6 うそつき その③
けっきょく紗奈は、健のバイト先のレストランには姿を現さなかった。
バイトが終わり、健はレストランの近くにある公園へ向かった。
健が公園に着くと、ナナセは公園にあるブランコをこいでいた。
健に気づいたナナセが、手を上げて健を呼ぶ。
「お疲れさま。隣のブランコが空いてるよ」
ブランコを見ると、ジュースの缶がブランコの上で、かすかに揺れていた。
このままでは座れないので、健はジュースの缶を指さしてナナセに尋ねた。
「これは?」
「仕事の後の一杯は、おいしいよ。私のおごりだから遠慮せずに飲んでね」
「気が利くじゃねぇか」
健は缶を手に取った。それから缶のタブを引くと、中身を喉に流し込んだ。バイトで店内を駆けずり回って乾いた喉に、甘い飲料が心地よく染み渡る。
一息ついた健は、ブランコに腰を下ろした。
「それで話って、なんだよ?」
健がナナセに話をするように促すと、ナナセは健に向かって頭を下げた。
「アイを助けてくれて、ありがとう」
突然にナナセに感謝されて、健は戸惑った。
「ちょっと待ってくれ。なんで俺が、ナナセに感謝されなきゃいけないんだ?」
ナナセは柔らかく微笑んだ。健と年がそう変わらないはずのナナセが、ずいぶんと年上に見えた。
「少し前のライブで、原田はアイのためにガチ恋口上をしたでしょ? あのガチ恋口上のお陰でアイが元気になったから、そのお礼を今日は言いに来たの」
たしかに健は、アイを励ますためにガチ恋口上をした。その結果、アイは元気になり、アイにも感謝された。
しかし、ガチ恋口上は、ナナセに頼まれてやったことではない。わざわざナナセが健に頭を下げに来る必要なんて、健は感じなかった。
「あれはアイのために、俺が勝手にやったことだからな。ナナセが俺に、お礼を言いに来る必要なんてないぞ」
ナナセは、はっきりと首を横に振った。当時のことを思い出したのか、ナナセの表情が曇る。
「いや、あるよ。ずっとアイの元気がなくて、私もレイナも、アイのことが心配でたまらなかったの。でも、どうすればいいのか、わからなかった。だってアイは、私やレイナと比べられて苦しんでいたんだからね。アイの元気がない理由は、私たちにあったんだよ」
ナナセが自嘲的に笑う。その笑顔は見ていて痛々しかった。
苦しんでいたのは、アイだけではなかったようだ。
「気づいてたのか」
健が漏らすと、ナナセの笑顔から痛みが抜けて、穏やかな笑顔へと変わった。
「原田のガチ恋口上のお陰で、アイは本来の力を発揮できるようになったでしょ? それでアイは、私やレイナと比べられても、バカにされなくなった。アイは元気になったし、チェルナダの評判も良くなったし、原田には感謝しても、しきれないよ」
ナナセの濡れた瞳が、外灯の光を反射して光る。ナナセの言葉に嘘はないようだった。
まさかナナセから、こんなにも感謝されると思っていなかった。ここまで感謝されると、嬉しさよりも照れ臭さが勝ってしまう。
「俺は、そんな大したことは、していないぞ。だから、そんなに感謝しないでくれ。気持ち悪いんだよ」
「もしかして照れてるの? 照れた原田って、かわいいね。原田もアイドルやってみたら?」
ちょっと油断すると、ナナセはすぐに茶化そうとしてくる。しかし、真面目な顔のナナセよりは、今のふざけたナナセの相手をしているほうが、まだ楽だった。
ナナセがチェルナダのリーダーで、本当に良かったと思う。
多少、人をからかい過ぎるところはあるが、ナナセの人格は素晴らしい。
ナナセは、アイやレイナだけでなく、他の人にも常に気を配り続けている。そんなことが当たり前にできてしまうナナセがリーダーだからこそ、チェルナダは今まで大したトラブルに見舞われることもなく、メジャーアイドルへの道を順調に上っているのだろう。
もっとも健は、それを口に出そうとは思わなかった。ナナセには、さんざん、からかわれた恨みがある。ナナセを調子に乗せたくはなかった。
そんな健の思いなど露知らないナナセは、思い出したように健に注意した。
「私が原田に会いに来たことは、他の人には秘密だよ。アイドルがファンに会いに行ったなんて、他のファンに知られたら、変な噂になるからね」
健はガチ恋口上のときに、合いの手を入れてくれた、ナナセ推しのファンのことを思い出した。彼とは、もう事をかまえたくない。
「アイドルってのは、大変なんだな。わかった。誰にも言わない」
さて、これでもう話はすんだはずだ。帰宅が遅くなると、家族も心配するだろう。
健はジュースを飲み干すと、ブランコから降りた。空き缶をゴミ箱に放り込み、ナナセを振り返る。
「じゃあ、俺は帰るからな。次のライブも、がんばれよ」
「原田もバイトがんばってね。原田のバイト代が、私たちの収入になるんだから」
ナナセが意地の悪い笑顔を見せた。
健は同じ種類の笑顔を、ナナセに返す。
「ナナセに会いに行くために、バイトがんばるよ」
ナナセがキョトンとした顔になる。
健は、からかいが成功したのを見てとって、ニヤリと笑った。
グズグズしていたら、ナナセから反撃が来るだろう。
ナナセに背を向けると、健は急いで公園から逃げ出した。




