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聖女が指さす 王女の未来-3-

 辺境領と聞いて、誰もが思い描くのは深く暗い森林地帯が広がる未開地や険しい山々に囲まれた不便な土地だろう。

 だが、そこは広々とした丘陵地が続き、そのほとんどにまだ青々としたの麦の穂が風にそよいでいた。ずーっと続く麦畑の向こうに、黒々とした森林地帯が帯のように左右に伸び、そのまた向こうには白銀の峰を輝かせた山脈が、雄大かつ険しい腕を広げている。


「あの向こうは…」

「あの山脈の向こうは別の国です。遠いようですが、思いのほか近い」


 横で山脈を指さし説明してくれている男を見上げ、レデリカはほぅと吐息を漏らした。



 ヤンベルト辺境伯家の重厚な館へ到着したのは、すでに日暮れ近かった。

 当主レイモンドが王城へ詰めているためが、女性にしては背が高くふくよかなヤンベルト夫人が、丁寧な跪礼で迎えてくれた。すでに王太子妃ではないと慌てたレデリカに、夫人はニコニコしつつも王女様に失礼はできません、と頭を垂れた。

 優しく暖かな女主人直々の出迎えにレデリカたちは安堵し、早々に客間へ案内され、その夜は豪華な晩餐でもてなされた。


 なのにだ、その子息たちは色々破天荒だった。

 前夜に紹介された二人の子息はとても紳士だったが、翌朝には明るく朗らかでいて、無風流な男たちだった。


 二人の子息の内、レデリカの供をして領内を案内してくれたヤンベルト家嫡男のランフェルドは、三十を目の前にした父親そっくりの偉丈夫だった。

 甘い栗色の髪を後ろに撫でつけ、ハシバミ色の目は笑みに細められていたが、その奥には油断ならない光が篭っていた。お父上と同じ様な野生じみた質の様ね…とレデリカは冷静に観察すると、王太子妃の日々で鍛え上げた社交用の微笑みを浮かべてランフェルドの後を従って歩き回った。


 広いヤンベルト領は馬車で案内され着く度、一面の麦畑に川、森、食用花畑と風景が変わり、一言で大自然ですむ内容があまりにも目まぐるしく変わる様にレデリカとシェイーラは目を丸くしたものだった。

 辺境領に慣れた頃、ランフェルドは王女主従に「騎乗は?」と、問いかけて来た。

 二人とも馬車には飽きていたことや、生国では幼い頃から乗馬を習っていた事もあって「乗れる」と答えた。連れて行かれた厩舎で、また二人は呆気にとられた。

 生国はともかくフォルウィーク城ですら比べられない程の頭数の馬が並び、多くの馬番が世話をしていた。

 ランフェルドを先頭に、乗馬用ドレス姿の横座りの美しい騎乗で二人も馬を走らせ、その後を騎乗した私兵たちが続々と続いた。


 走れども丘陵地は途切れず、心地よい初夏の風が少し汗ばんだレデリカを取り巻いて流れて行く。

 こんなに身体を動かすのはいつぶりだろう、とぼんやり考えながら、大きく厚い背を追いかけた。


 次は、狩りへの招待だった。

 王族や貴族の狩りと言えば、足の速い小動物を放って、猟用に飼いならされた獣や魔獣に追わせて狩らせる。誰の猟獣が一番に狩るかを競い合い、王から褒賞を賜る。そんな娯楽の一種だが、ヤンベルト領での狩りは一言で言えば、魔獣退治だった。


―――なぜ、私はこんな所で魔獣と戦ってるのかしら?―――


 気づけば森林の奥で、ランフェルドの後ろに陣取りながら、援護の攻撃魔法を撃ち放っていた。その横で、シェイーラが長い鞭を唸らせ、脇から近づく魔物を打ち払っている。

 何かが違う…と思いながらも、そこで戦っている自分になぜか違和感を覚えない。怖いと感じても、不安や身が竦むほどの恐怖はなく、ランフェルドに庇われながらも彼を助けて次々と魔獣を倒すのは、奇妙なほどの爽快感と高揚を覚えた。


「ランフェルド様…」

「ランフェと呼んでくれ。貴女にはそいう呼んで欲しいのだ」


 この妙な感情に興奮がおさまらず、途方に暮れたレデリカは厩舎の前でランフェルドに縋ろうと思い、近づいて行ったが、疲労にふらりと揺れた体を、力強い腕が抱き留めて引き寄せた。

 一瞬の内に、別の意味で頬に血が上った。


「どうした?」

「私は、どうしてこんな野蛮な事を楽しんでいるのでしょうか…。心が奇妙に弾んで、今夜は早くに寝付けない気分ですわ…」

 

 冷静な侍女のシェイーラが聞けば、慌てて主の口を塞いだだろう。それは聞く者によっては、夜の誘いと誤解されても仕方ない。加えて、レデリカ自身が抱き込んで来たランフェルドに身を任せたきり、赤く染まった頬と潤んだ目で彼を見上げているのだから。

 だが、ランフェルドは苦笑いすると、ぎゅっと力を少しだけ篭めてレデリカを抱擁し、すぐに開放した。


「大丈夫だ。貴女は初めての経験で高揚しているだけだ。寝台に横たわってしまえば、疲れがすぐに眠りの精を呼ぶだろう」

「…そうでしょうか?」

「ああ…」


 腕の中から放たれて、なぜか心許ない寂しさを感じ、レデリカは無意識に自分を抱きしめた。すぐに奥からシェイーラが駆けて来て、汗が体を冷やすからと屋敷へ追い立てられた。


 ヤンベルト辺境伯の館は、石造りの重厚な建築物だった。レデリカは、その武骨で重々しい館を見て、砦か小さな城の様だと思った。

 その館で一番日当たりの良い一室を与えられており、夜は続きの侍女の部屋からシェイーラを呼んで寝酒を共にした。

 行儀が悪いと小言を言いながらも、主と同様に興奮が冷めずに困っていたシェイーラは、主から渡された小さなグラスに甘い赤の果樹酒を注ぎ、今日の二人の奮闘に乾杯した。

 軽い酩酊にくすくすと忍び笑い、幼い頃から仲の良い主従は寝台の上を転がりながらまた笑い、そしてグラスを干し、また転がった。


「シェイーラ、ジュリオスと良い雰囲気だったけれど、お付き合いに誘われた?」

「まぁ!私はそんなに軽い女じゃございませんわ。姫様こそ、ランフェルド様と微笑み合ってらしたご様子でしたが?」

「あれはねー、ランフェが優しいからー」


 馬に乗り降りする際、レデリカはランフェルドが、シェイーラはランフェルドの補佐役で私兵団長のジュリオスがいつも手を貸してくれる。抱き上げたり手を引いたりと、逞しく粗野な感じの男たちは思いの外優しく扱ってくれていた。

 そして、時折他の私兵がそれに文句を飛ばす。今度が俺がと。


「まるで私までご令嬢扱いを受けて…気恥ずかしいのですが、とても嬉しくて…」

「そうよねぇ。ジュリオスの顔を見てると、シェイーラを抱き留めてる時なんて甘々でだらしないくらいよ?」

「ええ!?そーれーはっ、ランフェルド様です!姫様をエスコートしている間中、もうあの険しいお顔が…ふふっ」


 無礼講の寝台の上は、女同士の秘め話の世界となって、酔いか羞恥か分からないくらいに赤面した主従が大暴れしていた。

 

 恋愛どころか恋もまだだった二人は、心の中のモヤモヤドキドキの理由がはっきり分かっていない。

 ただ、ここを訪れて、今まで無理やり胸を塞いでいた何かが、ゆっくり取り払われて行くのを確かに感じていた。


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