獣はその盃に死を満たす-2-
議会の間から、顔を赤黒く染めて怒り狂った貴族の集団が、足音を煩く蹴立てて出て行った。
女神の断罪から命拾いをした者たちは、全てこの議会の間に集められた。その中にはもちろん、王家の血を引く貴族たちも含まれていて、国王が失脚したと耳にした瞬間から目の色が変わった。だが、この議会の間に集められるまでは、その欲望を露骨には現す様なことはしなかった。
彼らは、王族の血を盾にしながらも、女神怖さに己から王位を欲しがる素振りは見せなかった。何しろ、目前で天罰の残酷さを味わい、王ですら断罪を避けることはできない。少しでも悪さをすれば、必死に隠しても女神は視ていると知ったのだ。
国王と言う立場が重責の上にあることは、高位になればなるほど思い知る。そして、王の成すことは、清濁飲んでこそ成せる場合も多いことを。
そこを、天からの眼はどう判断するのか。
基準がない。境目が分らない。己の踏み出した一歩が、万が一罪として裁かれることになったら…。
利口で狡猾な者は、あえて、そんな面倒臭い生活を望みはしない。すでに己はある程度の地位を得、十分な富と暮らしを手にしている。頭を下げる相手は、王を含めて二人ほどとなれば、わざわざ不相応な権力まで欲する気にならない。つまり、分相応を知っていた。
だか、欲を肚に持つ者は、たった今議会で出された結果に、怒り心頭で退出して行った。
反対意見としてあれこれ挟んだが、どれもこれも要領が得ないばかりか、口の端にも目の色にも、自分を推挙しろ言わんばかりの欲が透けて見える始末だ。
ヤンベルト辺境伯レイモンドは、白髪の目立ち始めた髪を、疲れの滲んだ吐息と共に掻き上げた。
「まだ、ご嫡男へご連絡なさっていらっしゃらないのでしょう?」
法務文官の長が、女官にあたらなお茶を頼みながら振り返った。彼の前には書類の山が積まれ、この日の為にどれほど仕事をして来たのかと、それを見やってレイモンドは申し訳なく思う。
「話してはあるが…な、頷きはしてくれん。二言目には『なぜ父上が』と言われてな」
今回の議会が荒れた最たる点が、そこだった。
ほとんどの貴族たちや王城に詰める重役職の臣下は、当然のことの様にレイモンドが王位に付くものと予想していた。
王族の中で一番新しく濃い血筋であり、文武共に力を持ち、あの恐怖の中で聖女の前に身を晒した猛者だ。
それが、開けてみれば嫡男のランフェルドを据えると言う。そんな型破りな選定など賛成できない、となった。
親の欲目と言われてしまえば、それを否定はできない。しかし、己が王になるくらいならば、と思うのだ。
祖母であった王女を知り、その兄王子であった先王を知り、夫に裏切られた聖女王妃を知る。
彼らは、ヤンベルトをとても優遇してくれた。祖母が王女であったからでもあるが、それ以上に姪孫にあたるレイモンドと弟を、先代国王は我が子以上に可愛がってくれたのだ。
そして、簒奪王の妃となってしまった先代聖女。ある意味では、今代よりも不幸な路を選んでしまった。
いや、聖女となった時点で、彼女は王家に縛られてしまった。選ぶもなにもない。
「レデリカ王女を、何としてでもこの国に残したいものだ…」
「はい。あのお方の清廉さと潔さは、まさに王妃の器」
「だからこそ、息子に善戦してもらわないとな…」
「酷い父上ですな。レイモンド様はっ」
二人は顔を見合わせると、苦笑いを交わした。
「いや、私は良い父親だと自負しているぞ?あの領にいては嫁の来てがない。ヤンベルトは跡継ぎの生まれた次男に任せ、貰い遅れは良い嫁をあてがってやらねばな」
声を潜めながらも、珍しく眉間を開いて面白可笑しく話すレイモンドに、文官長は肩を震わせ笑った。
「それはそれは、まことに良い父上でっ…くくくっ」
離れすぎた血しか持たない貴族たちの、怨嗟と罵倒の声がする。しょせんは、他国の者のくせに、と。この国の王家に、他国の血を入れるなど、と。
一体いつの時代の話をしているのだとレイモンドは呆れたが、王族の血に縋るしかない者達は、それがどんなに尊いかを熱に浮かされたように語るのだ。
馬鹿を言え。そう、彼は腹の中で一蹴した。
何代も他国の王女を娶っておいて、他国の血がと騒ぐ馬鹿を相手にしていられない。
これからは、女神の名を冠することはないのだ。そうなれば、富める豊かなこの国は、絶好の的になるだろう。今はまだ女神の恫喝が影響している内に、とにかく国を一新しなくては――――それが、残された者達の務めだ。
新国王を立てる準備の最中、レイモンドを大神殿のエーデルズ神官長が面会に訪れた。
レイモンドが逗留している部屋の、客を迎えるための居間に通されたエーデルズは、深々とレイモンドに対して膝を折って頭を垂れた。
「罪人ジョーデルの犯罪捜索への、助力を感謝いたします。無事に全ての罪を探し終え、被害を被った方々への贖罪も終わりました。これ以降は、亡くなった方々へ私たち信徒一同が贖罪の祈りを捧げさせて頂きます」
「…あの豚の始末は?」
「最初は、神殿地下の牢へ幽閉と考えましたが、全てを暴いた今、それでは足りぬと各国大神官が物申しまして…詮議の結果、ガロン流刑島へ…」
勇猛と謳われるヤンベルトの当主であるレイモンドですら、それを聞いて驚きのあまり瞠目した。
ガロン流刑島は、言わば《野晒しの刑》を執行するための、島ごと全てが牢獄の場所。
罪人は荒波を越えて船で運ばれ、島に放り込まれて放置される。僅かな草木が生えているだけの、何もない島にだ。
食料や身を休める場所などない。それどころか飲み水すらない。ただ、荒野が広がる孤島なのだ。
脱走しようにも、どんなに泳ぎが達者な者であっても、陸地へは到達できない。その前に、巨大な渦を巻く荒波に飲み込まれて海中に引きずり込まれて生を終えるだけだった。
そして、罪人は絶望を知る。喉が枯れ、飢え苦しみ、そこで贖罪の念を持っても、すでに神はおろか人でさえも罪を許すことは無い。
最後の瞬間まで苦しむがいい。それだけを贖いとして許された島だった。
「あそこへ堕とされるほどだったのか…。しかし、大神官の身だった豚だ。術封印は完璧なんだろうな?」
レイモンドはエーデルズに頭を上げさせると、自分の前の席を勧めた。すでに、テーブルの横では侍女がお茶の用意を始めていた。
腰を低くしながら品の良い椅子の腰を下ろしたエーデルズに、レイモンドは懸念を問う。
神官として上る階段には、魔法を使えることも有利になる資質の一つだった。
「彼は大したスキルを持っておりません。言わゆる家頼み後援者頼みの腐れ神官だったのですよ。まぁ、それでも封印はいたしましたが…しかし、次の大神官候補が一向に上がらず、困っておりまして」
こけた頬をわずかに上げて疲れたように笑うエーデルズを見やり、レイモンドも同じ立場だけに微苦笑を返すしかなかった。
「やはり、女神様に見捨てられた、が枷になってしまったか?」
「それもなのですが、それ以上に、今回の断罪が目に焼き付いてしまった様で…。各国の高貴なる方々もでしょうが、こちら側も各国で色々ありまして」
女神の断罪の痕は、なにも国の頂上付近だけではなく、女神の足元に跪く信徒たちにも公平に下された。
今までは上の者たちの廃退を、見て見ぬ振りをして来た神官たちは、今回は見逃してもらえたのだと心に刻んだ。それは、一種の恐怖政治の構図だ。ただ、権力者が手の届かぬ場から無敵の力を振るうのだが。
この国を腐れせてしまった王族に、己も含まれているのだと思い、そして女神の慈悲の、最後の一滴までも穢した簒奪の王を、改めて憎んだ。
誤字脱字訂正 2/15