レアメタル・アーマード
あけましておめでとうございます。間に合ったーーーー。正月短編です。楽しんでもらえれば幸いです。
お兄ちゃん!
ぼくは文字通り飛び起きた。変な寝汗がひどい。時計を見ると起きるのにはまだ早かった。
お兄ちゃん…ぼくには妹はいない…はずだ。じゃあ、あの声は錯覚?願望?
「そんなわけないだろう」
ぼくの願望はただ一つ。
…人を殺したい…。
今すぐにだって殺したい。銃じゃダメだ。ナイフがいい。牛刀…いや、サバイバルナイフのような鋭利な刃物で肉を切り、筋をぷつりと切る感覚は、何度も何度も想像した。
痛みにうめき麻痺して動けなくなる肉体は、次第に意思を持たない肉に変わり、その生から死への誘いをぼくの手によって行う…。
「起きるか…」
物心ついた頃から人を殺したくてたまらない。そんな衝動は最近ひどくなり、高校に行く途中で人々の背中を刺したくなる。おはようの挨拶代わりの痛みは、今振り向こうとするその顔に恐怖と絶望と…何を貼り付けるのだろう。
着替えながら思う。
昔も今も日本国憲法には人を殺してはならないなんて記載はない。憲法十三条の基本的人権の尊重あたりにだって明確に「人を殺してはならない」なんて書いていないし、せいぜい平等・平和・自由あたりをうたっている…それも今では鼻で笑っちゃうけれど。
書いていない理由は…それは簡単だ。有事において人は人を殺さねばならない。戦争では多くの人を殺した者が英雄だ。でもそれは背後から自分も殺されるリスクも追うってもんだけど。
学生服を着て自分の部屋から出て行く。
そう…人を殺したくても、それを絶対に我慢する。
殺人は刑法で罰せられる。少年法は引き下げられ、子どもでも殺人をしたものは実名で報道されるし、そもそも人を数人殺したくらいでは、この衝動は満足できやしない。
「おはよう。今日は早いのね」
食卓には母さんがいて、もう朝食を終わりかけている。
「うん、寝覚めが悪くて」
「思春期だからかしら」
「さあ…どうだか」
早くに亡くなった父さんのぶんも頑張っている母さんを悲しませちゃいけない。簡単に「殺す」だとか「死ぬ」だとか言っているクラスメイトを見ていると、気軽すぎて笑えてしまう。邪なきもちはないのだから。彼らは考えたこともないだろう。人を手に掛けた者をのことを。
たぶん「親なんて関係ねえし」なんて人殺しはうそぶくだろうけど、ぼくの場合母さんは今の介護の職を失う。心ない人から「人殺しの母」とののしられ、アパートを追い出され、路頭に迷う。はたしてそんな母に国は救済をするのだろうか。生活保護がなくなり統一給付金制度が出来たけれど、もらえないかもしれないんだ。
そこまで考えると人殺しなんてできなしない。まだぼくにはその理性がある。そうだ…ぼくはただ殺人衝動が人より強い、真面目な高校生にすぎない。
「あらら…また晴れね。もう何日も雨が降っていないわ」
壁液晶では北海道と沖縄が消滅した本州の天気がやっている。今日は九州に雨を降らすらしい。液晶の下の方のテロップでは申し訳なそうに自衛隊がレプタリアンと交戦状態であると流れていて、日本は見かけだけ平和なんだ。
「じゃあ、母さん行ってくるわ。今日は夜勤だから」
「わかったよ。気をつけてね」
「今日日仕事があるだけましよね。高価な介護アーマードも買っちゃったし。ローンも大変」
人が減っても介護の仕事にありつけたのだからありがたいと笑う母さんを絶対に裏切る事なんて出来やしない。母さんの出ていった後の玄関を閉めながら、ぼくも玄関から出た。
「佐倉くんだね」
扉の前には…自衛隊の軍服の男が二人立っていた。
「軍に出頭、願いたい」
大柄な二人はぼくを軍用車に入れて挟んで乗る。有無を言わせない雰囲気のまま、ぼくは学校とか、母さんとか考えていた。
「高校には公欠願いを出してある。君の母親は明日まで帰宅しない」
処理済みで、把握済みだ。二人の軍服は間違いなく自衛隊で、ぼくは妄想以外何もしていないと身を固くする。
「悪いようにはしない。安心したまえ」
もっと偉そうにしてもいいのに、年下のぼくに対してまるで同等の対応で、ぼくはそれが気になったが、別の運転手が「話しすぎた」と低く一喝し、軍用車の中は無言になった。
スモークガラズの軍用車に有に三時間は乗った頃、前から見えるゲートに吸い込まれ、軍用地へ入っていく。軍用車は地下で止まると、地下駐車場から数基あるエレベーターのうち『ラボ専用』と書かれたエレベーターにぼくだけ乗せられた。
「上で樽井少尉が待っている。説明を受けたまえ」
なるほど、軍だ。少尉に高校生の僕に一人で会えと言うのか?
直通と言うエレベーターは軽い振動で停止し、僕は開いた扉から溢れる白い光に包まれ吐き出され、
「お兄ちゃん!」
という声に顔を上げた。
「え?」
ぼくの目の前には女の子がいる。長いふわふわな髪は豊かすぎて左右横髪を分けて束ねていても後髪はまだ多くて、白のふわふわドレスなんてまるで白鳥の湖だ。チュチュではないけれど。
「君が咲が呼び当てた佐倉くんだね。私は樽井で、まあ、少尉をして…あ、咲」
咲と呼ばれた女の子は裸足でパタパタかけてくると、僕の両手を握りしめた。
「やっぱり、お兄ちゃん!」
「あ、おい、咲」
樽井少尉の声がラボに虚しく響くが、彼女はそのまま両手の平をぼくに合わせてくる。咲という女の子の手はぼくよりずっと小さくて、まるで太陽に当たったことの無いような真っ白で、柔らかくて細い指先は、それだけに幼く感じた。
年の頃は中学生くらいかな…なんて思っていると、手の平が熱くなりバチッ…とまるで静電気のような光りと痛みが走り思わず手を引っ込める。
「大丈夫、君」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
逆に聞かれてしまった。
彼女はどうやら何ともないみたいで、ぼくは自分の手の平を見つめる。両手の平に赤い二センチくらいの痣というか痕が出来ていて、それを樽井少尉がのぞき込んできた。
「聖痕…佐倉くん、君は間違いなく咲のパートナーだ。いやあめでたい。咲はプロトタイプ…ああ、試作品なんだがね。あうパートナーを探せずにいてねえ、マスプロタイプ…ええと…量産型の子たちが次々とパートナーを探して稼働し始めて。正直、私は咲をもてあましていたのだよ。もうじき破棄か…なんて上から話しも来たりしてね…。あ、あーーーー、失敬失敬。僕はね、喋ると止まらない性質で。まあまあ、座って」
樽井少尉はまくしてるというよりかみしめるみたいに話していて、痩せて無精ひげに紅顔色を乗せ、ぼくをクッションの堅いソファに座らせると、ぼくの横にちょこんと彼女が座ってくる。
「ふむふむ…きっちり学生服に、黒髪さらさらストレート襟足は切りそろえ。君はなかなかの優等生だね。自分の欲望を完璧にコントロールしている。レアメタルたちが気づかないのはそのせいだ」
この男は…何を言っている?ぼくは膝の上の手を握りしめる。そんなぼくを横目で見て、樽井少尉はパット端末を見ながら、
「君くらいの数値だと、もう何人か殺していると思うんだけど、君は完全に自分を律している。……あるだろう、強烈な殺人衝動が」
と告げてきて……ぼくは無言で無表情だったと思う。
「あっちゃー、動揺しているね。まあ、分かるれけど。君はひたすら隠してきたはずだ。君には小さい頃から殺人衝動がある。そして思春期である今、ピークを迎えている。違うかい?」
樽井少尉の言うとおりだ…違わない…ぼくはその他者と違う自分に違和感を感じていた。
「そこで…だ」
樽井少尉はにっこりと笑った。年齢不詳のこの人の笑い顔は不思議と若く見える。
「君をその殺人衝動から一過性ではあるが、解放しよう。軍属となり、日本…ここは東海エリアだが、爬虫人を殺してくれたまえ」
レプタリアンを…殺す?自衛隊がしているように…ぼくが…?
「この子は咲。特殊軍属パートナーの流体レアメタルアーマードだ。この子を纏い、レプタリアンと戦ってもらう。日本国民としての君には、特殊事態において招集における軍属義務が発生する。受刑者なら恩赦があるんだが…君の場合は金銭受領だね。相当の額が君のお母さんの通帳に振り込まれる。君が軍属である限り働かなくても食べていけると思うくらいにね。いや、本当に、めでたい。咲の能力が見たいのでね、早速レプタリアン殲滅に行こうじゃないか」
樽井少尉は長々と話したあと、まるでピクニックに誘うようにぼくと彼女に言い放ち、ぼくは何も言えなかった。
この子を纏い…レプタリアン殲滅…?
軍用アーマードや介護アーマードなど、人の行動をサポートするアーマードは背後から着て四肢を強化するものだ。この咲という人の女の子のような子が…レアメタルで…しかも流体…。触れた手は温かく、しかね柔らかかったのに。
「お兄ちゃん、行こう」
話している声は少女のそれなのに…。
妙な高揚感の中で、ぼくは咲と自衛隊の太陽光を乗せた軍用ジープに乗り込み、東海エリアの内海橋を渡っていた。
日本は内海を確保したまま自己修復ガラスでぐるりと円球に覆うことに成功した。地球全土が砂漠化する中で、唯一海を残し海洋資源を有している。そんなことは小学生でも知っているが、端を渡ることが出来るのは自衛隊かその研究機関のみで、橋の端に何があるのかは極秘にされていた。
見ると橋の端には建物があり自衛隊が守っていて、ぼくらはその地下に吸い込まれていく。
「アーマード軍属ですよ」
「はっ、お疲れ様です」
樽井少尉がパスを出すとゲートが開き、ぼくと咲は建物の中で、ドーム外部への射出エレベーターの前に立つ。
「さあさあ、アームドしてくれないか」
アームド…どうすれば…。
「お兄ちゃん、手を出して」
「君…」
「咲よ、お兄ちゃん」
咲が手を握り、ぼくは体内の血液が一気に沸騰するような感覚に思わず目を閉じた。
「はははっ…おめでとう。アームド成功だよ。まったく君たちは相性がいいらしい。完璧に纏っている」
樽井少尉の声は少し興奮して聞こえてくる。
身体を覆うような硬質化レアメタルは外殻アーマードなのに、外の音もクリアで視界もいい。ぼくは射出エレベーターと荒廃した砂漠に出た。
咲はぼくの好みを把握していてリストブレードを武器とし、二十体ばかりのレプタリアンを殺して殺して殺しまくった。
爬中型の四つ足レプタリアンは行動が鈍く切り裂くのは容易で、人型レプタリアンは素早く攻撃的だったけれど、レアメタルのブレードに触れると蒸発し崩れ落ちる。
いつもどこかにある殺人衝動が一気に治まり、全てがあおると心なだらかな気持ちで、アームドを解除した咲を見下ろしていた。
咲はぼろぼろだった。豊かすぎる左右の髪は短くなり、まるで白い花のようなドレス服はちぎれて肌が見え隠れしている。
「二十体程度だったけれど、人型が多かったからね。咲もかなり防御に持って行かれたらしい。しかも君は接近戦闘タイプだ。大丈夫だよ。今、作業班が外へ向かった。散ったレアメタルを回収してくれている。それが戻れば咲は元に戻るからね」
レアメタルが減少すると咲は自分で構築してる服や髪が維持できなくなり、減少や亀裂変化があるのだと理解し、ぼくは学生服を脱ぐと咲のむき出しの肩に掛けた。
「咲、ぼくを守ってくれてありがとう」
咲は本当にあわあわとした顔をしていて、ぼくを見上げてくる。
「君は紳士だね、全く。この子は人ではないんだよ。流体金属の塊だ」
樽井少尉は不思議なくらい笑ってぼくと咲を車に乗せると、ぼくは家へ咲はラボに帰る道すがら、
「本来、軍属である佐倉くんはアーマードとともに待機なんだけどね、君は表面的には模範生で、高校生だ。高校で学ぶ権利がある軍属は、高校に所属しつつ軍属となる。軍属勤務はこのブレス端末で連絡をするからね」
咲はぼろぼろの姿のまま涙をいっぱいにためて、ラボに到着し車を乗り換えるぼくを見上げていた。
週に一二回程度の軍属は学校に認められていて、ぼくとしては殺人衝動も凪いでいるし、学業にも身が入ってきた。はじめてテストで校内順位が一桁になってしまうし、母さんは「大学にいったら?」なんて軍属契約のお金を貯金しつつ、働いていた。
二十一世紀末、憑依型レプタリアンに乗っ取られた権力者たちが一斉に核のスイッチを押した。目標は自国。核を有している国の中枢は自爆により壊滅。数発の核の振動により地軸が変化した地球は一気に砂漠化し、超地球温暖化によりレプタリアンが南半球からあふれ出した。
日本はその中で海を切り取り円球ドームを急遽作り出すことができたのは、日本に核がなかったことと、憑依型レプタリアンが国の中枢にいなかったからだ。しかし北海道と沖縄諸島を失ってしまった。それでも国としては首都機能を有した地球国家の筆頭に立っている。
人に憑依する憑依型レプタリアンが今のレプタリアンを指揮していると言われているが、もしそれらを殺すことが出来れば、ぼくの飢えはきっとすばらしく満たさせるだろう。レプタリアンの血も赤だけど、表面皮膚の人型も四つ足もグリーンイグアナのような色味だ。
彼らレプタリアンは殺戮のみを人に求めていて、ぼくらは自衛隊と手を組み人を守るためにレプタリアンを殺している。
「お兄ちゃん、うしろ」
ぼくはなるべくアームドした咲を傷つけないようレプタリアンを殺していた。全方位アラウンドビューにした視界と咲の感知により機動力が上がったし、自衛隊の訓練にも参加して体術を学んだ。
今日の軍属も終わり自衛隊の待機も解除されると、ぼくは樽井少尉に呼び出される。
「特別休暇……咲の…」
「そうそう、咲の。まあ、佐倉くんの軍属勤務にはなるけれど。つまり、咲のおもりを一日してもらいたいんだよ」
今日…一日…午後三時だけど…ぐるりと一日か。
「あ、別にラボの咲の部屋に二人ででもかまわないよ」
咲の部屋…一度入ったことのある白い何もない部屋…。
「とりあえず、咲に聞いてみようか。咲はどこに行きたいのかなーーー?」
樽井少尉の言葉はありがたい。残念ながらぼくは女の子の好きそうなところなんて理解できないし、正直恋愛衝動よりも殺人衝動の方が高いぼくは、休日どこにもいかないことが大切だったんだ。
「お兄ちゃんのうち」
「ぼくのうち?アパートなんだけど」
「アパート…?でもお兄ちゃんが暮らしている家でしょ?」
アパート…つまり賃貸部屋ってことは咲には分からなかったようだけど、咲はどうやらぼくの生きている世界が気になっているらしく、樽井少尉はいつもの子どもみたいな笑顔で笑いながら、ぼくの家への『軍属出向』の書類をまとめ、ぼくと咲は軍用車で国営アパートに向かった。
真っ白なふわふわドレスなんていう咲が目立たないように慌てて二階へあがり鍵を開ける。
「ここが…お兄ちゃんの家…住んでいるところ…」
「狭いけどね。咲が泊まる部屋くらいはあるよ。母さんは仕事で…」
ぼくは玄関で目を丸くした。
「あら、おかえり」
「どうして…母さん」
「介護アーマードの故障で、早退よ。あらあら、お客さん?」
土曜日の昼なかに母さんがいるなんてまれのまれで、だから咲をどう弁明し繕おうかなんて考えてなくて…。
「お兄ちゃんのお母さんですか?私、咲です。お兄ちゃん専用の軍属レアメタルアーマードです」
言っちゃうかーーーー!
玄関先での沈黙にぼくが耐えきれなくなっていると、母さんはぼくと咲を見て、
「そう、咲ちゃんね。いつもこの子を守ってくれてありがとう」
なんて咲に声をかけてきたのだ。
母さんにはぼくの軍属理由を明かしていない。ただ『適正』があったということだけで、それは学校にも同様に伝えられていることだ。ぼくの殺人衝動が適正だったなんて知られたらたまったもんじゃない。
「今日は咲の希望で…」
「お兄ちゃんのお母さん。私、お兄ちゃんの住んでいるところを見たかったのです。……だめですか?」
咲は小鼻をふくらませて母さんに詰め寄り、
「あらあら『お兄ちゃん』…ねえ」
言いながらぼくをにやにやと見る母さんはまんざらでもなくて、「二人目は女の子が欲しかったのよ」なんて咲をすんなり受け入れて、部屋へ招き入れた。
おやつのシュークリームをおいしそうに食べている咲を見ていると、普通の女の子にしか見えない。
レアメタルは全てをどん欲に消化し、本来流体のレアメタルを形状構築しているナノAIにエネルギーとして変換していると、樽井少尉に聞いたことがある。
「咲ちゃん、今日泊まってきなさいよ。夜はお鍋にしましょう。あ、そうそうママの介護用アーマード見る?」
すっかりママかよ…とぼくは思いながら、咲のうれしそうな顔を見ていた。
介護用アーマードは軍事用アーマードと同じなんだけど、超軽量化しているため関節部分がもろいところがあるらしい。しかもコンピューター制御で、記録も兼ねている。介護者がいつ誰をどのように介護していたかコンピューターに接続し仕事が終わる。それを個人的に購入している介護職には国からの支援が少しばかり降りているけど借金を抱えて、国の主要就労である介護ホームで母は働いている。それがこの閉鎖された国の縮図だ。介護以外の仕事に就きたければ、それなにのスキルが必要だ。
「あ、ここゆがんでますね。ママ、直しちゃいます」
咲は動かなくなったらしい介護アーマードに手を伸ばすと、自分のレアメタルを少し流し込んで作り足したようだった。
「咲」
「少しだけだよ、お兄ちゃん」
咲にとってレアメタルは自分自身そのもので、ナノAIによってマテリアルは人型に構築しているけれど、レアメタルを損なえば咲の服やら髪やらが少しずつ変化する。
髪が少しだけボリューム少なめになった咲は、直った介護アーマードに満足するし、当然泊まっていくと言うことで、ぼくは樽井少尉に連絡をした。
ネグリジェを着た咲がどうしてもって言うから、別室にひいた布団を部屋に持って来て咲はちょこんと座っている。ぼくが最後の風呂から出た頃には夜も深まっていて、それでも咲は起きていた。
ぼくと咲は布団を並べて電気を消す。眉月の明かりが薄青白くてちょうどいい。
「お兄ちゃん、今日はありがとう」
いつものふわふわドレスを白いネグリジェに変化させた咲が横にいる。
「お兄ちゃん、ママもいい人で本当に楽しかった」
六畳間に机と布団を二つ…もう足の踏み場もない。
「そうなら、よかった」
咲の特別休暇はぼくの部屋で終わった。
東海エリアに四つ足レプタリアンが十数体迫ってきていると連絡を受けたのは、それから少し後のことだった。
軍属として授業を抜け出すのはクラスメイトの羨望のまなざしを受け悪い気分ではないけれど、ぼくだってずっと軍属でいられるわけではない。咲とずっといたいなら、樽井少尉のように自衛隊に勤務するしかない。ぼくは殺人衝動が凪いでいて、冷静に身の振り方を考えはじめていた。
「珍しいもんだよ。司令塔である人型が一体もいないなんて…四つ足が十六体。佐倉くん、いけるね」
大型の四つ足レプタリアンはまるでわにのようにゆっくりと動く。火気は役にはたたない皮膚装甲だけど、咲のレアメタルブレードで切り裂けば簡単に溶け落ちる。
「行きます。咲、アームド」
「うん、お兄ちゃん!」
咲は手を繋いだところから流体となりぼくを包み、ぼくは射出エレベーターから出るとレプタリアンの前に出た。自衛隊は後方、ぼくらの援護のためにいる。そしてレアメタル回収班が最後尾に控えていた。
いつものようにブレードを使い切り裂いていくつもりだったが、四つ足レプタリアンの身体が、まるでハンバーガーのパンズのようにばがっ…と持ち上がり裂ける。そこから三体の人型レプタリアンが出てきて、ぼくは体勢を崩していた。アームブレードで切り裂くけど、全ての四つ足は擬態した人型でぼくは取り囲まれてしまった。
「咲っ!」
全方位ビジョンの中でぼくは八方ふさがりを感じて…。咲が…傷つく…そう思ったが、人型は一斉に襲ってきて噛みつかれ…レプタリアンは溶けながらもレアメタルをひっかきちぎり液状化したレアメタルがバッ…と散った。
〈撤退したまえ、佐倉くん。第三小隊援護を!〉
樽井少尉の声が遠く聞こえる。このまま…食われて死ぬのか…?
その瞬間、アームドが強制的に解除され、ぼくは後ろ手に咲にドームガラスの方に突き飛ばされる。
「ばいばい、お兄ちゃん」
ぼくは勢いガラスに後頭部を打ち付け、脳しんとうでもうろうとした視界の中で、咲が泣きそうな顔で笑ったのを見た。
涙が一粒こぼれ落ち…咲は発光した。
たった半年程度の軍属は、あっけなく終わってしまった。
ぼくは軍病院で目が覚めた。知らない天井を見上げていると、樽井少尉がやってきて、咲のことを話してくれた。
プロトタイプのためのレアメタル劣化と、ぼくの危機に際しての自己決定の行動のことを。
「もともと勝ち目のない戦闘時に、ナノAIは自爆するようにプログラミングされている。咲のようにパートナーを切り離して自爆するなんて…初めてだ」
咲は…自爆した…。
ぼくがもっとうまい戦闘展開をしていれば…いや…もっと冷静に察知して撤退していれば…。
「考えすぎるのはよくない。幸い脳しんとう以外何もないよ。君だけでも生きてくれてよかったよ。軍属解除だ」
軍属解除…樽井少尉の言葉が重かった。
ぼくの日常はあっという間に元通りだ。
軍属での呼び出しはない。でも、授業に身が入らない。殺人衝動は相変わらず。
あれから一度軍病院で検査を受けた。手の聖痕が消えないからだ。病院では一過性の焼き付きだと診察され、咲は試作タイプだがらそんな後遺症もあるのではないかと曖昧だった。
診察の返りに電動車椅子の男の人に会った時、
「お前もアーマードのパートナーだってな。なんでお前は自爆に巻き込まれていない。どうして、五体満足なんだよっ」
と叫ばれた。
「は…い?」
その人は東北地区のレアメタルアーマードの適合者らしく、いかに有能だったかつばを飛ばしながらぼくの行く手をさえぎって話してくれ、マスプロの子の自爆に巻き込まれ四肢を失ったらしかった。
そのあとはただ絶叫のような叫びになって、「ぶっ殺してえ、ぶっ殺してやる!」の繰り返しになり、看護婦さんに鎮静剤を打たれて病室に連れて行かれた。
一連のやりとりを冷静に見ていたのが東北エリアのラボの人で、見ていたのなら助けろよ…と思ったけれど口には出さなかった。
「樽井が言っていた佐倉くんだね。咲のことは気の毒だった…プロトタイプのレアメタルの寿命でもあったんだ。そうだ、君なら心のパートナーになれそうだよ。心にあってみないか?」
マスプロタイプは量産されていて、東北の心は人工子宮の中で適合者を探しているみたいだけれど、ぼくは丁重に断った。
東北の適合者は前科のある殺人者であり、自爆に巻き込まれた恩赦で社会復帰したけれど、一生電動車椅子か義手足だ。それでも殺人衝動は相変わらずわき上がり続けるんだ。しかもレプタリアンを殺した甘美な感触は忘れられず、あの人にもぼくの根底にもはびこり続ける。こんな残酷な仕打ちはない。
「咲…」
口に出さない日はない。
授業は終わり帰宅だけのぼくは何もすることなく校門を出る。今日は母さんが夜勤だった。咲の事を知った母さんは涙を流したっけ。
「お兄ちゃん!」
校門を過ぎ、少し下り坂になった場所に軍用車が停まっていた。
そこから飛び降りる白いドレスはふわふわで…。
「お兄ちゃん………お兄ちゃん!」
咲……咲の声だ。
「咲…でも…」
再生はなく自爆を選択した咲…咲がまるで満開の花のようにスカートを翻して抱きついてきた。
「あーーーーー、君たち、目立っているよ。はいはいはーーーい、車に搭乗」
樽井少尉の声がして、ぼくは咲に腰を抱きつかれたまま軍用車に乗る。
「君に聖痕が残っているからおかしいとは思っていたんだよ」
咲はにこにこと笑っていて、でもぼくにしがみついたままだった。
「咲の流体レアメタルはマスプロタイプと同じものなんだけどね。咲に君に対しての記憶があるのは、咲がプロトタイプとして思考型ナノAIと自立型ナノAIの両面を持ち合わせ、なおかつ記憶をデータ状にプールしていたからなんだよ。咲はね自分のレアメタルを何かに少量入れ、それがコンピューターに接続することを予測していた。そしてコンピューターに侵入し、東海エリアラボの流体レアメタル『咲』の素体に入り込んだんだ。まったく…こまったお姫様だよ」
ぼくは思わず咲を見下ろした。咲は少し笑う。ぼくには分かる。母さんの介護アーマードだ。あれは毎日ホームのコンピューターに接続するんだ。
「この子は何らかの方法でコンビューターに侵入し、素体に混ざり込み自分の意思と記憶を持つナノAIを定着させた。記憶は意思であり、自我である。咲は自爆してもずっと君の元に戻ってくるつもりだったんだ」
どうしたってあと一ヶ月弱の寿命だったという咲は、ぼくのうちで生き延びたんだ。
「お兄ちゃん、ずっと一緒だよ」
咲がいたずらっ子のように笑った。
ぼくらの世界は狭い。
ドームの中でのみ生き、地球の七割は砂漠化して、レプタリアンが占拠している。
生きていく三割をまもるために、ぼくは戦う。
咲をアームドして。
~~おわり~~
御高覧ありがとうございました。
久しぶりに紙興ししてから書いた短編です。咲と佐倉いかがでしたでしょうか。べたな昭和チックなアニメみたいですが、お気に召してくれたら幸いです。