第五十話 試合から得たもの
有織はべりです。
拙文ですが、お読みいただき、楽しんでいただけると嬉しいです。
「ああーーーーーーーーつっかれたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
体育館裏にある運動部御用達の水道で、むさぼるように水分補給をしてようやく一息つくことができた。総時間60分に及ぶガチ勢との試合を何とか無事に終え――いや生還することができたことに心の底から安堵する。
いや、ほんと……よく怪我の一つもしないで生き残ったな俺。ほんとゆーちゃんの人気ってすごいわ……。
あの嬉し恥ずかし命危うしな結果をもたらすゆーちゃんの声援は、一試合だけにとどまらず全試合でこれでもかというくらいに発揮され、その度、相手チームのバスケ部が鬼に変じるという恐ろしい事態が勃発、俺はボールを持つたび死ぬほど追い回されることになった。
最初の試合が終わった後、ゆーちゃんにそれとなく、応援はもうちょ~っと控えめにしてくれるとありがたいんだけどな~みたいに伝えてみようとは思ったが、間違いなく善意で応援してくれてる相手にそんなこと言うのはもしかしなくても最低では? と客観的に自分を見て断念したので、そうなってしまったのも、まあ仕方ない結果ではある。
ものすごくいい笑顔で「私、空ちゃんのこと、最初から最後までずっと応援するからね!」なんて言うゆーちゃんに、そんなことされたら俺の命が危ないので応援はご遠慮願います、的なことを言う勇気はヘタレの俺にはなかった。
おかげで全試合大人気アイドルの声援付きという豪華なサポートの中、バスケというか半分は鬼ごっこみたいな60分を過ごしたので疲労がすごい。体力面はともかく主に精神面が。
あのアイドルの伏見結月が名指しで応援してる男子生徒なんて、それがどんなやつなのか気になるのは間違いない。そりゃみんな気になって注目するよな。
そのおかげで、俺はもう一生分の注目を集めた気分だ。
こうしてわざわざ人気のない校舎裏の水道にやってきたのも、あまりにも視線を浴びすぎて誰もいない空間に来たかったからである。
自分しかいない空間ってなんて自由で気楽なんだろう……今日はもうずっとここにいたい……特別競技も出たくない……。
もう二度とあんな目立つのはこりごりだぁ……けど、ああやって応援されるのは今まで経験したことなかったけど、悪い気分じゃないというか、照れ臭いし恥ずかしいのもあるけど、ぶっちゃけ顔がにやけそうになるくらいには嬉しかったな――って何を考えてるんだ俺は!
ゆーちゃんの応援を思い出して気持ち悪い感じににやけそうになったのを自覚したので、水道の蛇口をひねって水を出し、クールダウンもかねて両手で水をすくって顔を力強くバシャバシャ洗う。
煩悩退散煩悩退散――あ、しまったタオル持ってきてない。やらかしたな……もういっそ体操服で拭くか?
「ほいお兄ちゃん、タオルだよ~」
「おうサンキュー」
いつの間にか隣にいた妹からタオルを受け取り顔を拭く。
うちの家でいつも使ってる嗅ぎなれた柔軟剤の香りが心地いい。自分の家の柔軟剤の香りってなんで妙に落ち着いた気分になるんだろう。
そんな、気になるけど誰も答えを知らないようなことを考えながら顔を拭き終えて、ふぅ、と一息。
よし、落ち着いた落ち着いた、なんてすがすがしい気分なんだ。汗と一緒に煩悩も何もかも流れていった気がするな。よし、落ち着いたところでツッコんでいくか。
「いつからいた」
「お兄ちゃんが顔を洗ってる間にこっそり近づいてみた。気配も足音も消して気づかれないように」
「普通にこいや。兄相手にステルスする意味よ」
「いやぁ~暇でぶらぶらしてたら、なんかこそこそ隠れるみたいに体育館裏に向かうお兄ちゃんがいたから、せっかくだし追いかけて驚かせてやろうと思って」
「理由が想像以上にしょうもない!?」
「でも結果的に助かったでしょ? お兄ちゃん、タオル持ってきてなかったみたいだし。それで、可愛い可愛い妹のタオルを使ったご感想は? あたしの匂いした? そして興奮した?」
「うちの洗濯物の匂いしかするわけねえだろバカ。落ち着くことはあっても興奮なんか一ミリもするか」
「え~つまんな~い! ぶ~ぶ~! もっといい感じのリアクションしてよ~!」
露骨に口をとがらせて不満そうな海音。
学校指定のジャージ姿が妙に似合って見えるのは、普段から家でジャージ姿のこいつを見ているからだろうか。むしろこいつ家でジャージ以外の服を着てる方が珍しいからな。なのでこの前の下着エプロンは極めて珍しい例だったと言えなくもない――って記憶の奥底に封印した映像を思い出そうとするな俺!
「こ、こほん! いい感じって言うけどお前、いったい俺にどんなリアクション求めてるんだよ?」
「はぁ……お兄ちゃんさ、相手がどんなリアクション求めてるかを本人に聞いちゃうなんて、そんなの芸人の風上にも置けないと思わない?」
「まあ確かに、その場で求められてるリアクションを即座に、なおかつ完璧に実行できるのが一流のリアクション芸人だからな……ってバカ! 誰が売れないリアクション芸人だよ! そもそも芸人じゃねえわ!」
「で、でた~お兄ちゃんの得意技、特にそこまで面白くもないノリツッコミだ~。いいんだよお兄ちゃん、面白い芸人として有名になるまで、妹のあたしが食べさせてあげるからね!」
「だから芸人じゃないしそもそも一度も目指したことないから!? あと、妹に養われながら売れない芸人続けるとかどうしようもないにもほどがあるだろ!! ったく、いい感じのリアクションしろって言ったからちょっとノリツッコミしただけで、なんでそこから俺をいじる方向に持っていくんだお前は」
「へへへ、さーせん。でもお兄ちゃんなら、たとえ売れない芸人でも人気のない配信者でも、それこそ無職でもあたしが養ってあげるのは本当だよ? ぬふふ~どんなお兄ちゃんになっても、あたしは変わらず愛してあげるから安心していいよ~」
「そんな情けないことに絶対なってたまるか――ってええい引っ付いてくるな暑苦しい!!」
「照れんなよ~嬉しいくせに~自分の気持ちには正直になっていいんだよ~シスコ~ン」
「誰がシスコンじゃい! そのうざい絡み方やめろ!」
にやにやしながら、ぶつかるみたいに何度も体をひっつけてくる妹を強引に引っぺがす。
ああもう、こいつはほんと、場所も時間も会話の流れも関係なく、意地でも俺をいじろうとしてくるな! まさか学校でもいじられるとか思ってもなかったわ!
隙あらば俺の部屋に居座ったり、こうして兄である俺をからかったり驚かそうとしてくる妹だが、それはほとんど家でのことで、あまり学校では俺に関わってこない。
そもそも学年も教室の階も違うから、元々、出会う頻度自体がそんなにないんだけど。たまーに移動教室の時にすれ違ったりすることもあったが、その時もお互い特に何か話したりすることもなかった。
その理由を、高校になって海音も学校じゃ兄と話したりするのが恥ずかしい年頃になったんだな~、なんて勝手に思い込んでいたけど、こうして用もないのに絡んできたってことは別にそうでもないのか? うーん……こいつも気まぐれなとこあるし、まあ別に何か問題があるわけでもないから気にしなくてもいいか――!?
突然、ぞぞぞ! っと背筋にものすごい寒気が走った。そして同時に背中に感じる強い視線。
バスケの試合で大量の視線を浴びたおかげだろうか、今の俺は視線に非常に敏感になっており、どこから自分が見られてるのかが何となくわかるようになっていた。
こ、この感覚は知ってる! つい最近覚えたやつだ! さっきバスケ部の連中と対峙してる時に感じていた、そう、命の危機が迫っている時の感覚!! もう試合は終わったのに何で!? な、何が起こってるのかはわからないけど、とにかく妹だけは守らねば……!
どうやら海音はこの事態にまったく気づいていないらしく、相変わらずにやにやしながら俺に引っ付いてくる。
そんな鈍感で暢気すぎる妹を視線から守るように体を動かしつつ、俺は意を決してゆっくり後ろを振り――この視線を発している張本人とがっつり目が合った。
死んだ目で今にも消えてしまいそうな雰囲気のゆーちゃんが、まるでこちらをのぞき込むように体育館の壁から顔を覗かせていた。光の加減や長い黒髪も相まって、一瞬、本物の幽霊みたいに見えてめちゃくちゃ怖かった。
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