カークの昇格試験
初仕事は簡単なものだった。
パンを契約している家々に届けるのだが、最近増加した領都の人口を反映してパン屋の配達員不足は深刻であった。その労働力供給を冒険者に頼ってカークにも仕事が回ってきたのだが……。
「なんだって!もう回って来たのかいっ!途中で捨てたり食べたりしてないだろうね!」
口うるさいパン屋の女主人がヒステリックに叫ぶのを右から左にカークは回った家庭の特徴をズバリ言ってのける。
「おや、本当のようだね!じゃ、もいっちょ行ってらっしゃい!」
華奢なカークが吹き飛ぶ程の力強さで肩をはたく。シャバの仕事とはこのようなものかと思いながら次の巡回に『飛び立った』。フッと姿の消えたカークの姿を追って店先に出ると、隣の偏屈婆の家の上を足場に奥隣の長屋に飛び移るカークの姿を捉えることができた。朝から家が軋む老婆は天井に向かって何か吠えている。
「ありゃぁ……婆さんが怒っちゃってるよぉ、まいっか。」
フフっと吹き出して店に戻った店主は、婆さんにかちこまれる前に店を閉めとこうか、本気で悩んだ。
それから一時もすると配達を依頼された売り子が全員戻ってきた。お給金を渡してこの日の朝の仕事はおしまいだ。最近は獣人の女性からの人気が高い職となっている。
それもそのはず、お給金以外に昨日売れ残ったパンがもらえるのだ。
異世界に珍しい新鮮なパンが人気の秘密であるが、これも食うに困る社会的に地位が低い獣人の生活改善を街の皆で考えて、皆の負担で助けあっている。
というのもその分の料金がパン代に少しだけ添加されていて、弱者救済の互助の仕組みになっているのだ。
その取り組みの一環が低レベル冒険者の救済だ。皆食えない頃はこのバイトで糊口を凌ぐことができる。そしてまとまった金が手に入るようになれば、今度は支える側になるというわけだ。
だが、前代未聞の成果を出してしまったCランク冒険者が現れた。
パンは一回分を渡し、給金を弾んだ。女主人はギルド宛の手紙を書いてカークに渡す。
「これをギルドマスターに渡しておくれ、あんたの昇格について書いてある」
「……ありがとう……。」
「アンナだよ。」
「ありがとう、アンナ……。」
なぜこの女主人がこのような昇格を臭わせるような事を言ってマッカスへの手紙を渡すのだろう?顔面にありありと書かれた疑問に、わかりやすい男だよほんとうにとアンナはフフっと笑う。この笑いはアンナの癖のようであった。
「このパン屋はギルド直営なのさ、ハルオ様のお考えになったパン屋なんだよ。だからわたしゃ試験官というやつも兼ねてるんだっ!わかったらさっさとお行き!……怪我なんかしないようにね」
「そうか」
合点のいったカークは一言だけ残すと霧のように消えた。
他のバイトも風か霧のように掻き消えたカークを探してキョロキョロする。好奇心旺盛な獣人の娘達はカーク探しに夢中だ。本人はもうその辺には居ないのだが獣人の目をしても見えている者はいなかったのだ。
「まったく言葉足らずだよ、もう。ほらキョロキョロしてないで散った散ったっミルクがいる子は隣の牛乳屋にコレを渡しな!」
新鮮なミルクとヨーグルトの普及もハルオの事業だ。貧しいが頑張って働いたものに割賦が渡され、その割賦の提示で痛む前に古いものから順に分け与えられる。こうして労働力と信心がどんどんとハルオに集まるのだ。一見悪どいが救われる命は多い。
ちなみに、割賦は政庁に持ち込めばお金と引き換えてもらえる。割賦を多く持ち込む程に優良店として★がたくさんもらえ、領報で星の数が貼りだされる。また同じように割賦を振り出した店も領民に愛されている。
領民はこの星が多い店舗で買い物をすることで、貧民対策となるのだ。今現在星の数が一番多いのはアンナのパン屋とマッカスの蓮華亭である。普及はまだまだこれからだ。
◇
カークから渡された手紙を開いてマッカスはこいつは……ランクアップの最短記録だな、と思いながら読み進める。内容によると2階級の飛び級はしてもよいほどの身体能力だそうだ。流石に何も測らずにC3ランクに上げる訳にもいかない。
「おい、お前さんは何人を斬ったことがある?」
「いや、ない」
「C3ランク以上は盗賊討伐や小競り合いに借り出される可能性がある」
「オレは今……C5ランクだもう少し後の話だろう?」
「パン屋のアンナの推薦だ」
「いずれ通らねばならぬ道だが、オレは不殺を領主様に誓っている」
「傷つけず無力化が可能か?」
にやりと悪巧みするマッカスを見て面倒くさい奴だと思ったが、声にしてはあぁとだけ答えるにとどめた。マッカスはその解を得て、ハルオ宛の手紙を書き始める。
「これをハルオ様にお届けしろ、その中にお前さんの運命が書かれているんだ、大切にな」
こくりと頷くと、普通に部屋を出る。カークは呪術で闇の技を極めているが、縮地移動もその技の1つだ。だがこのギルドマスターにはなるべく奥の手は隠すようにしようと考えた。ギルドマスターから感じた強者の風格がなせる怯えのようなものだが、今のカークになぜかは理解ができなかった。
廊下を僅かに進むと縮地でギルドの外までひとっ飛びする。そのままの勢いで丘を登り城の城門に到着した。カークはラディオール家家臣カーク・ディクトルと名乗りハルオへの謁見願いとギルドマスターからの手紙を預かっている事を門衛に伝えた。
程なくして吊橋が落ちてきて堀に橋が掛かる。出てくるものがなければカークのために降ろされた橋だ。城門でしばらく待つと橋を渡るように促される。縮地で一気に渡りきりたいところを我慢して厳かに橋を渡った。
幾ばくもせず、ハルオと対面で話せる部屋に案内された。本人も勿体つけずにすぐにやってくる。こういった飾らないところが好感が持てる。今まで接してきた依頼主は多くが貴族だったが、鼻持ちならないゴミが多い。この領主様はティオ兄貴が仕えるに相応しいお方だと思った。
先ほどと同じように蜜蝋で封をした手紙を秘書官に渡す。秘書官が開封してハルオに手紙を渡した。その所作に見惚れたが床に視線を落としてやり過ごした、気付かれなかっただろう。
「なるほどねぇ」
手紙から何度も顔を上げて秘書官とオレを見比べるハルオ様。
まさか!あの一瞬の挙動を見ぬかれたか!
「いいんじゃないですかねぇ、可愛い子には旅をさせろっていうしねぇ」
「……といいますと?」
「ここにはこう書いてある。この者闇の技を追求する者故に辺境伯家への使者への同行と使節団の無事の帰還を昇格試験とす。」
「!?」
「実はまだベネッサには言ってなかったんだけど、今回の特使はベネッサとサムルの兄弟にお願いしようと思っているんだ」
「私ですか!?」
「そう、あなたとあなた」
指を2人に指してニッコリ微笑む。ラディオールの騎士だろう?オレの大切な秘書官を無事に領都まで連れ帰ってくれよな、と明るい笑顔で言われた。これは噂に聞く無茶ぶりというやつなのでは?だがこの姫君と旅を共にするのは悪い話ではないように思った。
「お役目、慎んでお受け致します。」
「じゃ、委細は二人で相談してね!」
そう言い残すとオレとベネッサ様を置いてさっさと部屋から居なくなってしまった。これが噂に聞く、後は若いものでウフフというやつであろうっ!
「ベネッサ様、では日程など……。」
「ベネッサだと呼びづらいでしょ?ベニーと呼んで?」
べ、べべ、ベニー!?カークはこれまで人とそれほど親しく接したことはない。しゅんとなり固まったカークを気遣って、ま、おいおいで良いわと笑って許してくれた。
『天使だ……』
その笑顔に女神か天使の姿を幻視したカークは火の中海の中、何が何でも守り切ってみせると誓ったのであった。
◇
「ねぇねぇ、二人の様子はどうだった?」
謁見部屋付きのメイドに確認して回るハルオは年相応の好奇心に突き動かされる。二人がこれを気に結婚とかしてくれるといいなぁなどと考えていた。行動がまだお子様である。