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9 空が割れる

 もうすぐ、夏が終わる。すっかり長くなった昼の終わる瞬間を、真一はまたあの階段で過ごしていた。今年の夏は絵を描いてばかりで、日に焼けることも汗をかくこともあまりなかった。

 リスザル、カクレクマノミ、バオバブ、カサブランカ、コンゴウインコ、花帆の病室は、真一の絵でもう溢れ返りそうだ。花帆の代わりに、美術室にはしょっちゅう唯が来て、あれを描けこれを描けとしつこく催促していった。おかげで真一は、やっとアフリカゾウの絵を持って今日もこの道を歩いている。


 花帆の体は回復したものの、目は未だ見えない。明日、研究所の施設に転院するそうだ。

 真一は空を見上げる。あの日の夕暮れみたいに、橙色の空を切り裂く飛行機雲がひとつ、ふたつ。

 みっつよっついつつ。空に無数に伸びてゆく雲。なかなか消えないところも見ると、明日は雨が降るのだろうか。それにしても、今日は随分多い。そう思った瞬間、空が、割れた。


「え、何だあれ…」


 真一から見て西の方、編笠山の上空に、鋭い三日月形の空間がすっと開いていた。周りの美しい群青や茜色の中で、その三日月だけ、宵闇を注ぎ込んだかのように真っ黒だ。


「…あれは、宇宙なのかな…」


 あまりにきれいで、真一はこれを絵にしたいな、なんて場違いなことを考えていた。これを見ることができない花帆のために、これを描いて、彼女の夢の中で一緒に見られたら。


ウウウ――――…カンカンカンカンカン…


 そんなもの思いを一緒んでふっ飛ばしたのは、空を打つような警報音だった。

真一の向かいから次々と人が押し寄せてくる。


「おい、坊主、さっさと逃げろ」


 通りすがりざまに、肩のぶつかった初老の男から声を掛けられた。


「あ…はい」


 そう言って走り出してから、真一はやっと周囲の状況が目に入って来た。逃げ惑う人々。泣き声、叫び声、母を呼ぶ声。その音量の中で、真一は耳をつんざくような静寂に包まれていた。

 何が、あの空の裂け目から、何が出てくるのか。真一の心にはなんの言葉も音も届かない。ただ、あの山の麓にある研究所には兄がいる。そして、そこには明日、花帆が移ることになっていた。


 結局、その日は第一科非常事態警告が発令され、真一は避難所で一晩を過ごすことになった。情報は何も入らず、電波はロックされ、警報が鳴りやむことはなかった。避難所の高い天井を見上げねがら、あの割れた空の先にあった闇のことを、真一は今でも絵にしたいと思った。



 次の日、日の昇った空は何事もなく、厚い雲に覆われていた。午後から雨になるだろう、と隣の家のおじさんが言った。今回の騒動での死人やけが人は出なかったらしい。それはそうだ、だって何が具体的な被害があったわけではないのだから。何があったのか結局誰もわからないまま、午前中には警告は解除され、人々は家に戻った。

 真一は避難所を出たその足で、花帆の病室に向かった。会えると思っていたわけではないが、なんの連絡手段もない今、無事でいるかだけでも知りたかったのだ。


 真一が病室にいった時、もうすでに部屋は空っぽだった。看護師曰く、転院が一日早まったらしい。昨日の空が割れたあの時、もう移動は済んでいたことになる。


「…なんだよ」


 真一は端の折れてしまったアフリカゾウの絵を、どこへやることもできずに握りしめていた。空っぽの病室では、これまでに真一の描いた様々な動植物たちが行き場をなくしていた。


 結局、異常気象及びその影響についての詳細な情報はわからず、公共放送のテロップも「現在調査中」のままだ。避難勧告はたったの半日で解除され、よくわからないまま真一は家に帰った。

 違う避難場所に身を寄せていた母親は遅く帰って来た真一を心配そうに迎えた。無人の病室に見舞いに行っていた一部始終を説明する気力もなかった真一は、「この辺りの様子をぐるっと見てきたが、何も異常はなかった」と答えた。

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