聖女が指さす 王女の未来-2-
レデリカは、王太子妃の地位から解任されて、只の王女レデリカに戻った。
ヤンベルト辺境伯との面会は、やはり離縁に関する話し合いで、最初の戯言は気分を紛らわすための気遣いと、ヤンベルト領への興味を引くための誘いでしかなかった。一言二言社交辞令を交わし、後は離縁後の身の振り方についての仕来りを聞き、手渡された離縁の書に署名してその足で大神殿へと届け出た。
その大神殿もまだまだ混乱中で、新たな大神官の任命もなく残された神官たちは大わらわだった。何しろ元凶となった元大神官の邸宅が女神様の天罰に見せかけた魔王の企みによって瓦解し、そこから犯罪の証拠が溢れ出て来たのだからその始末を終えるまでは、大神官専用の館を再建したり新たに女神様に遣える者達を入れる訳には行かないと、王城から達しが来ていたのだ。
それでも、差し支えない範囲での業務は受け付けられており、ことに王家に係わる契約は最優先とされた。
王女に戻ったレデリカは、やっと肩から重荷を下ろせたと安堵し、さてこの先をと考えた時にヤンベルト辺境伯の一言を思い出した。
健康的だが小柄な容姿に、まだどこか少女の面影を残す愛らしい容貌をしているが、もうすぐ二十歳になる。それに加えて離婚歴まで付いた。寡婦ならまだ同情の余地はあるが、元夫は生きている上に王族で罪人だ。夫婦となって長い時間を過ごしていながら、いくら関与は無かったと証明されているとは言え、何も知らない何も見ていないで済まされはしないだろう。火のない所に煙は立たないが、無罪の元王太子妃なんて種火そのものだ。誰がいつ、妄言と言う名の風を吹き込まないとも限らない。
そんな者が、また王族へ嫁いでよいものか。それに、レデリカは自らの身体に疑いを持っていた…。
里帰りに見せかけるために残して行ったレデリカの私物を、せっせと荷造りしていた侍女たちを眺めながら、レデリカは疲れたように寝椅子へ身を横たえた。
生国に逃れたひと月目で、月のものが来たことにほっとした。二月目の今回も来たが、不快感と鈍い痛みにだるくなるなるばかりだった。こんなに正確に女性として辛い時が来るのに、そこから先に進まない。それがとても憂鬱だった。
「…姫様?」
シェイーラは主の塞いだ様子に心配げな声をかけると、主は緩く首を振った。月のもので気が塞いでいるのだろうと思い至り、シェイーラは他の侍女たちに指示を出してから、お茶の用意をした。
もうすぐ、この部屋を明け渡さなくてはならない。レデリカの好みに模様替えされた、暖かな色合いで落ち着いた雰囲気の王太子妃の部屋。そして、荷物は一旦貴賓客用のクローゼットに運ばれ、後は主の決心を待って行く先を変えることになる。
どうするか。
全てはレデリカの心一つだった。
「心配かけてごめんなさい。全て終えて王女に戻ったと思ったら、なんだか気が抜けちゃって…」
もう姿の無い重圧は消えた。いつもいつも心のどこかに凝り固まっていた不安や苛立ちも。
しかし、今度は新たな焦燥感がレデリカを追い立てる。
「いいえ、ずっとお辛い目に合って来たのですから、心身共にお疲れのはずですっ。少しの間、ゆっくりお休みなさってから先のことは――――」
「あのね、ヤンベルト辺境伯のレイモンド様が気晴らしにおいでとおっしゃって下さったのよ」
「…どこへでしょうか?」
「ヤンベルト領へ…」
「嫁に」と言われて、返す言葉も見つけられずに呆然としていたレデリカに、辺境伯は苦笑いしながらヤンベルト領へ気晴らしに来たらどうかと誘ってくれた。
それが単なる優しい気遣いではないことぐらい、王族であるレデリカはすぐに気づいた。
フォルウィークの王を選定している今、もう用無しの他国の王女を城に留め置くのはまずいとなったのだ。それならさっさと生国へ追い払えばいいことだが、簒奪王がやったこととは言え他国の王女を無理に差し出させておいて、本人の意思を尊重せずに離縁したなら帰れでは、対外的に外聞が悪い。
それならば、本人の心が定まるまで、王城から離しておこうと考えてのことだろう。
「少し部屋へ篭り過ぎたわ…そろそろ外へ出てもいいかしらと思えて…」
「しかし、ヤンベルト領は…あそこは辺境も辺境。見たことのない魔物が跋扈している危険地帯と聞いております。そんな所へレデリカ様が…」
「ヤンベルトの若様と私兵団が護衛について下さるそうよ。何事も経験だわ。シェイーラはどうするの?ついてきたくないなら、それは構わないわよ?」
「そんな!レデリカ様をお一人で向かわせる訳ありません!来るなと言われても付いて行きます!」
「では、問題は無いわね。もしかしたらヤンベルトで、シェイーラの伴侶となる頼もしい方との出会いがあるかもしれないわよ?」
「レデリカ様の幸せが先です!それから私のことは考えますから!」
焦り気味に食いついて来るシェイーラに、主従の会話を聞いていた侍女たちは楽し気な笑い声をあげた。
そうと決まれば準備は早かった。どちらにしても引っ越しの荷物整理中だったから、旅支度はあっという間に終わった。
ヤンベルト辺境伯へ誘いに応じる旨を伝え、迎えが来るまでの間にヤンベルト領に関することを聞く。お茶の時間に訪れる辺境伯相手に色々と尋ねると、彼は包み隠さず話してくれた。
「剣は、持たれますかな?」
「いいえ、私は剣よりも攻撃魔法の方が得意ですわ。護身の先生は、剣よりも短剣を身につけておけと」
「なるほど…では、我が領では思い切り暴れまわって楽しまれるが良いですな。王太子妃の間は鬱憤が溜まったでしょうから」
「え?」と思ったが、口にはせずにちらりと流し目で睨んだだけにした。
白髪の目立つ偉丈夫は、やはりニヤリと笑い返しただけだった。




