稲村速湍
クラスの全ての人と一度は話す。3年生になってからこれを目標にやってきた。気まぐれに翻るきっかけを両手で捕まえて、小さな勇気をだしてこつこつとやった。慣れてみたらそんなに難しくなかった。冗談もよく言うようになり、みんなに自分から話しかけたせいか気安い人間だと思われているようだった。初めての印象なのだった。これも悪くないなと思っていた。話した人は手帳にチェックしてある。徴が埋まっていくのが楽しかった。
あと1人で目標達成のところまで来ている。だが、その1人が問題なのだった。彼女の名前は稲村速湍という。彼女は誰とも交わらない。何をするわけでもないが、何もしなさすぎるのだった。遠くで見ると木調のしなやかな家具のような雰囲気がある。だが近づくと鉄のような印象をわたしたちに与える。
「クールというよりドライ? というより無反応?」
「3%香る侮蔑」
「最初私、嫌われてるのかと思った。何かしたのかなと」
「誰でもそうだよ」
「あれで頭良くなかったらほんとなんなのって感じだと思う」
「頭いいんだ」とわたし。
「知らないのいばら?」
「これまでのテスト、1年生の時からずっとあの子トップなんだよ? 普通一度くらいは落ちる時があるもんでしょうが! 無いのそれが!」
「テストの後、すごいねって言っても無反応だった」
「言われ慣れてるんじゃない?」
「慣れてみた―い」とそれぞれの物語の主演女優であるわたしたちは、集まってなんだか端役のようなことをしきりに話している。
「友達いるのかな」
「いるわけないよ」
「嫌な方の加藤だったりして」
「嫌な方の加藤って?」とわたし。
「この学年には良い方の加藤と嫌な方の加藤がいるの」
「どんな人なの?」
「万年2位男。性格は稲村さんよりヤバいね」
「ふーん」
「ヤバいやつしかいないのかよ!」
「人間性を捧げよ」
「稲村さん、昼休み何処に行ってんのかな。いつもいないよね」
別に守秘義務はないのだが、なぜか黙っていた。わたしは彼女がどこにいるのか知っていた。彼女は図書室にいるのだ。いつもいるから顔を覚えていた。1年生の頃から知っていた。彼女は雨の日も風の日も、冬のさびしさ夏のむなしさにも負ケズ図書室に来ていた。昼も放課後も来ていた。いつも勉強していた。
あれは1年生の時だったか、いつもの放課後、わたしは棚に戻す本を持って彼女の後ろを通った。その時にふと彼女の自習机を見た。そこには問題集や参考書と一緒にバファリンプレミアムの箱が置いてあったのだった。ここに痛みに耐えながら独り勉強している人がいる。それが同じ時間を過ごす一生徒として深い感銘を覚えたのだった。
そんな彼女がトップだったなんて納得だった。継続が力になるとは本当なんだな。そんな彼女は何を考えているのだろう。どうやったら彼女と話すことができるだろう。きっかけはいつひらめくのだろうか。
「この先は行く先見えぬ糸あなたをつなぐと信じてる糸」とわたしは詠う




