5 踊れ! 愛のダンス! その②
月曜日の放課後、健はアイのことを考えながら下校していた。
すると、紗奈が健に話しかけてきた。
「どうしたの? なにか考え事?」
健は暗い顔で頷いた。
「アイのことを考えていたんだ」
「そんな暗い顔で、アイのことを考えていたの?」
アイを心配する気持ちが、うっかり顔に出てしまっていたようだ。アイの前では、こんな顔をしないように気をつけよう。
健の表情が伝染したのか、紗奈の表情まで暗くなった。
紗奈に余計な心配をかけないように、紗奈の前でも、なるべく明るい顔でいたほうが良さそうだ。
そういえば、紗奈はアイとも仲が良かったはずだ。紗奈に聞けば、アイのことが、なにかわかるかもしれない。
「なんでアイは、ステージの上では、あんなに緊張してるんだろうな?」
紗奈は、つまらなさそう顔で小石を蹴飛ばした。
「自分に自信がないからだよ」
「自信? それって、アイから直接聞いたのか?」
紗奈の話しぶりは、推測を話しているというよりも、知っていることを話しているという感じだった。
案の定、紗奈は、うなだれるように頷いた。
「ダンススクールが一緒だからね。アイは『自分に自信がない』って、言ってたよ」
「なんで自信がないんだよ? アイのどこがダメなんだ?」
健には、アイが自信を持てない理由が見当もつかなかった。アイは、ビジュアルも、歌も、ダンスも、高いレベルにあったからだ。
しかし、そんな健の考えとは、まるで逆のことを紗奈が言う。
「アイは歌もダンスも下手でしょ? だからだと思う」
「そんなことないだろ。アイは歌もダンスも上手いじゃないか」
ムキになって反論した健に、紗奈は冷静な声で返した。
「それは他のアイドルグループのアイドルと比べたらでしょ? ナナセやレイナと比べたら、アイは実力が足りていないんだよ」
反論したいところだったが、紗奈の言っていることは事実だった。だから、納得のいかない顔で紗奈をにらむことしか、健にはできなかった。
紗奈が、さらに話を続ける。淡々と話す紗奈の声は、健を不安にさせた。
「ネットでも、〝ナナセやレイナに比べて下手だ〟とか、〝アイはチェルナダにいらない〟とか、書かれてるしさ。アイは自信をなくしちゃったんだよ。ステージに立つと、頭が真っ白になって、ダンスの振り付けを忘れちゃうんだって。だから、『ステージに立つのが怖い』って、アイは言ってたよ」
「そんなにアイは苦しんでいたのか」
ナナセやレイナが、あまりにも優秀すぎたために、アイは二人と比べられて苦しんでいた。
アイのアイドルとしての才能が足りていないのであれば、健だって、アイがチェルナダを辞めて、べつのアイドルグループで活動したほうが良いと思ったかもしれない。自分の実力に見合ったグループで活動するほうが、アイだって伸び伸びと活動できるはずだからだ。
しかし、不思議なことに、アイのアイドルとしての才能を、健は微塵も疑っていなかった。
それどころか、アイが本来持っている能力を十分に発揮できれば、ナナセやレイナに負けないぐらいアイドルとして光り輝くと、確信してさえいた。
それを言葉にして紗奈に伝えたかった。しかし、それを上手く言葉にすることが、健にはできなかった。
なぜなら、アイがアイドルとして、とんでもない才能を持っていることは、アイを一目見れば誰でもわかる事実だと健は思っていたからだ。
日の光を〝暖かい〟と感じるのと同じぐらい、健にとっては、それは当たり前の事実で、なぜ他の人が、それを理解できていないのか不思議なぐらいだった。
健が、アイの才能を表現する言葉を探していると、紗奈がとんでもないことを言い出した。
「もしかしたら、アイはチェルナダを辞めたほうがいいのかもね。アイがチェルナダにいないほうが、チェルナダは売れるのかもしれない」
健は足を止めて、紗奈の顔を見つめた。
沈んだ顔をした紗奈は、健が足を止めたことに気づかずに歩いて行く。
紗奈はアイと仲が良いようだったから、紗奈も健と同じように、アイを応援していると思っていた。それだけに紗奈がアイについて、「チェルナダを辞めたほうがいい」とまで言ったことが、健には信じられなかった。
健を後ろに残して数歩歩いたところで、ようやく紗奈は健が隣にいないことに気づいた。
紗奈は足を止めて振り返ると、健に向かって首を傾げて見せた。
「原田?」
紗奈は、どれだけ自分がひどいことを言ったのかも気づいていないようだった。
健の胸の内に沸き起こった感情は、紗奈に対する怒りだった。
「大野まで、そんなこと言うのかよ。大野は俺と同じで、アイの味方だと思っていたのに。もういい。俺は一人で帰る」
健は走り出すと、紗奈の隣を駆け抜けて行った。
紗奈がどんな顔をしているのか気にはなったが、健は一度も後ろを振り返りはしなかった。
アイがライブで緊張している理由は、紗奈の話によると、自信がないことから、きているようだ。
健は、なんとかしてアイに自信を持って欲しかった。
そのために、まず解決すべき問題は、アイが不安に感じているダンスだろう。紗奈に聞いた話が本当だとすれば、アイはダンスの振り付けを忘れることを恐れて、不要な緊張を招き、それがパフォーマンスをさらに低下させている。
なにか良い方法はないかと考えたとき、健の頭にあるアイデアが閃いた。
健がアイのダンスの振り付けを覚えて、客席で踊ればいいのではないか? そうすれば、アイがダンスの振り付けを忘れたとしても、客席で踊る健のダンスを見て、アイはダンスの振り付けを思い出し、多少なりともリカバリーが効くのではないか?
健が客席でアイのダンスを踊ることが、本当にアイの助けになるのかは、正直わからなかった。それでも健としては、少しでもアイの力になれる可能性があるのなら、その可能性に賭けてみたかった。
思い立った健は、さっそく行動に移した。
まずアイのダンスの振り付けを覚えるために、物販会で手に入れたライブ映像を繰り返し見て、網膜に焼きつけた。
そうして覚えたダンスを今度は自室で踊って、体に叩きこんだ。今までダンスを踊ったことのなかった健にとって、ダンスの振り付けを覚えることは容易なことではなかった。
学校から帰宅するなり健はダンスの練習を開始し、その練習は深夜にまで及んだ。
月曜日から水曜日までの3日間の時間と引き換えに、1曲だけではあるが、健はダンスの振り付けを覚えることができた。
家ではダンスの練習に励んでいたが、並行して学校でも、なにかアイに自信を持ってもらえる良い方法はないかと、健は思案を巡らせていた。
その結果、思いついた秘策がガチ恋口上だった。
ファンが曲の間奏やサビなどのタイミングで叫ぶ、かけ声のことを、コールという。
そのコールの中に、ガチ恋口上というものがあった。曲の中でも長い間奏のときに、ファンが推しのアイドルに、自分の気持ちを伝えるときに使われるコールだ。
健は、アイを励まし、アイに自信を持ってもらえるようなガチ恋口上をしようと決めた。
ガチ恋口上は、他の観客にとっては、うるさく感じることもある。中途半端なガチ恋口上をすれば、ライブが盛り下がる危険性さえあった。
だから、ガチ恋口上についても、ダンスと同様に練習が必要だった。
木曜日の放課後、健は一人でカラオケ屋に行った。
そして、YouTubeにあるチェルナダのミュージックビデオを、スマホで再生して、間奏のときに、アイのために考えたガチ恋口上を叫んだ。
ガチ恋口上のコツは、ダミ声で大声を出すことだ。
声が枯れても、健はガチ恋口上の練習を続けた。
ときどき廊下を歩く他の客が、ドアについた小窓から、健を変な目で見ることもあった。
それでも健は、ガチ恋口上の練習を続けた。
声が枯れても、たとえ周りの人に頭のおかしな人間だと思われても、どうしてもアイに伝えたい思いが健にはあった。
金曜日の放課後、下校途中の健は、紗奈に呼び止められた。
「この前は、ごめん。アイのことを悪く言うつもりは、なかったの」
紗奈の態度を見れば、紗奈がどれだけ深く反省しているのか容易に見てとれた。
「もう、いいよ。俺のほうこそ言いすぎた。許してくれ」
昨日のカラオケ屋でのガチ恋口上の練習で、健の声は枯れていた。
健のしゃがれた声を聞いた紗奈は、健に心配そうな顔を向ける。
「声が枯れてるけど、だいじょうぶなの?」
「べつに平気だよ。ちょっと練習しててな」
「練習?」
紗奈が聞き返してきたので、健は頷いた。
「俺はアイのために、ダンスとガチ――」
そのとき健は、紗奈がアイと同じダンススクールに通っていることを思い出した。
もしかしたら紗奈は、チェルナダのダンスに詳しいのではないか?
興奮した健が紗奈に顔を近づけると、紗奈は健の迫力に気圧されて後ずさりした。
「な、なに? どうしたの?」
「そういえば大野って、アイと同じダンススクールに通っていたよな? チェルナダのダンスも、少しは知っていたりするのか?」
紗奈は顎に手をやり、考える仕草を見せた。
紗奈が、なかなか返事をしてくれないので、健はやきもきした。
少し考えた後で、ようやく紗奈は口を開いた。
「アイに、チェルナダのダンスを教えてもらったことがあるから、少しは知ってるよ」
紗奈の返答に、健の唇の端が吊り上がる。
これはチャンスだ。紗奈にダンスを教えてもらうことができれば、ダンスの完成度を上げることができる。
このチャンスを逃すまいと、健は早口で紗奈に頼み込んだ。
「俺、アイのダンスを練習してるんだ。俺のダンスを見て、もし間違っているところがあれば、俺に教えてくれないか?」
アイドルのライブ中に、ファンがアイドルの振り付けを真似して踊ることは、「振りコピ」といって、よくあることだ。
しかし、健のやる気が、あまりにも凄まじかったため、紗奈はそのことに疑問を抱いたらしい。
「すごいやる気だね。なんでそんなに、やる気なの?」
健は得意げな顔で笑った。
「客席にいる俺がアイのダンスを踊れば、アイがダンスの振り付けを忘れても、俺のダンスを見て、アイはダンスの振り付けを思い出すかもしれないだろ?」
健のアイに対する思いの強さに、紗奈は言葉を失って驚いていた。
健は真剣な目で紗奈に語りかける。
「俺はアイの力になりたいんだ。俺にアイのダンスを教えてくれないか?」
息が詰まるような時間が過ぎていった。
やがて、紗奈は観念したように頷いた。
「わかった。いいよ」
「本当か? ありがとう!」
子供のように、はしゃぐ健を見て、紗奈は苦笑した。
歩道でダンスを踊るわけにもいかないので、健と紗奈は近くの公園に移動した。
健はスマホからチェルナダの曲を流し、曲に合わせてダンスを踊る。
紗奈のアドバイスは的確だった。健のダンスの間違いを、的確に直してゆく。
通りすがる通行人に笑われても、健はそんな笑い声など一切気にせずに、一心不乱にダンスを踊り続けた。
紗奈のお陰で、ダンスは、どんどん良くなってゆく。アイの力になれそうで健は嬉しかった。
練習を終えた健は、公園のベンチに腰かけた。
6月に入り気温はぐんぐん上がってきている。ダンスをやめても、体に籠った熱のせいで、後から後から汗が噴き出してきた。
健は自分の着るワイシャツの襟をつかんで引っ張り、肌と衣服の間に風を送った。汗で濡れた肌に、夕方の少し冷えた風が心地好い。
健の呼吸が整った頃を見計らって、隣に座る紗奈が健に聞いてきた。
「ねぇ、原田はどうして、そんなにがんばれるの?」
「アイのことが好きだから、かな」
アイのためなら、なんだってできそうだった。
公園でダンスを踊ることも、一人でカラオケ屋に行ってガチ恋口上を練習することも、アイと出会う前の健なら、絶対にできなかっただろう。
「好き、か」
紗奈は健の言葉を咀嚼した後、声を落として聞いてきた。
「失敗する不安は、ないの?」
健は、明日のチェルナダのライブのことを考えてみた。
ダンスを失敗する可能性はあったし、ガチ恋口上を失敗する可能性もあった。いくら練習を積んだとはいえ、本番でやるのは明日が初めてだ。
「不安がないと言ったら嘘になるな。でも、俺はアイのためになにかできることが、嬉しいし、楽しいんだ。その気持ちのほうが大きいから、明日が楽しみだぜ」
疲労困憊な上に喉もガラガラだったが、健は全身に力があふれてくるのを感じていた。
楽しそうに笑う健を、紗奈は、じっと無言で見ていた。




