7 プレゼント その②
百貨店に入ったので、健は紗奈から離れて傘を畳んだ。すぐ隣から紗奈がいなくなっても、まだ紗奈の温もりは健の半身に残っていた。
入り口に設置されている傘にビニールを被せる機械で、健は傘にビニールを被せた。それから手に持っている傘を見て、少し考えた後で、健は紗奈に提案する。
「傘は俺が持ってようか?」
「うん。持たせてあげるね」
いたずらっぽく笑う紗奈を見て、健は胸が高鳴った。一度意識しだすと、みょうに意識してしまう。
目的の化粧品売り場は一階にあった。化粧品売り場に近づくと、化粧品特有の独特の匂いが鼻をついた。そこまで苦手な匂いではなかったが、女性しか入ることの許されない空間のような気がして、男の健が中に入ってゆくには抵抗があった。
隣に紗奈がいることが心強い。当たり前だが女性の紗奈は、なんのためらいもなく化粧品売り場に入ってゆく。健は遅れないように紗奈に続いた。
化粧品売り場は口紅やファンデーションなど、色とりどりの商品が並べられており、見た目にも色鮮やかだった。
たくさんの種類の化粧品が置いてある中で、紗奈が健を連れてきたのは、ハンドクリーム売り場だった。商品のパッケージは様々で、ハンドクリームだけでも相当の種類がある。
形状はチューブ型のものとボトル型のものに分かれており、ラベルは明るい色のものや、かわいらしいもの、高級感のあるものと、じつにバリエーションに富んでいた。値段についても、千円以下で買えるものから、一万円を超えるものまである。
「これで、いいんじゃない?」
紗奈が指さしたのは、税込みで二千円ほどのハンドクリームだった。一年に一度しかない生誕祭で贈るものとしては、いくらなんでも物足りなかった。
「こんなに安いものじゃなくて、もっと高いものが良いんだよ。一年に一度の生誕祭なんだぞ?」
「でも、これってハンドクリームにしては高いほうなんだよ? きっとアイも喜ぶと思うけどなぁ」
紗奈が粘ってきたので、健は一万円近いハンドクリームを指さした。
「こっちは、どうなんだ?」
すると紗奈は、幽霊にでも出くわしたように体をぶるりと震わせた。
「高すぎて蕁麻疹が出ちゃうからダメだよ」
高いハンドクリームを使って蕁麻疹が出ることなんて、本当にあるのだろうか? 化粧品に詳しくない健には、よくわからなかった。
ハンドクリーム売り場では、紗奈が他のハンドクリームを勧めてくる気配はなかった。だから健は、他の種類の化粧品を扱っている棚へ、紗奈を連れてゆくことにした。
「ハンドクリームは、いったん保留ってことにして、他の化粧品も見てみないか?」
「そうだね。せっかく来たんだから、一緒に色々見て回ろうか」
健と紗奈が次にやって来たのは、化粧水売り場だった。こちらも値段には大きな開きがあり、千円以下のものから数万円もする化粧水まであった。
商品を選ぶ紗奈を注意深く観察すると、紗奈は商品ではなく、値札を見ていることがわかった。前髪で隠れていて紗奈の目の動きはわからないが、紗奈の顔の向きは、商品の下にある値札に向いている。
どうやら紗奈は値段を気にしているようだ。先ほどと同じように、また安めの商品を選ぶかもしれない。
「これは、どうかな?」
案の定、紗奈が勧めてきた化粧水は、二千円もいかないような化粧水だった。けっきょく、ここも保留にしておいて、健はべつの棚へ紗奈を連れてゆく。
後は同じことの繰り返しだった。紗奈は健に、三千円を超える商品を買わせるつもりはないようだ。
最悪、紗奈の選んだ商品を複数まとめ買いにして、アイにプレゼントしよう。
なんだか日用品の詰め合わせのようで、誕生日のプレゼントっぽくはないが、紗奈の選んだ化粧品なら、アイが贈られて困るものにはならないだろう。
そんなことを考えながら、紗奈と一緒に店内をうろついていると、紗奈はある商品の前で足を止めた。
「これ、かわいくない?」
はしゃいだ声を上げる紗奈が見ているものは、化粧ポーチだった。
アニメ化もされた漫画とのコラボ商品らしく、かわいらしい猫のキャラクターが刺繍されている。
健は、そっと紗奈の横顔を覗いてみた。紗奈は口元をほころばせ、商品のかわいさに魅了されている。目が前髪で隠れていて見えなくても、紗奈の感情表現は豊かで、見ていて飽きなかった。
紗奈を見る健の目じりが下がる。
「かわいいな」
「そうでしょ? 私、このキャラクターが大好きなんだよね」
紗奈なら、このポーチをアイが気に入るかどうかも、わかるだろうか?
気になった健は紗奈に聞いてみた。
「このポーチなら、アイも気に入ると思うか?」
「どうだろ? アイなら、たぶん……」
紗奈は考えるフリをしながら、さりげなく値札を探していた。ずっと紗奈を観察していた健から見れば、紗奈が値札を探すその動きはバレバレだった。
紗奈は七千円と書かれた値札を見つけると、値段の高さに驚いたのか、背中に定規でも入れられたかのように背筋が伸びた。
「いや、気に入らないと思うな。今、思い出したんだけど、アイはこのキャラクター、ぶん殴りたいぐらい嫌いだって言ってたよ」
健は思わず笑ってしまった。七千円は完全にアウトらしい。紗奈は健の財布を心配しすぎだ。
紗奈は値札を見て、「アイはこのポーチを気に入らない」と言った。ということは、もし値段が三千円以内だったなら、それとは逆のことを言っていたはずだ。つまり、紗奈の見立てでは、アイもこのポーチを気に入るということになる。
七千円のポーチは高校生の健からしてみれば、それなりの値段だったし、贈りものとしては申し分ないように思えた。
「私、ちょっとトイレに行ってくるね」
紗奈がトイレに行って、健は一人になった。
今なら紗奈に邪魔されることなくポーチを買うことができる。
健はポーチを一つ手に取った。レジに持って行こうとして、数歩歩いて止まる。
振り返ると、棚にはポーチがまだ一つ残っていた。
先ほどの口元をほころばせた紗奈の顔が、健の頭に浮かぶ。紗奈にもポーチをプレゼントしたら、紗奈はどんな顔をするだろう?
喜んでくれるのだろうか? それとも健の財布を心配して、プレゼントした健を怒るのだろうか?
健は紗奈にポーチをプレゼントしたいと思った。
いつも紗奈には、チェルナダの話を聞いてもらっているし、今日だってプレゼント選びに付き合ってもらっている。日頃の感謝のお礼にしては、金額が大きすぎる気がしないでもないが、紗奈に対する感謝の気持ちは、その金額以上だ。
健はポーチ売り場に引き返した。傘の持ち手を肘にひっかけて、傘を持っていた手を自由にし、残された最後のポーチも手に取る。両手にそれぞれポーチを持った健は、レジへ向かった。
レジへ向かいながら健は考える。もしポーチが一つしかなくて、紗奈かアイのどちらか片方にしかプレゼントを贈れなかったとしたら、自分はどちらにプレゼントを贈るだろう?
健の隣で、いつも楽しそうに健の話を聞いてくれる紗奈か?
健の歓声を受けて、ステージの上でパフォーマンスをするアイか?
答えが出る前に、健はレジに着いてしまった。紗奈とアイを比べて答えを出せなかった自分に、健は驚いた。俺にとって大野は、アイと同じぐらい大切な存在なのか?
健は商品をレジに置いて、会計をすませた。
「プレゼント用に包装いたしましょうか?」
さすがに店員も、健が化粧ポーチを使うとは思わなかったようで、気を利かせて尋ねてきた。
そのときになって健は、ちょっとしたクイズを思いついた。健がなにをプレゼントとして買ったのかを、クイズにして紗奈に出してみよう。
クイズの問題として見せるポーチ――アイに贈るポーチは、中身がわからないように包装してもらおう。
クイズの答えとして見せるポーチ――紗奈に贈るポーチは、包装は不要だ。
「一つは包装しなくて、だいじょうぶです。片方だけ包装して下さい」
「承知しました」
店員は片方のポーチをギフト巾着に入れて、巾着の袋口をリボンでリボン結びにして閉じた。
健は二つのポーチを持つと、紗奈のいるトイレに向かった。
トイレの前に着いたが、紗奈の姿は見当たらない。紗奈はまだトイレから出てきていないようだった。
健は傘をトイレの入り口近くの壁に立てかけた。それから、ポーチを持った両手を背中に回して、紗奈がトイレから出てくるのを持つ。
それほど待たされることもなく、紗奈はトイレから出てきた。
「待たせて、ごめんね」
健は先ほど買ったポーチのうち、巾着に入っているポーチを紗奈の前に差し出した。
「アイのプレゼントを買ってきたぞ」
「私がトイレに行っている間に買ってきたの?」
健は頷いて、挑発するように紗奈に尋ねた。
「中身を当ててみろよ」
紗奈は巾着を左右から眺めて、わからないと首をひねった。
「私が原田に、お勧めしたものの中から買ってきたの?」
「さぁ、どうだろ?」
健がとぼけると、紗奈は顎に手を添えて、考える素振りを見せた。
しかし、なにも思い浮かばなかったようだ。
「わからないなぁ。私が原田にお勧めしたものの中に、こんなに大きいものは、なかった気がするし」
そこで健は、紗奈に正解を教えることにした。
「これの中身は、これだ」
健は背中に隠していた包装されていないポーチも、紗奈の前に差し出した。
紗奈は顔を近づけてポーチを凝視した後、健の顔を見上げた。
「なんで、そのポーチを買ったの? 『そのポーチは、アイは気に入らない』って、私言ったよね?」
「大野は値段を気にして嘘をついてただろ? ずっと安い商品ばっかり勧めてくるからバレバレだったぞ」
「だって高いものをプレゼントされたら、アイだって原田の財布が心配になると思ったんだもん。ねぇ、買ってないほうのポーチは、早く棚に戻してきたほうがいいんじゃない? 店員さんに疑われるよ?」
包装されていないほうのポーチは、健が購入していないと、紗奈は思っているようだ。
健は包装されていないポーチを持つ手を上げた。
「安心しろ。このポーチも買ってるから」
「二つとも買ったの?」
驚いた声を上げる紗奈は、見ていて面白かった。前髪で見えないが、きっと目を丸くしているに違いない。
もっと驚かせてやろう。
「こっちのポーチは、大野にプレゼントするために買ったんだ」
「私に?」
健は笑顔で頷いた。
「いつも大野にはチェルナダの話を聞いてもらってるし、今日もプレゼント選びに付きあってもらっただろ? これは、そのお礼だ。ほら、やるよ」
健が紗奈に、包装されていないポーチを差し出すと、紗奈はポーチを黙って見つめた。
「いらないのか? いらないんだったら捨てるけど」
紗奈が、おずおずとポーチに両手を伸ばして、健からポーチを受け取る。紗奈はポーチを胸元に持って来ると、ポーチを大事そうに抱きしめた。
「ありがとう」
健は、かわいいなっと思った。もちろんポーチではなく、紗奈がだ。




