出発の前に
氷雨が上がったあとには随分と冬の装いを強くした寒気が流れ込んできた。最近のラームは冬の寒さにめっきり弱くなり、老いを感じることしきりである。しかし、あの貯水池を少し登ると古代の街か城の遺跡があるやもしれない。年甲斐もなくラームはひとり期待に胸を膨らませていた。その様子には昨夜のララとの会話で取り乱した風はなかった。
「ラーム様、少しよろしいか」
言葉の通りの伺う気配はない。半ば無理矢理にでも話すつもりであろう、ラームに声をかけたララは片手に持った茶をラームに差し出す。
「こりゃ気の利くことで、なんじゃろうな」
昨晩の事であろうとあたりはつけるが、ラームもあえては切り出さない。
「今朝、昴様が、合流されました」
「あの娘っ子か、先の村で合流ではなかったかな?」
「いえ、あの、ラーム様のお心を少しでも軽くできないかと、差し出がましいのですが私が呼び寄せいたしました」
「くっくっ、あれは昔話じゃ、老人のたわ言として忘れてもらってもよかったのじゃが」
「いえ、そういう訳にも。ザラや辺境伯に関することであれば調査するのも私の役目。その霊魂ともお話してみたくなりました」
ララは精一杯の笑顔で茶目っ気を含んだ言葉とラームを労る眼差しを送る。ラームはその眼差しをみてよい娘であり、よい神獣じゃと感心した。いらぬ世話ではあるが何かと理由をつけて翌日にはどうにかしようと動いてくれたことに、今は身内のないラームは孫が居ればこのようなもんかのぅと心が温まる思いであった。
「ハルオ様のお役に立てるのであれば、お主に話した事も無意味ではなかったようじゃ」
ラームは差し出された茶をずずっと啜りながら強い意思のこもったまなこで見返してきた。ララはその言葉と目を見てラームがララの申し入れを受け入れたと感じた。ラームは早速とばかりに昴に事のあらましを話に階下に降りて行った。
ギィギィ、ミシミシと作りの粗末な階段をゆっくり降りる音が部屋にまで聞こえる。
残されたララはラームが眺めていた窓から見える景色を一瞥して雨戸を閉めた。
−−
「なに、お主がその霊魂の幼なじみとやらに気負う必要はないぞ。」
あらかた話を聞いた昴が放った第一声はラームに少なくない衝撃を与えた。昴が言うにはそんなシチュエーションで脅かすように出てくる娘が悪いという事であった。そう言われるとあの霊魂の集団から離れてひっそりと近づきラームを驚かそうとするのは、あの幼なじみならやりかねない。
「左様か、左様か。そのように考えるとあの困ったような泣きそうな顔はあやつがわしへのイタズラが度が過ぎて、親に叱られてしまう事を気にしたときの表情であったわい!」
かっかと笑うラームだが、なるほど昴のような聖獣ともなれば死者と生者の区別もなく考えることもできるのじゃなぁと感心した。今回ラームの昔語りを聞いたのはティオ、昴、サトワ、アデーレ、セトであった。
「というわけじゃが、その集団はまだ成仏できておらぬやも知れぬ、どちらへ向かったかわかるかえ?」
と一同を代表して昴が声を上げる。
「キャンプ地にしたのがこの辺り、山の尾根にある峠を見渡せるように方角はこちらを向いてキャンプを張りましたのじゃが、はて、真っ直ぐキャンプの左側を通り過ぎたと思いますなぁ」
「では峠から道伝いではなく、一直線に降りてやがる可能性があるな」
ティオが茶化すこともなく指で地図をなぞらえながら説明する。意外に感じたラームではあったが人の生き死にには敬意を払う男であった。全員の目がティオの指を追いかける。その指し示す先にあったのは一昨日の畑から登る小高い山であった。
「こりゃ、あの遺跡があった山じゃねぇか?」
「……なんだかきな臭い」
突然しゃべり始めたセトにアデーレがビクついている。アデーレは怪談やら幽霊が大の苦手であった。そんなアデーレは幽霊が集まるかもしれない遺跡の中で舞を踊った事にひどく後悔していたが、突然の声に心臓が飛び出そうになった。キッとセトを睨むとふんとそっぽを向く、基本的にアデーレの性質は何も変わっていないのである。
「あの山には何かしら遺跡があるじゃろうなぁ、明日にでも行ってみるかのぉ。今日は装備やら物資の準備じゃな。」
「よし、そうしようぜ!」
俄然やる気のティオと気乗りしなそうなセト、先ほどびくついたのが恥ずかしく不機嫌なアデーレ、地図に見入りザラのことでも考えていそうなサトワ、何も考えていなそうな昴と全員まったくばらばらな一行を見てラームはまた、カッカと笑った。




