クレモナ・ロープを買いに行こう
Rが死んだ。
知らせを受けたのはある夏の日、照りつける朝日に目の眩む月曜日であった。
私は茫然としたまま、スマートフォンを取り落す。それを拾い上げることもせず、ベッドから降りることもせず、ただ無為で憂鬱な時間を過ごしていると、母が私を起こしにきたようだ。
「あら、もう起きていたの。珍しいこともあるものね」
「Rが、死んだって」
「R?あんたの好きなロックスターか何か?」
そういえば、母はRのことを知らなかっただろうか。
「友達のRだよ。会ったこと、なかったっけ」
「あら、そう、それは。残念ね」
言いよどみ、申し訳程度の言葉を残すと、母はそれきり黙ってしまった。今日は休むと伝えると、控えめに頷き、奥に引っ込んだ。
私がもう一度横になり、惰眠を貪っているうちに、陽はさらに昇り、アスファルトと道行く人をじりじりと焦がしていた。
昼食にも遅い朝食を口にし、さして身だしなみを整えもせずに外に出る。
未だ衰えぬ太陽光を背に受けていると、後ろから声をかけられた。
「おはよう、どこ行くの?」
声の主は友人のAだった。彼女も今日は休日らしかった。
「聞いた?あの、Rの話」
そう私が問いかけると。
「ああ、その、死んだって?詳しく知らないけど」
Aはあまり感情を表に出さずそう言った。AはRと不仲だっただろうか、と考えていると。
「それで、私の質問には答えてもらえるの?」
これと言って目的は無かったのだが、さてどう答えるか。
そういえば、今日は毎月読んでいる雑誌の発売日だったことを思い出した。
「本屋まで、雑誌の発売日だから」
「ふーん。この暑い日にわざわざ行かなくても、ネットで買えば?」
「今読みたくて」
「予約しとけばよかったのに。電子書籍は?」
ここまで歩いてきたんだ、今更引き返すのも馬鹿らしい。そうそれとなく伝えると「そっか」とだけ言い残し、Aは沈みはじめた太陽に向かって歩いていく。
件の雑誌を購入し、本屋を出る頃には、薄赤い陽の光で空が染まりはじめていた。
影を背負って歩くことに嫌気がさした私は、踵を返し小さなホームセンターで夜を待つことにした。
軋んだ音を立てる自動ドアをくぐると、Nとすれ違う。向こうはこちらを一瞥したが、そのまま西へと歩いていってしまったので、こちらも気が付かなかったことにしておいた。
冷房の効いた店内へ入ると、レジの横に積まれた山からかごを一つ取り、いつものように最奥の売り場へ赴く。
「なんだ、入荷してるじゃん」
誰に悪態をつくでもなく、そう呟くと店員を呼び、切り売りのクレモナ・ロープ(12mm)を5メートルかごに入れた。
その後はあてどなく店内を巡り、入り口の常夜灯が点くのを確認してから会計を済ます。
店外に出ると、新しい夜のにおいが鼻腔をくすぐり、軋んだ音がより響いて聞こえる。
月の無い夜を歩いていると、帰路の先に二匹のゴキブリが這っているのが目に入った。
それを避けるため、角を右に曲がる。遠回りになってしまうが、物思いにふけるにはちょうどいいだろう。
家に帰り、風呂に入り、夕食をとり、ネットでぶら下がり健康器を注文する。そうすれば明日の夜には届くだろう。買ってきた雑誌を読み、就寝する。明日は何をしようか、バックナンバーを読み返しでもしようか。明日に想いを馳せながら、待つ者のないワンルームマンションへと歩いていった。