1 二十一時
これはPCゲーム「Minecraft」にて行われたイベント、第三回瀬田鯖運転会を元にしたフィクションです。実際の鉄道指令業務とは異なり、ゲーム特有の表現があります。
二十時五十八分。
指令室に怒号が飛ぶ。
「東止はまだか!」
「今は所用で離せないそうです」
受話器を片手に一人の指令員が答える。
「なら何時には来れる」
「二十二時には」
総合指令長――田子は軽く舌打ちをすると言った。
「仕方がない。一時間もたせるぞ!」
指令室に緊張が走る。
二十一時。運行開始まで残り三分を切っていた。
――倉急電鉄、烏倉線指令室。
関南地方の東西に路線を持つ倉急電鉄のうち、西側で運行する烏倉線を管轄する指令室である。
であるのだが、今まさに修羅場を迎えつつあるのは、その指令室を模した模擬実習用の指令室である。倉急電鉄では、ここで将来の運行を支える指令員を養成している。倉急以外でも、関南地方にある私鉄各社では同様の教育体制を導入している。そして今日は直通先の瀬田電鉄との合同練習会であった。練習会には倉急・瀬田電の各指令員の他、列車の運転士、駅員、保線員などが参加している。
「あーあ。今回は平和に終わってほしいな」
若い運転士がぼやくと、先輩格の運転士がそれに反応した。
「おい、どうした」
「いえね、毎回ダイヤと指令は滅茶苦茶になるじゃないですか。今回はどうなるのかなと」
若い方からはため息がもれる。
この演習の目標は定時運行なのだが、それを阻むようにいくつものトラブルが仕掛けられている。しかもポツリポツリとではなく、障害物競走のように次々と現れるのである。それが三時間も続くのだから、始まる前から徒労感を覚えるのはごく自然であった。
「対応ミスると、こっちがしごかれるからなあ」
「ぼやくな。実際の運行でやらかすより、はるかにマシさ」
「そうは言ってもなあ」
後輩の方は不満を漏らしつつ、指定された筐体に乗り込んだ。実際に運用されている車両の運転室を模しており、それぞれの筐体と各指令室はオンラインで結ばれている。各車の走行位置や、シミュレーションに組み込まれたトラブルが、リアルタイムに反映されるというわけだ。これにより、実戦さながらの練習が可能になっている。
一方の指令室も、本物同様の設備を有している。三列ほど並ぶ指令卓の前に、指令盤が鎮座する。そこには烏倉線の全ての配線が緻密に描きこまれており、列車の位置を表示している。
烏倉線の駅は東から順に、智美丸子、谷沢、烏倉、宮口、南若部、若部の計六駅。路線はさらに若部駅から瀬田電鉄線に接続しており、ほとんどの列車は瀬田駅まで直通する。
二十一時のダイヤで、倉急線を走行するのは計七運用。
運輸指令長の東止が抜けているのは痛いが、この本数なら難なく回すことはできるであろう。田子はそう思考を進め、総合指令長の椅子に腰を据えた。田子はこの練習会における教官役であり、その他各指令長と指令員は教育を受ける側である。
「すでに進路は開通しています。時間になりましたら出発してください」
指令室から各運転士に指示が飛ぶ。
そして二十一時三分。予定通り始発列車が滑り出す。指令盤上の点が、次々と移動を始めた。演習なので乗客はいないが、動く点それぞれに運転士がいる。ただ機械的に動くわけではない、生きた点である。
管内全ての列車が発車し、幸先は順調かに思われたが次の瞬間、それが揺らぐことになる。
「瀬田電鉄指令から連絡です。11Kの運転士が来ないそうで……」
「なに? 遅刻か」
言いながら田子は、主のいない運輸指令長席を見やった。
「瀬田電鉄管内でどうするかは、追って連絡するそうです」
11K運用の列車は、011C普通列車として瀬田駅引き上げ線を二十一時八分に発車。その十分後に倉急線に入るダイヤである。連絡によれば、その運転士の応答がないということであった。
オンラインという性質上、この演習では会社境界での乗務員交代は行われない。運転士は同じ列車を乗り通す。瀬田電鉄管内で今現在運転士がいないということは、直後に倉急管内も同様の事態になるということである。
「まあ、入れるところから入ってもらうだけだ。今慌てても仕方がない」
そう言うと、田子は指令盤へ目を戻した。
盤上に描かれた線の上に、所狭しとスイッチが敷き詰められている。そのスイッチを操作することで、各駅の分岐器や信号機の表示を変える。それが指令の仕事である。逆に言えば、それ以外にやれることは少ない。
運転士が来る来ないという問題は、指令盤でどうにかなる種のものではない。それが田子の考え方であった。割り切った田子は短く指示を出す。
「さしあたって、運休の準備だけはしておけ」
二十一時九分、瀬田電鉄指令から再び連絡が入る。
「11Kは瀬田電鉄線内運休になったそうです」
「だろうな」
田子は一言だけだった。
今のところ倉急線内は定時運行できている。このまま行けば11Kは運休になってしまうだろうが、操作する仕事量は減る。指令室としては楽ができる。
そんなシナリオも束の間、
「烏倉駅ポイント故障!」
二十一時二十二分、次なるトラブルが舞い込んだ。
本来四番線に入るはずの114C普通列車が、分岐器の異常で三番線に入線。仕方なく後続の急行を四番線に入れようとしたものの、分岐器が変わらないのである。
「すぐに保線員を現場に派遣。それと後続の2112Cに場内信号で待つように伝えろ」
田子は素早く指示を飛ばす。原因に大方の予想はできていた。
一分後、保線役から連絡が届く。
原因は保線用の分岐器固定スイッチがオンになっていたこと。指令室からの操作を受け付けない状態になっていたのだ。
演習ではこうしたトラブルがランダムで発生するようになっている。保線役はいちいち現場に赴く必要はないが、代わりに室内の膨大な回路と対峙する。こうして、あり得るトラブル要因は何かを叩きこまれる。
連絡には、このスイッチをオフにしたということも付け加えられていた。
「今日のはかなりやるな……」
「倉急指令から2112C急行瀬田行き、烏倉駅四番線へ着発線変更。まもなく進路が切り替わります」
この後急行と普通は接続を取り、それぞれ出発していった。急行が少し飛ばして来ていたこともあり、遅延は二分で抑えることができた。
だが、まだすべてを解決したわけではない。11Kの運転士が依然として応答なしである。
ダイヤ通りなら、すでに終点の智美丸子駅に到着。折り返し準備に入っているはずであった。
「このままでは、折り返しの110Cには間に合わないだろうな」
田子はため息交じりに言う。そして思い切った手に出た。
「11Kは倉急線内運休。瀬田電指令にもそう伝えてくれ」
11Kは110C普通列車で倉急線を出ると、二十二時台まで戻ってこない。有体に言えば、11K問題を瀬田電鉄側に丸投げした形になる。
「まあ向こうの指令室は人数も多いし、大丈夫だろう」
田子は頭を掻きつつごまかした。
一つ問題を解決したら、すぐ次の指示に向かわなければならない。それが指令員の休まらない所である。
その後はいくつかの車両故障と、それに伴う番線変更を経て、二十一時台の運行が終了した。演習ダイヤは、二十二時十分まで全線で運行がストップする。
その休憩の最中、瀬田電鉄指令から連絡が入る。運行時間外の連絡という珍事に、指令室は訝しんだ。
「あの……11Kの運転士、もともと欠席だったらしいんですけど……」
対応した指令員が、やりやがったな、という顔で田子を見る。
今日のダイヤと運転士のシフトを組んだのは田子であった。言い逃れはできなかった。
田子は電話を替わるとこう告げた。
「すまん、やっちまったわ」
この日の指令は、まだ三分の一を終えたばかりである。