表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/131

お前は決してゴミじゃない ~プロローグ~

何の音だろう。気のせいだろうか。わたしは薄闇に包まれている。ラジオ体操と今まで習ったあれこれをつぎはぎしたような、自己流のストレッチを玄関の前でいつものようにしている。新しい一日を迎えるために、筋肉をゆっくり、厳しく起こして回っている。他の家の窓はまだ暗いままだ。空気をたくさん吸い込んでみる。朝のにおいがする。酸素が、巡り来る朝からもたらされる清浄で透明な何かが、身体に染み入っていく。夜と朝とをここで、わたしは毎日交換している。大切な時間だった。


全身を伸ばし終えると家の周りを散歩するのだった。ついでにゴミを捨てるのもいつものことだった。わたしの町内ではカラスが荒らさないように、簡単に広げたり畳んだり出来る木の箱の中に、ゴミを入れることになっている。どこもそうなのだろうか。カラスは日本のどこにでもいるのだから、こうしているところが殆ど、そういうことも充分にありうる。


自然、箱を広げるのは一番最初にゴミを捨てる人になる。それはそのままわたしのことで、それも日課のひとつだった。鼻紙や魚の骨やメモ紙などの燃えるゴミを詰めた袋を下げて捨て場に近づく。と、ゴミを入れる箱はすでに出来ている。そして先ほどから聞こえ続けていた音が、箱の中からする。妙な気がして、わたしは蓋をすこし持ち上げてみる。


中に籠のようなものがある。そのなかで何かが甲高く鳴いている。あとは暗くてよくわからない。だが、わかったこともある。先ほどから聞こえていたこの音は、生きものの声だったのだ。そしてその生きものは多分とても怒っている。それが耳に胸に伝わってくるのだった。


蓋をしっかり開けて箱の中に薄闇を流す。丸く縁どられた鳥かごの中で真っ白な鳥が暴れている。ひと目見て、「酷いことするね」と声がこぼれた。鳥かごはわたしでも十分持つことが出来そうだった。わたしはかごを外に出そうとする。鳥はバタバタ騒いで、これをチャンスと思ったか鬱憤をわたしで晴らそうとしている。


かごを地面に置いて、しゃがみ込み鳥を眺める。なんて鳥だろうか。スズメより大きく、カラスより小さい。鳩でもないし、カモメでもない。もちろんフクロウでもシマエナガでもなかった。わたしは鳥をそんなに知らない。今まで特に興味がなかった。実家の斜め向かいに住んでいる平良たいらさんのお父さんはアウトドアが趣味で、土日にはワゴン車の後ろにキャンプ道具をぎっしり詰め込んでいる。家族で自然豊かな北海道のあちこちに通う間に、妻と子供たちは自然に飽きてきて、独りお父さんの情熱だけが今も燃え盛っているという。彼のような人ならわかるのだろうか。「土がさ、爪の間に入るわけよ。嫌じゃん?」と白くて長い爪を付けた娘がわたしにいう。長い爪ではみかんも剥けないらしく、わたしが彼女の分も剥いていた。


もしかしたら日本の鳥ではないのかもしれない。インコとかオウムとか海外の鳥も日本では飼われているようだから。捕まえられて輸入されているのか、日本で繁殖させられているのか、わたしにはわからなかった。


「お前捨てられちゃったんだね」ふと、鳴き声が止む。鳥は首をかしげてこちらを見ている。鳥かごのなかにはエサも水も無く、鳥や人間の手が出入りする扉の金具がガムテープでがちがちに止められている。その悪意にこころの奥から、ぐっと怒りが湧いてくる。わたしはガムテープを指で剥がそうとする。なかなか上手く剥がせない。いらいらする。鳥に間をもたせるように、怒りを吐露するようにわたしは話しかける。


「外に出ても決して、楽じゃないんだよ。この街には凶暴な野良猫もずる賢いカラスも、それよりも輪をかけて厄介な人間の子供たちもいる。目立つなりをしているお前を、やつらはいつも狙っている。もし、そこを生き延びても、この街には厳しい冬がある。雨は雪になって、池も湖も凍りついてしまう。人間だって、もこもこ帽子にダウンジャケットが必要なぐらい。お前もダウンだけど果たしてどこまでもつかわからない。もしなんとか冬を越しても、お前はひとりかもしれない。お前の仲間がこの街にはいるのかな。この先、誰もお前の言葉を理解してくれないかもしれない。要するにこの扉を出ても、いつまで生きられるかわからない。幸せになれるかわからない。でもさ、今日焼き鳥になるよりはいいよね? お前は決してゴミじゃない。空を思うままにデッサンする、誇りを持った鳥なんだから。明日死んでも、今日はあなたで生きていてね」


もしかしたら、そのままにしたほうがいい可能性もある。ゴミ収集にやって来た作業員が動物好きなこころの優しい人で、この鳥を保護してくれるかもしれない。新しい飼い主を見つけるため、手製のチラシを会社のプリンターで事務の人に怒られるほど何枚も刷って、仕事の休みの日に街の色んなところに貼ってくれるかもしれない。そんな世界線があるのかもしれない。だけどわたしは憤っていたわけで、冷静ではなかったのだ。現実的だと思っていた鳥にかけた言葉は悲観的でもあったかもしれない。協調的な野良猫も英知を持つカラスも命を大事にする人間の子供もいるのかもしれない。


だが何よりもわたしは鳥に与えたかったのだ。奪われ続けて流れ着いたこの場所で、もう一度、胸のすくような選択の権利を。


ガムテープを蹴散らしロックを外し扉を開ける。鳥はなんだかよくわかっていないようだ。ほら、おいき、ほら。


入口に足を乗せて鳥は外を眺めている。そのくりっとした瞳の奥で一体何を考えているのか、わたしには慮ることしかできないのだった。瞬間、鳥は足を蹴り上げ、羽を広げ羽ばたく。低く、そして高く飛んでいく。わたしは空を仰ぎ見る。濃紺の空に鳥は雲の産み落とした子供のように白く、美しく、厳かでその姿は段々と小さくなっていく……でもそれは早朝のもたらす夢なのだった。鳥はちょんと跳ねわたしの手に飛び移っている。わたしの手をつんつん突っついている。すっきりした顔でわたしの顔を見つめている。次はわたしの考える番だ。わたしは考えている。新しい鳥かごの値段と、愛着の持てる名前を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ