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09.昔話と今のお話と



 ある日の朝。いつものごとく学校に行こうと玄関を出たところで、私は空を見上げてひとつため息をつく。


 どんよりとした曇り空。今にも雨が落ちてきそうだ。晴れるか、雨がふるのか、ハッキリしてくれ方が気分がいいんだけどなぁ。口の中だけで天に向かって毒づく。


「おはよう、ミウ」


「おはようおばさん」


 お隣の宿屋の女将さんが、お店の前の掃除をしている。


 このあたりは、王都の中では裕福な平民の住む区画と商店街の境目付近にあたる。治安は比較的良好で、旅行者なんかもうろうろしている一角だ。


 おばさんの家は、冒険者や旅行者が宿泊する小さな宿だ。ご飯が美味しいと評判で、それなりに繁盛しているらしい。


「これから学校かい? 女の子なのに無理して王立学校になんて通って、つらくないのかい」


 おばさんは、私が幼児のころから、粗忽者の父と弟に囲まれて暮らしている私の事をいつも何かと気にかけてくれる。当然、私が女の子だということも知っている。さすがに私がサキュバスだということは気づいていないようだが。


 世間の噂話が大好きなこの叔母さんは、どうやら、私はお父さんが若い頃にやんごとなき女性と問題をおこした末にできた子だと思いこんでいて、私の素性を隠すため男の子のふりをするのに協力してくれているつもりらしい。否定するのも面倒くさいのでそのままにしているのだが、ごめんね、おばさん。


「ノブといっしょだから、けっこう楽しいよ。……って、おばさん、私が女の子ってことは、他の人には……」


「わかってるって。今さら事情は聞かないけどね。でも家事も店の帳簿つけもみんなミウちゃんがやってるんだろう? ほんと、イーシャさんには過ぎた娘さんだわぁ」


「え、えええ? そんなことないですよぉ」


 そりゃ、前世は一応成人女性だったしね。ひとり暮らししていたから一通りの家事くらいできるし、簿記なんかも資格もっていたからね。何よりも、この世界の基本的な設定を考えたのは私なんだから、私の想像力を超えるようなハードな世界であるわけがないんだよね。


「それにしても、もったいないねぇ。ミウはそんなに可愛いのに、そんな男の子みたいな髪にそんな制服着ちゃって……」


 おばさんが、ため息とともに私の格好をしげしげと眺める。


「でも、私スカートなんかよりこの方が好きだし。ていうか、くどいようだけど私が女の子だということは……」


 まぁ、おばさんが心配するのもわからなくもないが。


 でも、どうせまだまだこんなお子様ボディだし。どうせ悪役サキュバスなのに可愛い格好するのもちょっと恥ずかしいし。なによりも、神殿の神官達に目をつけられるとヤバイし。さすがに王立学校の制服を着ていれば、サキュバスだと見破るのは難しいだろうし、神殿も手を出しずらいはずだ。


「でもね、ミウ。あなた自分では気づいてないかもしれないけど、もうそろそろ男の子のふりなんて無理よ。どんどん女っぽくて可愛らしくなっているし……」


 えっ。そ、そうかな? そんなに私かわいい? ……じゃなくて、たしかに最近ちょっと成長しちゃったかなぁと思わなくもないんだよなぁ。ここだけの話だけど、胸とか、ちょっとだけ大きくなっちゃって、そろそろ下着をなんとかしないとやばいんだよなぁ。……サラシでもまくか。


「そうよ、……言葉では表現しずらいけど、ミウからは歳に似合わない、えーと、強烈な色気? を感じちゃうわ。女の私でもゾクゾクしちゃうくらい。学校は男の子ばかりなんでしょ? 幼年部を卒業したらどうするの? 高等部は全寮制でしょ? おばさん心配だわぁ」


 ええ? うーーん、メガネだけじゃ魅了の魔力をごまかせなくなってきた? さすがに高等部卒業の十八歳まで男子寮にはいるなんて無理だよなぁ。高等部いかないのなら、神官に見つかる前にそろそろこの家を出なくちゃならないということかなぁ? うーん。……イヤなことはあとで考えよう。





「そうそうミウちゃん、知ってる? 王家のお年頃のお姫様がね、平民の家に嫁ぐかもって話。陛下が強引に話を進めてて、反対する有力貴族達と対立してるって噂だけど。王立学校には王族様もいるんでしょ? どこの家なのか聞いてない?」


 また始まった。おばさん、こーゆーゴシップ大好物だから。


 実はおばさんだけでなく、王都の裕福な平民達にとって、貴族や宮廷のゴシップはいい酒の肴だ。そして、それなりに中産階級の地位が向上しつつある王国において、王宮といえども平民達の民意を無視はできない。


 日本の江戸時代だって、忠臣蔵をみればわかるとおり町民も幕府の内情にそれなりに詳しかったし、幕府は町民を無視できなかったしね。


「えええ? 私あまり貴族と仲良くないし……。おばさんこそ、そーゆー話どこから聞いてくるんですか」


「そりゃ、うちにはいろんなお客が泊まるから。この手の話はね、国内の貴族なんかよりも外国経由の方がはやく伝わったり、……おっと、これ以上は秘密。どこで騎士団や近衛の連中が聞き耳立てているかわからないからね」


 どこの世界でも庶民はたくましいなぁ。


 それにしても、王家のお年頃のお姫様って、ジョアン殿下の妹君のことかな? もしかして、それで殿下は不機嫌そうな顔しているのだろうか?





 噂話に花が咲く私達とは関係なく、おばさんの宿の前では一台の馬車が出発の準備をしている。王国を訪れていた異国の商人が、国に帰るらしい。


 荷物の積み込みで騒々しい中、馬が何度もいななく。近所のガキ、……いや、お子様が、馬の尻尾に悪戯しているのだ。


「こら、やめなさい! 馬をいじめると蹴られちゃうよ」


 放っておけず注意してやったら、生意気にもガキが口答えしてきた。


「こんな鈍そうな馬に蹴られるわけないじゃん!」


「もうっ」


 悪態をつく悪ガキの姿に、記憶の中のほんの数年前の光景が重なる。おもわず頬が緩む。このお子様、昔のノブとそっくりだ。






 それは、私がイーシャのお父さんに拾われてから一年くらいたった頃。ちょうどお父さんが王都でお店を始めた直後の頃。


 私はたぶん六歳くらいで、弟のノブも同じくらい。ノブは、いつも私にべたべたまとわりついている、甘えん坊の弟だった。


 私は、転生する前も年子の弟がいたので、こんな子の扱いには慣れている。ノブは、ちょっとやんちゃで人間離れしたほど元気がありすぎるので、付き合うのにはとても疲れる。でも、それでもかわいい弟だ。


 その日も、たまたまお店の前に馬がいた。冒険者のお客さんが乗ってきた馬だ。ノブは、馬にちょっかいを出さずにはいられない。


「ちょっと、ノブ。馬にいたずらしないの。蹴られちゃうよ!」


「へーん。俺様が馬なんかに蹴られるわけないだろ! 鈍くさい姉ちゃんじゃあるまいし」


「誰が鈍くさいって? もう」


 馬は一見年寄りで、温厚そうに見えた。しかし、あまりにも生意気でしつこい人間のガキに、たまには教育的指導が必要と考えたのかもしれない。


 ちょうど馬の真後ろの位置から、ノブが馬の尻尾の毛をひっぱる。そのノブの身体めがけて、いらいらが頂点に達した馬の後ろ足の蹄が、蹴り上げられた。





「お、馬のやつ、生意気にも俺に刃向かうつもりか?」


 ノブは、馬の反撃などまったく恐がってはいない。


 そんなのろまな蹴りが俺にあたるわけないだろう! 目をつむってでも避けられるぜ。


 ノブの動体視力と反射神経、ついでに筋力は、この歳にして普通の人間の比ではない。モンスターならともかく、たかが馬の蹴りなど、十分に避けられるはずだった。それどころか、「蹴り上げられた蹄をがっしりと受け止めてやったら、馬の奴もびっくりするだろうなぁ」などと考える余裕すらあった。


 しかし、さすがのノブも、彼の横にいた馬よりもさらに鈍くさい人間の動きまでは予想できない。


 まさか姉ちゃんが、自分の身を挺して俺を庇おうとするとは! 全身の力で俺を突き飛ばしたミウが、次の瞬間、俺の代わりに馬の蹴りをもろに食らってしまうとは!




 ミウの目の前、いらついた馬が前足に重心をかけた。そして、後ろ足が蹴りあがり、蹄がものすごい勢いでノブに向けて飛ぶのが見えた。


「ノブ、あぶない!」


 後から冷静に考えれば、ノブがあんな蹴りを食らうわけないのだ。それはわかっていたはずだ。だが、その瞬間は、何も考える暇もなかった。身体が勝手に動いたのだからしかたがない。


 反射的に弟の身体を突き飛ばす。勢い余って前にでた私の身体の正面に、馬の体重が乗った渾身の蹴りが迫る。


 すぱーーん


 唐突な浮遊感。激痛はその後で襲ってきた。


 気づいたら、胸をもろに蹴られていた。そして、小さな私の身体は、通りの向こう側までふき飛ばされていたのだ。


「ねーーーちゃん!!!」


 ノブが絶叫しながら駆け寄ってくる。


 ぐ、ぐ、ぐ、……。向かいの家の壁に激突し転げ落ちた私は、その場にのたうち回るしかできない。


「ねーちゃん、ねーちゃん、大丈夫か、しっかりしろ!」


 ……息が、息ができない。必死になって息を吸う。気管が変な音を出しながら、かろうじて胸に空気が入ってくる。


 胸が痛い。全身が痛い。身体が動かない。口の中が気持ち悪い。胸が痛い。胸が痛い。死ぬほど痛い。痛い、痛い、痛い、痛い!


 でも、確かめなきゃならないことがある。必死に、声を、しぼり、だ、す。


「ノ、ノブ、ノブ、ノブ、……あ、あんた、あんた、蹴られ、なかった? ノブ、大丈夫、あんたは大丈夫な、の?」


「あほ、俺のことなんていいんだよ! ねーちゃん鈍くさいくせに、どうして俺を庇おうとするんだよ」


「だって、だって、ノブが、馬に蹴られ、たら、こまる、し」


「もうしゃべるな! じっとしてろ。ノブ、店からありったけの薬草とポーションを、……いや、邪悪な魔力の持ち主には逆効果か。とりあえずタオルだ、タオルを濡らして持ってこい」


 私を抱き上げてるのは、お父さんだ。


「ねーちゃん! おい、親父、まさか姉ちゃん死なないよな」


「アバラが何本かいってるな。肺にささってなければいいが。頭もうった。意識はあるようだが様子をみる必要がある」


「治るのか? 治るんだよな」


「様子をみなきゃわからんと言ってるだろうが! ……命にはかかわらないと思いたいが、もしかしたら傷くらいは残るかもしらん」


「ねーちゃん、ごめん。ごめんよ。もし傷が残ったら、俺が嫁にもらってやる。だから許してくれ!」




 しかし、数週間後。ノブの必死の看病のおかげか、それとも私の悪運故なのか、まぁ体重が軽いお子様の身体が派手にふっとんだおかげで、衝撃はかえって少なかったのだろう。とにかく、私の身体はすっかり完治してしまったのだ。さすがに折れた骨がつくまでにはちょっと時間がかかり、ほんの少しだけ胸に傷が残ったけど、水着モデルにでもならない限り気にするほどのこともない。


 それからしばらくの間は、ノブが生意気なことを言って私に逆らう度に、『嫁にもらってやる』の台詞をネタにして虐めてやったものだ。そのたびに真っ赤になるノブが、かわいくてかわいくて……。






 それから約六年。隣の宿の前、昔のノブとそっくりのやんちゃなお子様が、ついに馬を怒らせてしまったようだ。


 ついに怒りが頂天に達した馬の蹄が、お子様の身体にむけて飛ぶ。


 このお子様は普通の人間だ。ノブやお父さんのような超人的な力はもってない。馬に蹴られれば、最悪ケガだけではすまないだろう。


「あぶない!」


 とっさに身体が動いた。反射的に馬の前に割り込み、お子様を抱きしめる。また蹴られる。見なくてもわかる。蹄が背中に迫る。


 目をつむり、身体を硬直させて、その瞬間を待つ。……またか。人生で二度も馬に蹴られる女の子なんて、そんなにいないだろうなぁ。痛いだろうなぁ。傷が残らないといいなぁ。


 だが……。いつまでたっても衝撃がこない。馬のいななきも聞こえない。


 アレ? 馬は?


 おそるおそる振り向くと、馬の蹄は私の目の前で静止していた。ひとりの少年が、蹴り出された蹄を片手で受け止めたのだ。


「ノブ!!」


 十分に体重がのった自分の蹴りを人間に受け止められ、びっくりした馬がその場に硬直している。ちょうど学校に出かけるところだったのだろう。制服姿のノブが、馬の脚を優しく地面におろす。


「……ミウ、おまえ鈍くさいくせに、どうしてそう無茶をするんだ! ケガしたらどうするんだよ!!」


 ポカンと口を開けている私を、ノブが怖い顔をして睨む。


 そして、表情を変えぬまま、私の頭の上にノブが手をおいた。そのまま私の髪をワシャワシャしやがる。……姉に向かってなんて生意気な。ノブのくせに!


「ふんだ。私がケガしたって、ノブがお嫁にもらってくれるんでしょ!」


 一瞬にして、ノブの顔が真っ赤になった。しどろもどろで何も言えなくなる。


 ふっふっふ、お姉さんに逆らおうなんて百年早いのだよ。


 


2015.03.28 初出


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