欲しいのならば、全部あげましょう
「お姉さま!そのドレスわたしに頂戴!」
妹は今日も私の私物を強請りにやって来ます。
今日はドレスですか。これは今月末のわたくしの誕生日の夜会用にとお祖父様がわざわざオーダーメイドして下さったものなのだけど。
「いいでしょうお姉さま!その綺麗な空色はわたしにとっても似合うと思うの!」
似合うかも知れないけれど、貴女にはサイズが合わないわよ?
「ねえ頂戴、お姉さま!」
ああ、これはもう言っても聞かないわね。
「良いではないか。お前は姉なのだから、可愛い妹のお願いを聞いてやるべきだといつも言っているだろう?」
ええ、まあお父様はこの子を溺愛なさっているからそう仰るわよね。
「ドレスの一着や二着なんですか。誕生日用ならまた仕立てればいいではありませんか」
ええ、お義母様はこの子の実母ですから当然そう仰るわよね。分かってますとも。
そして、そんなこと言いながら新しいドレスは仕立てて下さらないのよね。
「いい加減ワガママはお止めになりませんと、『妹を虐めている』と噂になって困るのはお嬢様ですよ?」
というか、貴女わたくしの専属侍女よね?どうして貴女までこの子の味方をしているの?
「あら、だって私を含めてこのお邸の使用人たち全員、妹君が大好きですから!」
ああそう。
そういうことですか。
まあ使用人たち全員、お義母様が来てから雇われた者たちですものね?
「お返事がないってことは、お許しが出たってことよね?ありがとうお姉さま!月末のお誕生日パーティーはこのドレスで出席しますから、楽しみにしていてね!」
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
慌てて止めるが、引き止める間もなく妹はドレスを奪い去って行ってしまいました。
今日はドレスだったけれど、妹が欲しがるのはそれだけではありません。
彼女はとにかくわたくしの物は何でも欲しがるのです。昨日はピアス、一昨日はお気に入りのティーセット、その前は指輪、その前は絵画、その前は………。
ああ、考えるほど腹が立って来ましたわ。
なんでこうも奪われなければならないのかしら。
妹が出て行ったので、満足したのかお父様もお義母様も侍女もみんな部屋を出て行って、わたくしはひとりになります。周囲に誰の気配もないことを確認して、わたくしはクローゼットを開きます。
残っているドレスはあと僅か。普段着用のワンピースとブラウスやスカートの他は、夜会に着て行けるものが二着、お茶会に着られるものが三着だけですか………。
その残り少ないドレスを左右に掻き分けて、わたくしはクローゼットの奥壁を手探りで探し、小さな窪みを見つけて指で押し込みます。
ガコ、と音がして、隠し扉が開きます。その奥にはいまだ無事なドレスがひい、ふう、みい…………47着ですか。これは見つからないようにしないとね。
さて、それはそれとしてあの子どうしましょうか。
クローゼットを元通り隠しながら私は思案します。これが見つかってないのなら屋根裏の隠し金庫も壁の裏の隠し書庫も床下の隠し貯蔵庫も見つかってないと思うのだけど、いくら囮用とはいえあの子の奪っていったアクセサリーやドレス、本や絵画はどれも全部価値のある本物ばかり。奪われたままというのも、ねえ?
ですがとうとう、あの子は奪ってはならないものまでわたくしから奪っていこうとしたのです。
だったらもう、遠慮も容赦もいりませんわね?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それはわたくしの誕生日パーティーでのことでした。正確には、その始まる少し前のこと。
わたくしは主賓ですから、当家主催とはいえこの日ばかりは何もせず饗される側に収まっています。妹大好きな侍女たちでさえそこは弁えているようで、わたくしは朝から徹底的に磨かれてピカピカです。
「お嬢様、その見たこともない藍色のドレスはどうなさったんです?」
「ああ、これ?あの子がドレスを持って行ってしまったから、仕方なくお祖父様にお願いしてもう一着仕立てて頂いたの」
「まあそうですか」
まあ嘘ですけどね。これは去年からわたくしが自分で仕立てて隠しておいたものですが、わざわざそんな種明かしはしませんよ。
というかお祖父様には敢えてお知らせしておりません。このパーティーにも来てくださる予定だし、わたくしがあのドレスを着ていないのを見ればそれだけで色々と察して下さるでしょうから。
そして案の定、あの子はあのドレスを着ておりませんわね。
「お姉さま!?何それそのドレス素敵!」
「あげませんわよ?」
「えっなんで!?お姉さまひどい!」
「だってこれ借り物ですもの。わたくしのものでないのだから、貴女にはあげられないわ」
まあ嘘ですけどね。
「くっ……、借り物なら仕方ないわね……」
あら、騙されてくれたわ。
「それよりも、貴女あのドレスはどうしたの?今日着てくると言ってたわよね?」
貴女があれを着ててくれたら、話が早かったのだけど。
「ああ、あれ?」
けれど妹は事もなげに言ったのです。
「あれ不良品だったわ。ちょっと無理して着ようとしたら腰回りが裂けちゃったもの」
そりゃ貴女はわたくしよりもふっくらしてますからね、無理して着ようとすればそうなりますわよ。せめて少しくらい痩せる努力をすればいいのに。
「でもねわたし、もういいの!それよりも今日は別のものが欲しいの!」
「それよりも」ですって?その言い方は無いんじゃない?
というか、今度は何なのかしら?
と、そこへやって来たのはわが婚約者さま。
「相変わらず美しいな、君は」
………ん?この方わたくしを褒めたことなどあったかしら?
って、妹なぜ彼の腕に抱きついているの?そして彼もなぜ目尻を下げているの?
「お姉さま!」
訝しむわたくしに、妹は言ったのです。
「この素敵な婚約者さまが欲しいわ!この方をわたしに頂戴!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
わたくしの誕生日パーティーは中止になりました。元々わたくしの誕生日祝いと合わせて彼との結婚発表の場として用意されたパーティーだったのに、彼が妹と謀って婚約者の交代を要求し、あろうことかお父様もお義母様もそれを了承なさったのですから、もはやパーティーなんて開けるはずがありません。
お父様は外聞を気にしてパーティーだけは予定通り行うと言い張りましたが、そんなことをすればわたくしが婚約破棄されて結婚もなくなったと公表するようなものですよと指摘して差し上げたら、ぐぬぬと唸って結局同意なさいました。
まあもう一緒ですけどね。誕生日パーティー中止=結婚発表中止だと、招待客の皆様がお分かりにならないはずありませんもの。
そして、その後も妹のお強請り攻撃は止みません。
いいでしょう。ならば、全部差し上げますわ。
「お姉さま!このネックレス⸺」
「あげるわ」
「えっ?」
「聞こえなかったの?あげると言ったのよ」
「そ、そう?やっと分かって下さったのね!」
せいぜい喜んでなさいな。
「お姉さま!この靴が⸺」
「あげるわよ」
「えっ?あ、ありがとう?」
「お姉さま⸺」
「あげるったら」
「えっまだ何も言ってないけど…?」
「はい、これもあげる」
「えっこれ、お姉さまのお母様の形見のブローチじゃ⸺」
「欲しいんでしょう?」
「そ、そうだけど………」
まあそれ、念のために作った偽物ですけどね。
「これもあげるわ」
「えっ嘘、これ限定物のピンクダイヤモンドのネックレス!?」
まあ模倣品ですけどね。
「あと、これもあげる」
「えっ、これ何?」
「東方世界から輸入された“浴衣”というドレスよ。暑季の夜に着るとちょうど涼しくていいの」
まあ男物ですけどね、それ。
「ちょうどいいから、これもあげる」
「えっこれなに⸺って臭っ!?」
「そう、くさやよ。これも東方からの輸入物で、おやつにしようと取っておいたの」
「ってこれ食べ物なの!?」
「ついでだから焼いてあげるわ」
わたくしはサッと携帯用着火器を用意して網を敷き、素早く防護用の口帯と防護眼鏡を装着して、有無を言わさずくさやを焼き始めます。
着火器はどこのご家庭の台所にもある魔道具の一種で、火加減の調整が自由自在なので広く普及しています。携帯用は冒険者などが野外で愛用する小型版で、こうして妹の部屋でも簡単にくさやを焼くことができます。
ちなみにくさやとは、あまり詳しくは聞いていないけれど新鮮なお魚を捌いてから専用の液に漬け込んで、その上で干した乾物なのだとか。お酒のオツマミにちょうどいいと聞いて買ったのだけれど、何となくワインには合わなそうで持て余していたのよね。
「えっちょっここで!?うわクサっ!何これ物凄い臭い!!」
「だってくさやですもの。当たり前でしょう?」
「ちょっとやめ⸺ゲホッ、ゲホ!」
「この匂いがいいのに」
「ちょ、扇いでこっちに送らないで!ウエッ!」
妹があまりに騒ぐものだから、お父様たちがやって来てしまいました。
あら、元婚約者も一緒でしたか。
「お前たち、何をやって⸺何だこれは!?臭い!」
「どうしたんだいった⸺ウワーッ!?」
「なに!?何なのよこの物凄い臭い!!」
「丁度良かった。お父様たちもお召し上がり下さいな」
「たっ、食べ物なのかこれ!?」
「食べられるわけないだ⸺ゲホッ、ゴホッ!」
「やめ、やめなさい、目に染みる!?」
このくさやを買ったときに一緒に口帯と防護眼鏡を売ってくれたあの行商人には感謝しかありませんわね。これが無ければまともに焼くことさえできませんものね。
「目が痛い、鼻が苦しい、息ができない!」
「も、もうやめ、おねえさ……」
「もう無理!耐えられない⸺扉が開かないわ!?」
開きませんよ。たった今わたくしが鍵かけておきましたから。窓も閉め切ってあるので、煙ともども逃げ場はありませんわよ?
扉の外から使用人たちの騒ぎ声が聞こえるけれど、もちろん開けるつもりもありません。
「………あら?どうなさったの皆様床に這いつくばったりして」
「け、煙を避けておるのだバカ者!」
「全く君は、嫌がらせだけは一級品だな!」
「あらあら、皆様座食パーティーがお好みでしたか」
わたくしがそう言って携帯用着火器を床に置き直すと、何故か悲鳴が。
「おまえっ!?何ということを!?」
「これじゃあ煙から逃げられない!?」
「お姉さまぁ、ごめんなさい!もう欲しいとか言いませんからぁ!」
「まだ焼けてもないのに、今からそんな弱気でどうするの?」
「「「「ヒェッ!? 」」」」
「ほら、煙だけでも堪能なさい?」
「ギャアアアアア!!」
「臭い!染みる!痛い!」
「助けて!誰かここから出してぇ〜!」
「しっかり火を通すことと聞いているから、このまま中一ほど焼きますからね」
「「「「嘘でしょ!? 」」」」
結局、本当にたっぷり中一ほど燻してあげて、ふっくら焼き上がったところを「お箸」という、これまた東方からの行商人から買った東方の食器で取り分けて皆に食べさせてあげました。このくさや、骨があるからナイフとフォークでは食べづらいのよねえ。
「うわ食べても臭い!?」
「いやだが、これは酒が欲しくなるな」
「ワインでは合わないし、ブロイス産の麦酒などが合いそうね?」
なるほど、麦酒は盲点でした。さすがお酒好きのお義母様。
「あたしはお酒飲まないしぃ、これ臭いし苦いしもう嫌ぁ…」
「あら、せっかくの妹へのプレゼントなのに」
「私は、私の欲しいものだけ欲しいの!」
あらあら。とうとう言ってしまいましたわね?
「じゃ、貴女の欲しいものをあげるわ」
わたくしは窓に寄って素早く鍵を開けます。サッと開いた窓から入ってきたのは、わたくしの商会の従業員の娘。従業員と言ってもライバル他社への諜報活動がメインの裏社員で、まあ要するに隠密です。
「お嬢様、こちらを」
「ええ、ありがとう」
普段は会頭とかボスとか呼ばせてますけれど、ここでは「お嬢様」で。わたくしの正体まで明かすつもりはありませんし。
「なっ、何だその女は!?」
「賊を招き入れるつもりかお前!?」
「ほら、貴女の欲しいものよ」
外野の声は無視して、わたくしは書類の束を妹の目の前に投げ寄越します。
「えっ………何この書類………?」
「元婚約者の素行調査の記録よ」
「「えっ!? 」」
あら、ふたりして綺麗にハモりましたわね?
もしかして意外と相性良かった?
「えっちょっ、待て、君いつの間に!?」
「いつの間にも何も、最初から全部知ってますわ。婚約者として名前が出た時点で全部調べましたもの」
「なん………だと………!?」
「取り巻きの女が13人、そのうち体の関係があるのが7人、お腹に子がいるのが2人」
「「「………は!? 」」」
あ、今度は父と義母と義妹が綺麗にハモりましたわね。
「あとその女たちに貢ぐのに、方々に借金こしらえてますわね。商会3つ、貴族家4家、あー学生時代の同級生の平民にまで借りてましたか。最低ですわね」
「い、いや違う!?僕は知らないぞ!?」
全部バレてると言ってますのに。悪あがきする人ね。
「き、君は!浮気は全部精算すると約束したではないか!」
「そうよ!それに借金も全部片付けたと言ったじゃない!」
あーそれでお父様もお義母様も家格目当てに婚約を結んでいたわけね。彼の家は侯爵家、うちは伯爵家で婿にもらえば箔だけはつくものね。
でもお生憎様。彼こんなだし彼の家も実は破産寸前で、放っておいてもわたくしの方から切り捨てるつもりだったのよ?
「ま、これだけの不祥事を抱えた上にわたくしからこの子に乗り換えたわけで、もう容赦は要らないわよね?」
「違うんだ、待ってくれレベ」
「気安く呼ぶんじゃないわよ」
冷たい顔と声で宣告しただけで黙るとか、どれだけヘタレなの貴方?
まあいいわ。次。
「ところでお父様?貴方、ただの入り婿だと解っておいでかしら?」
「……………………は?」
ああ、その反応はやはり分かってませんわね。
「わが伯爵家は先々代、つまりお祖父様の娘である母が正当後継者。そしてその母が亡くなったことで、後を継げるのは母の血を継いだわたくしのみ。当然お分かりよね?」
そして、先日の誕生日を迎えたことでわたくしが正式に伯爵位を継いだことも、当然分かっていなければならないんですけどね?
「な、何を言っている?伯爵は私だぞ!?」
「貴方はしょせん“伯爵代理”にしか過ぎませんわよお父様?わたくしが爵位を継げる16歳になるまでの繫ぎのお役目、ご苦労様でした」
「なっ、何を言っているんだお前!?」
「そっ、そうよ!貴女は今回の婚約破棄で用済みになったから追い出す予定だったのに!」
「あら、そんな雑な計画立ててたんですかお義母様?いえ、伯爵家の籍にも入っていない平民女の分際で、女伯爵であるわたくしを追い出せるとでも?」
「「「「お前が、女伯爵!? 」」」」
「いや待って、待ちなさい!私が伯爵家の籍に入っていないってどういうことよ!?」
「そのままですわよ。入り婿で伯爵代理に過ぎないお父様は、当然伯爵家の戸籍も触れませんもの」
「なんですって!?」
「えっ、じゃあわたしも!?」
「そうよ?お義母様はまだしも“伯爵代理の妻”だけれど、妹なんて最初から居候させてもらってるだけの平民娘よ?」
「う、うそ、嘘よ!?」
「嘘なものですか。より正確に言えばお父様だって伯爵代理で爵位をお持ちでないから、代理の役目が終わればただの平民よ?」
そして先日の誕生日にお会いしたお祖父様に手続きの代行をお願いしたから、もう今頃は全部終わっていますわよ。
「ということで、全員さっさと荷物をまとめて出ていくように。この邸は伯爵家の財産で、伯爵家の人間はこの場にわたくしだけ。これは決定であり、伯爵としての命令です。直ちに従いなさい」
「まっ、待ってくれ」
「………何かしら?婚約期間中ずっと浮気し放題で他所に子供まで作った挙げ句に妹に乗り換えた元婚約者さま?」
「いや言い方酷いな!?」
「だって事実でしょう?
それで?まさか今さら許してもらおうなんて思ってないわよね?」
「くっ………!」
「分かりやすいくらい浅ましいですわね、貴方。まあ貴方も侯爵家の三男で、我が家に婿入りしないと平民落ち確定ですものね?」
「わっ、分かってるなら助けてくれ!」
「何を今さら。裏切るどころか最初から味方ですらなかったくせに、なぜわたくしが助けなければならないのかしら?」
「そ、そんなこと言わずに!婚約者だっただろう!?」
「婚約者にしてあげていただけよ。それを蹴ったのは、あ・な・た・よ?」
「そ、そんな………!」
「ああ、それとお父様、お義母様。これをあげるわ」
「「な、なんだこれ!? 」」
「あなた方が今まで散財した財産の一覧よ。耳揃えて返すなら、買った分の持ち出しは許可してあげるわ」
それは今までこの人たちが買った衣装やアクセサリー、絵画や装飾品の購入目録。全部調べてありますから、ゆっくりご確認くださいな。
「これ、全部貴女に払わせたやつじゃない!」
「そうよ?立て替えてあげたものだから、きっちり払ってもらいますわ」
「は、払えるわけないじゃないこんなの!」
「そう?じゃあ全部置いていくことね。
それから、これもあげるわ」
そう言って、消耗品の目録も手渡します。こちらはお茶やお菓子、お酒や外食費などで形に残らないものだから、全額取り立てますわよ?
「無茶言わないで!払えるわけないじゃない!」
「無茶なものですか。伯爵家の財産を食い潰しておいて逃れようと思う方が無茶でしょう?それでも払えないというのなら、司法に告訴して裁判するだけよ?」
「「「ヒィッ!? 」」」
「くっ、こうなれば………!」
「ああ、わたくしを力づくでどうにかしようとしても無駄よ?」
わたくしはチラリと窓の外を確認します。
「だってもう、衛兵たちが来ているから」
「「「「なっ、なんだってぇ━━━!!?? 」」」」
それはそうでしょう?使用人も含めて多人数をひとりで相手しようとするのだもの。保険は当然かけてあるわよ?
と、その時。扉をノックする音が響きます。
「レベッカ、私だ。開けなさい」
「はいお祖父様、ただ今」
「「「「ゲェッ!? 」」」」
わたくしが開けた扉から入って来られたのはお祖父様。すっかり髪も白くおなりになってしまっているけれど、若かりし頃に騎士として名を馳せた名残か、今でも逞しいお身体を保ってらっしゃる、若々しいお祖父様。唯一最初からずっとわたくしの味方でいてくれた、頼もしい先々代伯爵さま。
衛兵と一緒に、そのお祖父様もお呼びしていたのよね。
「そろそろ頃合いかと来てみたが⸺いやだいぶ臭いな!?さてはレベッカ、お前ここでくさやを焼いたな!?」
まあ匂いと、わたくしが付けたままの防護眼鏡と口帯を見れば一目瞭然ですわね。
それにしてもお祖父様、くさやをご存知だったのね。
「まあだいたい終わりましたわ。あとは使用人たちの解雇くらいですけれど⸺くさや、食べます?お祖父様?」
「いや私はアレを食べるときは東方の米酒と決めておるのでな」
「まあ残念。さすがにそれは買ってませんわ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、お父様とその愛人とその娘と元婚約者は、わたくしからの最後のプレゼントである手錠を両手に付けて邸から出ていきました。わざわざ両手に嵌めるだなんて、気に入ってもらえたようで良かったわ。
あとはまあ、冷たくて不潔な独房を気に入ってもらえるといいのだけれど。
あの人たちが抱えた我が家への借金は、鉱山かどこかで強制労働しながら少しずつ返してくれることでしょう。別にお金には困っておりませんから、取り立ても急がないであげましょう。
「それでだなレベッカ。次の婚約者だが⸺」
「あっ、結構です」
「なに?」
訝しげな顔になるお祖父様。まさか断られるとは思っていなかったのでしょう。
「だってお祖父様が縁談を整えたお母様の婚約者はお父様だったでしょう?一応は子爵家の出とはいえ伯爵家の財産を食いつぶすことしか頭になかった能無しだったし、叔母様に聞いたのだけれどその前の婚約者はお母様から叔母様に乗り換えようとした浮気者だったそうね?
つまり、お祖父様に男を見る目はありませんからお断りします。自分で良い人を見つけますわ」
そう、お祖父様の唯一の欠点とも言えるのがこれ。婿を見つけるのが絶望的に下手くそなのよねえ。
「むう……」
ご自覚がおありなのか、小さく唸ってしょげてしまわれました。何だか可哀想だけれど、わたくしも自分の人生がかかってますからね。ごめんあそばせ。
【お断り】
ネタとして書いておきながら、作者は西日本在住なもので「くさや」を食べたことがありません。なので聞いた話とnet検索の結果だけで(つまりイメージで)くさやを表現しています。もし間違ってたらごめんなさい。
【用語説明】
・中一
作者の他作品をご覧の皆様はご存知かも知れませんが、時計の役目を果たす「砂振り子」という魔道具の中型のものが「中砂振り子」。要は砂時計ですが、ひっくり返してから砂が落ちきるまで約10分かかります。
微小、小、中、大、特大とあり、それぞれ1分、5分、10分、30分、1時間計れます。「中砂振り子が落ちきる一回分」略して「中一」です。
・東方世界
この世界は大陸の中央部を流れる〈大河〉を境に東側が「東方世界」、西側が「西方世界」です。物語の舞台は西方世界のとある国。
東方からは行商人たちを介して様々な物が西方世界に輸入されています。
・商会
主人公は将来の独り立ちを見越して、学生時代(13〜16歳)に独自に商会を立ち上げて成功させ、独自の財産を築いています。ただしそれは父や義母には内緒です。
・隠しクローゼット
元々は亡き母が使っていた主人公の部屋。なので様々な隠し場所があることを主人公以外の誰ひとり知りません。主人公は母から聞いていて、この部屋以外のすべての隠し部屋も知っています。
これは祖父も全部把握していません。亡き祖母から亡き母、そして主人公へと「邸の女主人」にのみ伝わる秘密。