化粧ポーチが、どのくらいの頻度で使われて、どのくらい持つのかなんて、男の健には想像もつかなかった。

 紗奈のポーチがボロボロになったときに、健も紗奈も高校を卒業していて、会うことさえも無くなっていたとしたら、それはとても寂しい未来のような気がした。


「そのポーチがボロボロになったら、俺に言ってくれ。世界で一番安いポーチを買ってやるよ」

「うん。一緒に世界で一番安いポーチを探そうね」


 紗奈が元気よく答えた。

 ポーチがボロボロになるのは、遠い未来のことだと思っていた。しかしそれは、ほんの少し先の未来のことだった。


 健たちの後ろから走ってくる通行人がいた。通行人は紗奈と肩がぶつかったが、よほど急いでいるのか、謝りもせずに駅の構内へと走っていった。

 ぶつかられた紗奈は、バランスを崩して倒れそうになる。


 健は紗奈の体をあわてて支えたが、そのときに紗奈の体が揺さぶられて、紗奈の手からポーチがこぼれ落ちた。紗奈の手を離れたポーチは、雨上がりの車道を転がってゆく。

 ポーチは車に何度もひかれて、最後は車道と歩道の境目にある水たまりに、水しぶきを上げて落ちた。


 先に動いたのは紗奈だった。健の腕から、するりと紗奈は抜け出ると、ポーチのもとまで駆けた。ポーチの近くに着いた紗奈は、ポーチを拾い上げ、呆然とポーチを見つめている。


 紗奈のただならぬ様子を見て、ようやく我に返った健は、急いで紗奈のもとへ駆けつけた。

 紗奈の手にあるポーチは、何度も車にひかれたせいで引き裂かれ、中のポケットが破れた腸のようにはみ出ていた。ポーチに刺繍されていた愛らしいキャラクターも、今は車のタイヤの跡で無残に汚されている。


「原田から、もらったポーチが……」


 紗奈の頬を涙が伝った。

 そんな紗奈を見て、健の胸はキリキリと締めつけられた。


「そんなに気にするなって。ただのポーチだろ。大野がケガをしなくて良かったよ」


 たしかに、紗奈に外傷はなかった。しかし紗奈の心は、紗奈の持つポーチと同じように、引き裂かれていた。

 紗奈は幼子が嫌々をするように首を振る。そして涙声で健に訴えた。


「これはただのポーチじゃないもん。原田が一生懸命バイトして稼いだお金で、私に買ってくれたポーチだもん」


 通行人たちが泣く紗奈を見て、ヒソヒソと小声で話している。駅前の歩道は目立ちすぎるし、通行人たちの邪魔にもなっていた。


「ちょっと移動するぞ」


 健は紗奈の手首をつかんだ。自分の手首とは違い、紗奈の手首は細かった。

 紗奈が痛くないように、しかし離さないように紗奈の手首を握ると、健は紗奈の手を引いて、人目のつかない場所を探して歩いた。

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