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朱美

 朱美は大雨でおこった山津波でほぼ壊滅した山一つ向こうの村の生まれらしい。

 そこで夫と財産のすべてを亡くした母は、まだ歩き始めたばかりの朱美を連れて、遠い親戚のいたこの村へと移り住んできたそうだ。

 もっとも母はこの村にたどり着いて間もなく、亡くなったらしい。

 全て伝聞なのは朱美は幼くなにも覚えていないからだ。僅かに朱美の記憶の中にある母は、ただひたすら泣いている。その涙が何に対してのものなのか、朱美にはわからない。

 母の頼った遠い親戚はまだ何もできぬ幼子の朱美を持て余し、山に捨てようなどと思ったこともあったようだ。

 なぜ朱美がそのようなことを知っているかと言えば、朱美を引き取り育て上げた『村長』がご丁寧に朱美にそう告げたからだ。

 朱美は、少し不思議な力のある子供だった。

 わずかながらではあるが、『神』の力を『活性化』させることができるらしい。

 ゆえに、朱美は村長に拾われた。

 使用人扱いではあったが、待遇は悪くなかった。

 『御柱さまのお気に入り』として、『いざという時の供物』として育てられた朱美は、村のどの娘よりもある意味では大切にされていたと言っていい。

 年頃になっても、どれほど美しく育っていても、朱美を嫁にとろうとする男はいないまま、朱美は二十の歳を迎えたのだった。

 御柱さまの神体である大木が燃えた時。

 朱美は、自分の命が終わることを知った。

 御柱さまの力が失われたことは明らかで、それを取り戻すために、村長は躍起になっている。

 自分はいずれ供物として捧げられてしまう……そうわかったけれど。

 朱美は不思議と逃げようとは思わなかった。

 幼い頃からの刷り込みのせいかもしれない。

 生きていくことに困ることはなかったが、周囲は朱美に対してどこか線を引いており、朱美はいつも孤独だった。

 御柱さまの力が失われた今、朱美の命の意味はそれを取り戻すこと。

 だから、外つ國の神がここを護るのに花嫁が必要というのであれば、朱美が行くのが正しいことなのだ。

 それでも。

 薬を飲まされ、逃げぬよう言い含められて、棺桶のような箱に入れられることは、やはり恐怖だった。

「そなたは贄か。それとも花嫁か。まあ、どちらでも大差はないが」

 箱を開いた男はそう言った。

 眼光が鋭い。髭は伸び放題になっており、かなりの長身だ。兵法者のような風体。

「……人?」

 痺れた口ではうまく話せない。

「そなたがここに来たことについて、話を聞きたい。そこから出てこられるか?」

 朱美は首を振る。

 箱のふたが閉まる時、ふたが開いた時に見るのは、山神であると思っていた。目の前の男は一体何を言っているのだろう。

「ふむ。出てはならぬと言い含められたというわけか。しかも薬が使われているな」

 不意に男の顔が近づき、朱美は驚いた。

 村長は朱美に男が近づくことを禁じていたから、このような至近距離で男の顔をみたことがない。

 思わず身を硬くしたが、男は朱美の口に丸薬を放り込んだ。

「ゆっくりと口の中で溶かせ。多少苦いが動けるようになる」

 川越左門と名乗った男は、朱美に箱を出るように促す。

──どうして。

 左門は、山神を倒すという。神を倒してしまったら、村はどうなるのか。

 そもそも、朱美がここにいる意味がなくなってしまう。

 この男を止めるべきなのだろうか。

 朱美は唇を噛む。

──そもそも、神を倒せるものなの?

 御柱さまの力が消失した時。神も死することを知った。だが、それは、人の手によるものではない。

 その時、岩窟から黒い靄が噴き出した。それは、禍々しく左門の言う通り『神』には程遠い。

「山……神?」

 靄から出てきたのは、どす黒い妖気をまとった『鬼』としか呼べぬものだった。月光に反射する銀色の角が二本。真っ赤な肌。身体の大きさは小山のようで、拝殿の屋根まである。

 目は大きくてぎろりとしている。身に着けている粗末な着物を見るにひょっとしたらかつては人だったのかもしれない。

──神ではない。

 朱美はごくりと息をのんだ。

 御柱さまの力に触れていた朱美にはわかる。目の前にいるそれは、力こそあれど、どうやっても村を護る神にはなりえないものだ。

「ほう。赤鬼が神と名乗ったか。常夜の欠片を喰らって随分と気が大きくなったものだな」

 左門が山神を挑発する。

──だめ。

 目の前の鬼の持つ力は、人が対抗しえぬものだと、朱美にはわかる。

「逃げて!」

 朱美の叫びを無視して、左門はそのまま鬼に向けて跳躍した。

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