うたのおねえさん
こどもが川に近づいている。川に近づくにはまだ幼すぎるようにわたしは感じた。いくつぐらいなんだろう。その勘所はまだわたしにはわからない。服装から男の子のように思える。わたしは近づく。小さな肩掛けバックをしている。園児だろうか。川に何かを投げている。その背中に声をかける。と、こどもはこちらを振り向いてだれ?といった。不審の目をしている。
「ママのともだち?」
違うよと私はいう。たぶん違うだろう。せんせい?とこどもがいう。違うよとまた私はいう。警戒を解かなくてはならない。誰ならばいいのだろう。
「うたのおねえさんだよ」とわたしはいってみる。こどもは驚いている。いつもげんきにありがとね、いっしょに歌ってもらってと続ける。膝を曲げてこどもの目線に合わせる。
「なにしてるの?」
「にがくてすててるの」
「ピーマン?」
「わかんない」これとわたしに差し出す。ゴーヤだった。
「ゴーヤは苦いよねえ!」
「まずい」嬉しそうな顔をする。
「まずいからって苦いの川に捨てたらダメなんだよ。川が汚れちゃうでしょ?」
「ダメ?」
「ダメ。苦いの大きくなって帰ってくるよ。夏に」とわたしは鮭のようにいう。
「いやだ」いやだいやだいやだ!とこどもは身を振るわせる。楽しそうだった。
「もうしないならだいじょうぶだよ。しないよね?」
「ママだ」こどもは母親に向かって駆けていく。わたしは母親に見えるように大げさに手を振る。バイバイという。先輩親子は去っていく。しかしゴーヤはさすがにまだ早いのではないかとわたしは思う。でも本場沖縄では違うのかもしれない。こどもたちはおやつに生のゴーヤをかじっているのかもしれない。苦みの英才教育。わたしは来た方を振り返る。わたしはまだ挨拶の練習をしている。