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1.ユキ

 ユキは、私が自分の肉体の一部を抉り取って造った子どもだ。

 生まれたのは三日前だというのに、彼はもう、何かものを思うような顔をして、澄んだ目をじっとこちらに向けている。彼はすでに歯も生え揃っているし、指を一本一本動かすこともできるし、何にも寄りかからずに一人で座っていることもできる。その小さな身体にあう服はないので、私は彼にこの小屋にあった茶色い膝かけを与えた。ふくふくと柔らかく肌に触れる布切れを彼は気に入ったようで、生まれたままの裸の身体を包むように自ら身体に巻きつけて、首だけ出して人形のように大人しく床に座っている。

 窓の外は真っ白で、吹雪は止む気配がなかった。そのことを、不運だとも思えるし、幸運だとも思える。天候のせいで、小屋から一歩も出ることができない。そのかわり、追っ手たちもここにやってくることはできない。

「えうー」

 ユキがみずみずしい唇からよだれを垂らしながら、言語になる前の独特の響きのある声を発した。板張りの壁にかかった時計が正午を指している。私は立ち上がって調理場へ行き、今朝地下の倉庫から取ってきた缶詰のスープを鍋にあけ、火にかけた。同じく地下の貯蔵庫から持ってきた冷凍のパンと干し肉を数枚輪切りにしてオーブンに入れる。薬缶で湯を沸かし、袋に入ったコーヒー豆をミルで挽いて粉にする。程よく温まったスープを器の一つによそうと、木の匙を差し入れて私はユキのところに持っていった。ユキは身体があらわにならないよう上手に両手を差し出して器を受け取ると、匙を不器用に握りしめて一心不乱に食べ始めた。ふうふうと荒い息を吐きながら、ただ匙を口に運ぶことだけに熱中している。けれども私があまりにじっと見ていたせいか、ふいにユキは手を止めて、私の方にきょとんとした顔を向けた。私は笑い、冗談めかして言った。

「私があなたを造った時も、そんな風だったのよ。」

 ユキは小さく口を開けたまましばらく私を見ていた。けれども次の瞬間には、また思い出したように器に目を向け、再び猛然と匙を口に運び始めた。


 それは、三日前の晩のことだった。

 この小屋に来て、五日ほどが経っていた。

 私はいつもの絶望感に襲われて、けれどもいつものことだとやり過ごすには、その絶望感はあまりにも深かった。最後に過ごした日常生活、その時私はある会社に、何の変哲もない事務職として潜り込んでいた。会社の人たちは新人の私をはじめは持て余し、けれども時を経て少しずつ打ち解けて、やがて信頼を寄せてくれるようになった。ところがある日、研究所の追っ手たちに見つかって、私の培ってきた日常は、一瞬にして砕け散ってしまった。中学時代や高校時代、それまで幾度か同じような経験をした時に、私は手のひらを返すように恐怖に怯えた目を私に向ける人々を、激しく憎んだ。けれども私は会社の上司や同僚たちを、恨む気持にはなれなかった。彼らはただ、戸惑っていた。自分たちと同じような「人間」であると疑いもなく信じていた私がそうではなかったという事実に、ただただ困惑していた。私の方が、逆に彼らを裏切ったようなものだった。悪いのは、私の存在そのものなのだと、そんなことを思わされた。一体私は何のために生きているのか。ここにいるのか。そんな考えを突き詰めていくと、死んだ方がいいという結論に達してしまう。けれども私は自分が、どんなに表面的にそのような考えに辿り着いてしまっても、根本的に、自分の死を望むことができないようにできていることを知っていた。そうしてそのことを証明するかのように、私は何をやっても決して死ぬことがない。

 淋しさの塊が胸の中に突き上げてきて、堪えることができなかった。地下倉庫で発見した工具箱の中にノミがあり、私はここに来た日から、退屈しのぎに薪を動物の形に彫っていた。椅子の傍らに置いてあったそのノミを掴むと、私は発作的に自分の身体に突きたてた。逆手にノミを握りしめ、左腕をブラウスの上から一気に削いだ。激痛に、両目から涙がどろどろと流れ出た。けれども胸の中にある暗い塊は相変わらず力を失わずにそこにあった。ノミを直接そこに突き立てることはどうしてもできなくて、代わりに私は到達できないのを知りながらまわりを削っていくしかなかった。転がるように椅子から落ち、私は自分のスカートから伸びるふくらはぎを抉り取った。左の次は、右もやった。血みどろのブラウスを剥ぎ取って、腰の辺りにも刃を入れた。脇の下からノミを滑らせるようにして傷口を繋げた。笑いのような息が漏れた。血溜まりの中に、私の肉片が散らばっていた。今度こそ、私は本当に笑った。私の一部が私とは分離してそこにあることに、急激に新鮮さを感じた。私の身体は熱を帯び、すでにほとんどの部分を再生しつつあった。では、突然私から引き剥がされて転がっている、この肉片たちは何なのか。

 私は血の海の中で、それらの肉片を拾い集めた。私の身体が再生するのは身体が勝手にやっていることだが、それを意識的になす方法も、私は学んで知っていた。自分の手にその熱を集め、私はその肉片をこねて形を整えていった。確信があったわけではなかった。単なる退屈しのぎの実験に過ぎなかった。ただ、私には退屈しのぎ以外に生きていてするべきことはなかった。だからたぶん、かなり真剣に私はその作業に没頭した。

 いびつながらも何となく形になり、私はその肉の人形の表面を濡らした布巾で拭いて床のきれいな場所に置いてやった。私の身体はもはや完全に、傷痕ひとつ残さずに再生していた。ただ、全身を重い疲労感が包んでいた。それでもやるべきことがあるのは嬉しかったので、私は休まず働いた。雑巾を絞り、調理室の脇にあった洗剤を駆使して血みどろの床を何事もなかったかのようにきれいにした。それから風呂に湯を入れて、裂けたブラウスも破れたスカートも血まみれの下着もすべてゴミ箱に捨てた。ゆっくりと湯に浸かり、さっぱりした気分で新しい洋服を身に着けた。

 部屋に戻ると、私の捏ねた肉片は、私が造った形ではなく、まったくの人間の子どもの姿になっていた。頭には柔らかな色の髪がなびき、つぶらな瞳が私の方を向いていた。ぷくぷくと小さな手足の指の一本一本に、こぼれそうな爪が生えていた。その子は私の方を向き、唾のたまった口を開いて「だあ」と小さく声を上げた。私はその子に「ユキ」と名づけた。



 ユキは私と違って、怪我がなかなか治らない。

 そのことを私は、私の不注意から知った。ユキが生まれて五日目の朝のことだった。その日ユキは、私が見ていない間に地下倉庫への階段を転げ落ちた。階段は調理場の奥にあり、普段私とユキが時間の大半を過ごす部屋からは距離があった。私はいつものように一日分の食糧を運び出していたが、缶詰の新しい箱を開けねばならなくなり、その箱は素手では開封できないので、部屋にナイフを取りに来た。その時私はすぐ戻るつもりで、蓋のような形状の地下への扉をはずしたままでいた。

 記憶を辿りながらナイフを探して棚の引き出しを漁っていると、がたんがたん、と音がした。私は引き出しを開けたまま、音のした場所に駆けつけた。調理場の奥の四角い穴のところまで行き、覗き込むと、隙間の多い急な木の階段の下、コンクリートの床にユキは仰向けに転がっていた。擦ったらしく、ふっくらとした果実のような頬の片側が血に染まり、剥けたように真っ赤になっている。何が起きたのか分からない、という顔で、ユキは呆然と宙を見上げていたが、その視界に私が入ると、何かが膨らんで弾けたようで、突然、火がついたように泣き始めた。

 私は驚いた。幼いながらも知的とすらいえる表情でぼんやりとしていることの多いユキが、こんなに凄まじい感情を発するのだということに驚いた。肩のところを縫い縮め、袖と裾を留めて与えた、それでも大きすぎる私のブラウスから、白い小さな手足が何もかも放棄したように床に伸びていた。ユキのすべてのエネルギーは、泣くことだけに集中していた。自分を取り巻く世界のすべてに対して、全身全霊で抗議をしているようにも見えた。

 私は自分まで転げ落ちないよう、階段を注意しながら下り、とりあえず、ユキの頭を撫でた。訓練のたまもので、私は触るだけで何となく身体の傷んだ場所が分かる。頭に損傷はないようだった。私はユキにも、私と同じ治癒能力があるのではないか、と思っていた。けれどもユキのまっさらだった頬についた赤い傷痕は、しばらく見ていても、治っていく様子がまるでない。仕方がないので、私は自分の手をかざした。私が意識して発する熱は、他人の傷の治癒にも影響を及ぼす。自分自身の身体の治り具合を基準にすると比べものにならないほど遅いのだが、私が手をかざすと、治癒が普通より早まり、痛みもましになるようだ。私がそれを知ったのは、研究所に入れられてからのことだった。


 私が初めて研究所に連れていかれたのは、小学校の六年生の時だった。理科の特別講師が授業をしてくれるというので、私たちのクラスは理科室に集められた。白衣を着たその男の先生は、ちょうどその頃教科書で「にんげんの体」の章をやっていたので、それに関連した話をした。人間の身体の中で、酸素や栄養はどんな風に巡っているのか。人間の血は、どういう仕組みで固まるのか。悪い菌が侵入してきた時に、人間の身体はそれにどう対抗するのか。どの話もとても面白く、私は夢中で聞いていた。が、授業が終わるにはまだ早い時間で講師の先生はいったん話を終えた。教室の後ろには、特別講師の授業を見学するため、と言って、知らない大人の人が十数人、それに校長先生と教頭先生、学年主任の先生までもがいた。その中で、ふいに特別講師の先生は、私の名前をフルネームで呼び、前に来るように言った。私は何が何だか分からないまま、けれども強く促されておずおずと黒板の前の先生のところまで出た。後ろの知らない大人の人たちが、黙って立ち上がって広がるのが見えた。教頭先生と校長先生と学年主任の先生は、少し焦ったような顔でなにごとかを言い合っている。クラスのみんなはそれぞれに、後ろを振り返ったり、私の方を見たりしている。

 特別講師は私の手首を掴んだ。そうして「いいかい、みんな。」と 授業を再開するかのように子どもたちの注意を引きつけると、私の脇で高らに声を張り上げて言った。

「この子は、人間ではない。」

 イルカは魚ではない。コウモリは鳥ではない。それと同じような調子だった。そうして講師は掴んだ私の手首をいきなり持ち上げ、反対の手にいつのまにか持っていたカッターナイフの刃をチチチと出すと、ぼんやりと開かれていた手のひらに突き刺した。痛みと驚きに、私は悲鳴を上げた。ぼとぼとと、赤い鮮血が腕から脇につたって落ちた。

 が、みんなの見ている前で、私の手のひらの傷は、すうっと何もなかったかのように消え失せた。「ありえない。」講師はみんなに向かって強調するように、続けた。「人間ではないどころか、生物として、ありえない。」

 立っていた大人たちの何人かがばらばらと前にやってきて、私の腕や肩を掴んだ。校長や教頭が「話が違う」「授業のあとと言っていたのに」と講師に向かって訴えていた。興奮したり泣き出したりするクラスの子たちの混乱を、担任の先生が必死で抑えようとしている。それらを背中に私は廊下に連れ出された。有無を言わさず引きずられ、靴も履き替えさせられずに門の前に止まっていた車の中に押し込まれた。

 それから数年私は研究所にいた。そこにいた研究員の一人が私の力や体質を国や組織のためではなく自分の為に利用したいと考えて、私を連れて脱走するまでそこにいた。私を事業の発展のために利用したい企業、私を研究して成果を上げたい学者の集団、自分が有利になるための取引材料として私を求めるやくざ者、自分の身の安全のために私を手元に置きたがる要人、さまざまな立場のさまざまな思惑の交差の中で、私の身柄は点々とした。私の意思を尊重すると言って私を普通の人間のように扱い、学校に通わせてくれるところもあった。そうかと思えば、二十四時間監視のコンクリートの箱のような部屋で一日一回サプリメントを与えられデータを取られる、まったくの実験動物としての生活を強いられることもあった。逃げ出せたことも何度かあった。私の体質のことなど何も知らない人たちの中で自由に過ごせたことも幾度かあった。が、そうした期間はいつも長続きしなかった。捕まれば、それで私の自由は終わる。そうしていつも思うのは、国や組織の上層部が私のことを機密事項として扱いたがっているのとは裏腹に、追っ手や研究員たちはむしろ、私の力を世間の人に見せつけたいのでは、ということだった。分別のつかない子供が奇異な人を街で見かけた時、大きな声で親に呼びかけ同意を得たがるように、彼らはいつも得意げに、「こいつは化け物なんだ。」「見ろ、この異常さを。」と私の力を人前に晒し、怯えたり顔をしかめたりする人々の表情を満足げに眺める。私に絶望を植えつけて、生きる意欲を失わせたいのだろうか。それとも彼らは私のような者が存在することが許せなくて、同じ気持を共有する人を、増やしたいと思うのだろうか。

 私はどこから生まれたのだろう、と時折考える。

 私には、普通の両親がいた。

 私が彼らの本当の子どもではないという話は、今のところ誰からも聞いたことがない。自分が彼らに似ているという部分を、私はまったく見出せたことはないけれど、でも、私は普通の子どもと同じように、自分が彼らから生まれたのだと疑わず、彼らが私を慈しみ、愛し、育ててくれるのを、当然のことだと思っていた。彼らの方も、たぶんそうだったのだと思う。私の異常な体質に、彼らはまったく気付いていなかった。三歳の時に団地の七階のベランダから落ちて無傷だったということ、五歳の時に車道に飛び出したが「運よくタイヤとタイヤの間に横たわっていたらしく」無事だったことなどを彼らは好んで私に話したが、彼らはそれらを単なる「強運」としか考えていないようだった。そうして彼らは私のことをよく知らないまま、あっけなく死んだ。私が小学三年生の時、前を行くトラックから落ちてきた鉄パイプは私たちの乗った車を直撃し、潰れた車の中で二人は血を流しながら息絶えた。その中で一人完全に傷が癒えてしまった私は、彼らの死体の下に潜り込み、「かばってもらったから無傷だった」という言い訳を考えるのが精一杯だった。その後は、私は祖母に引き取られて育てられた。祖母もまた私を自分の孫だと信じきっていて、「おまえは私の娘の本当の子どもではない」と私に告げるようなことはなかった。その祖母も、それから一年位して、病気にかかって死んでしまった。


 私に手をかざされたユキは次第に泣きやんで、まだふちに涙を残しながらも目にいつもの静かな色を宿らせ始めた。頬の傷はだいぶ薄くなり、ほんのり赤い程度になっている。小さなもみじのような手をコンクリートの床に付き、ユキはもぞもぞと身体を起こした。一旦休憩するようにその場に座り込むと、小さく「う」と呟く。

 ユキはいつも四つん這いで自由に小屋の中を動き回っていたが、まだ立って歩いたことはなかった。これまで特に必要がなかったから、と言ってもいい。けれどもユキは、天井に覗く出口を見上げ、そこに繋がる階段を見るうちに、急に立ちたいという欲求に駆られたらしかった。木の階段の、段の縁に掴まるようにして、懸命に上へ上へと伸びようとする。赤みがかった小さな足が、灰色の床を押して震えている。小さな指に力がこもる。頭を突き上げるようにして一瞬立ち、すぐさま尻餅をついた。が、ユキは果敢に挑戦する。膝をがくがく揺らしながら、人並みに直立しようと頑張っている。

 数十分の後、ユキはどこにも掴まらず、その場に立っていられるようになった。

 それから私たちは、急な階段を二人で上った。先に行かせたユキは、さすがに四つん這いの姿勢に戻り、順序良く手足を段に置きながら、少し得意げに地上の部屋に戻った。




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