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32.背中の傷と胸の傷と


「あ〜あ、背中の傷、のこっちゃった」


 夜中。家族はみな寝静まっている。もちろんイーシャ商会は閉店中。お店の中には、わたし以外だれもいない。


 上半身はだかになった私の背中が映っているのは、お店にある魔法の大鏡だ。大きくて平らで反射率の高い鏡は、この世界の文明では製作が難しい。たまたまお店に入荷していた、どこかのドアーフ職人が作ったという魔法の力で光を反射させる大鏡に背中を映し、それをさらに小さな手鏡で確認しているのだ。


 一週間ほど前、王立学校に乱入したアンデッド騎士にくらった傷は、右の肩甲骨のあたりから左のわき腹の手前ほどまで、ギザギザの跡が残ってしまった。


 もと魔導騎士のアンデッドがくりだす自爆魔法をほぼ直撃でくらったのだ。そして、木っ端みじんになったレンガ造りの図書館の瓦礫が直接わたしの背中めがけて崩れ落ちてきたのだ。出血で気を失うほど傷を負った私は、死んでいてもおかしくなかったはずだ。


 私の身体は、普通の治癒魔法やポーションがきかない。邪悪なサキュバスの血のおかげだ。一方で、アンデッドのような不死身の肉体を持っているわけでもない。ていうか、単純な肉体の比較なら、もしかしたら普通の人間よりもかなり弱いかもしれない。


 そう、私は身体が弱い上にケガしたら治りにくいのだ。なんという弱点だらけの悪役。この物語のラスボスのはずなのに! ……って、いったい誰がこんな設定を作ったんだろうね。まぁ、だからこそ、アンデッドを奴隷化して自分を護らせるわけだけど。


 ……おっと話がずれた。とにかく、そんな私がこの程度の傷ですんだのは、身を挺して私の身体を護ってくれた触手スライムのおかげだ。それから、そんな私の邪悪な身体すら直してしまった、謎の超古代魔法の秘術を操る暗黒の大魔法使いのウリセスさん。もちろん、瓦礫の下敷きになった私達を救い出し、そのうえ徹夜で私を看病してくれたノブも。





 ん? 裏口から物音が。こんな夜中なのにお店に誰かきた? ちょ、ちょ、ちょっと待って、わたし、いま、上半身はだか……。


「だれかいるのか……?」


 お店の裏口のドアをあけて入ってきたのは、……ノ、ノ、ノ、ノブ?


「ギャーーー、ノックくらいしなさいよ!」


 とっさに手鏡を放り出し、胸を隠してしゃがみ込む。


「わーーー、ごごごめん! おまえは寝てると思ってたし、店の方から物音がしたから泥棒でも入ったのかと思って……」


 バタンっ。開けたドアを勢いよく閉じる音。その隙に、私は急いでシャツを着る。





「……もう、入ってきてもいいよ」


 今度はおそるおそるゆっくりをドアをあけ、ノブがお店に入ってくる。


「背中の、……傷を見ていたのか?」


 ノブの顔が赤い。こちらに目をあわせようとしない。


 ほんの数年前までは一緒にお風呂入っていたのになぁ。あちらの世界では成人女性だったお姉さんとしては、ノブはあくまでもただの弟でしかないはずだったのに。……お互い思春期の身体になっちゃうと、いろいろとめんどくさいなぁ。


「どれくらいの傷なのか確認しようと思って……」


「そ、そんな傷、気にするな。ミウはきれいだから」


 なんて優しい弟だ。お姉さんはうれしいよ。


「ありがとう。私がいま生きているのはノブのおかげだよ」


 ほんと、こころから感謝している。この感謝の気持ちをどう伝えればいいのかわからないくらいだ。


 数瞬の沈黙。私もノブも黙ったまま、視線を合わせないまま、それでもお互いの思いは伝わっている、……はずだ。たぶん。





「それに、どうせ背中の開いたドレスなんて着ることもないから、これくらいの傷なんて平気。心配かけちゃってごめんね。もう学校にも戻れるよ」


 自分でこう言ってしまってから気づく。学校に戻るということは、殿下と顔を合わせるということだ。……いったいどんな顔して寮の部屋に戻ればいいのか。


 あの殿下のことだ。私が人間ではないということを言いふらしたりはしない、……と思いたい。


 ……でもなぁ、彼、立派な王族だからなぁ。私との個人的な友情(?)よりも、国のため、国民のため、モンスター退治を優先するかもしれないなぁ。なんたってわたしは『人類の裏切り者』だしなぁ。もっとも、彼を騙していた私としては、退治されても文句を言えないわけだけど、さ。


 いやいやしかし、そんなことは問題の本質ではない。もっとも大きな問題は、……あのとき、わたしは彼に胸を触られてしまった。へんな声もだしてしまった。そのうえ、口づけ寸前にまで……。


 きゃああああ。思い出しただけで恥ずかしい。


 あ、あ、あ、あれは、あれは、極限状態で他に方法がなかったせい。あくまでも彼を助けるためよ。


 だけど、……やばいなぁ。あの時、彼の目の前で、私はいったいどんな顔をしていたのだろう? もしかして、サキュバスの本能が表情にあらわれて、もしかして、もしかして、とてもイヤらしい顔してたりしていたら……。どうしよう。今度かれと会ったとき、私はどんな顔をすればいいのだろう?


 ああああ、それを思っただけで、顔が熱くなる。どうしよう、どうしよう、どうしよう。






「なに挙動不審やってんだよ」


 ノブの声。我に返ってみれば、恐い顔で睨んでいるノブ。


「きょ、挙動不審になんて、……なってた?」


 不機嫌そうな表情、まるで普段の殿下みたいな顔でうなずくノブ。


 え、え、え、やばい。とっさに手鏡を持ち直し、自分の顔を確かめる。うわあ、顔がちょっと赤い。恥ずかしい。


「……ミウ、学校も寮もしばらく行く必要はないよ。現場検証やらぶっ壊れた校舎の修理やらで、しばらく閉鎖だそうだ。まぁ、王室の威信にかけて、来月には再開するらしいけどな」


 え? あ、そ、そうか。よかった、……のかな? けど、それとは別に、イヴァンちゃんとの件を謝りに行かなくちゃならない。私が人間でないことはともかく、女の子であることはちゃんと告白しなくちゃ。……イヴァンちゃん許してくれるかなぁ。彼が口添えしてくれればいいけど。


「ついでに、王さまも心労で体調不良で面会謝絶だとさ。王太子も王室の他の連中も事件の後始末で忙しくて、おまえと姫さまの婚約の件もどうせしばらくは進まないらしいぞ」


 へぇぇ。ほっとしたけど、さっさと謝って楽になりたかったような気もするなぁ。まぁ、でも仕方がない。王太子様や姫様が襲われたんだから、きっと彼も大変なんだろうなぁ。もう襲われなければいいけど。


「なぁ、ミウ。おまえ、……さっきから、誰の事を考えているんだ?」





 えっ?


 ……わたし、誰かのこと考えていた?


「か、彼のことなんか、考えてないよ。ほんとだよ!」


「『彼』だって? ……ふん。どうせおまえの事だから、瓦礫の下からあいつを助けようといろいろ頑張ってしまったんだろ。わかってる。で、サキュバスの本性もみせてしまったんだろ? しかたがない。でも、もうあいつに近づくな」


 ノブが言う『あいつ』というのが誰なのか、直感でわかった。そして、ノブがなんか誤解していることも。


「ノ、ノブ。あなた、なんか誤解しているわよ」


「誤解してるのはおまえだ。わかってるのか? 学校で王太子や姫を襲ったのは、サキュバスに奴隷化されたアンデッドだ。騎士団も神殿も血眼になってサキュバスを捜しているんだぞ!」


「か、彼、……じゃなくて、殿下が私の正体をばらすわけないじゃない」


「ああ、そうだな。あいつは信用できるかもしれない。今のところはな。でも、おまえはこれから先どうするんだよ!」


 これから先?


「俺、本当はこんなこと考えるのもいやなんだけどさ、……おまえが本当にあいつの事が好きなら、しかたがないのかもしれないと思うんだ。俺は何もいわない」


 えっ? いきなりそこまで飛躍するの?


「ちょっとまって! す、……き、かどうかなんて、わたし、考えたことも……。


「でも、あいつを好きでないのなら、おまえ、それでもあいつと普通につきあえるのか? 一度は精気を吸おうとした相手と一緒に居て、……サキュバスの本能を押さえられるのかよ?」


 えええ?


「俺にはわかる。あいつはあんな賢そうな顔しているけど、俺とおなじくらいの大馬鹿野郎だ。だから、もしかしたら、……いや、きっと、お前を拒まない。でも、もしおまえに奴隷化されちゃったら、あいつはもう王室にはいられない」


 そ、そんな。


「俺、サキュバスのことよく知らないけどさ、……もしかしてサキュバスにとっては、好きでもない男の精気を吸うのも普通のことなのかもしれないけどさ、……けど、お前は、『ミウ』は、それでいいのかよ」


 ……わからない。大人になったサキュバスは、月に一度は男の精気を吸わなければ生きていけない。それだけは母からきいていた。


 でも、わからない。確かに一度、私は殿下の精気を吸ってしまいそうになった。そんな私が、次に殿下に会ったととき、自分が何をしてしまうのか。


 サキュバスとして、わたしは殿下を襲ってしまうのか? 私はその本能的な衝動を抑えられるのか? もし抑えられなかったら……。


「で、で、で、でも、それなら、わたし、ノブの精気を吸おうとして寸前でとめたことあるよ。あんたは知らないだろうけど、何度も、何度も、ついこないだも……。でも、こうしていっしょにいられるじゃない」


 あああ、言ってしまってから自己嫌悪。これって二股? もしかして私、とんでもない酷い女?





「俺が気づいてないと本気で思ってたのか? ミウ、……おまえ、俺をあいてに我慢する必要なんてないんだぜ」


 キュン


 うわぁ。うわぁ。本当に胸の中がきゅんとすることってあるんだ。こんなの少女マンガの中だけだと思ってた。


 狼狽しまくる私の顔を、ノブがまっすぐに見つめている。


 いつもの子供っぽさをみじんも感じさせない優しげな表情。やばい、これは『男』の顔だ。おまえいつの間にそんな顔ができるようになったんだ? ノブのくせに生意気な奴だ。こんな顔を見せられたら……。


 私は目をそらせない。一歩、もう一歩ちかづくノブ。聞こえるのは息づかい。そして自分の心臓の音。


 やばい。やばい。身体の奥のへんなスイッチが入りそうだ。このままじゃ姉としての威厳が音をたてて崩れてしまう。姉として、こんないい子をアンデッドにしちゃうわけにはいかない。絶対にだめだ。どうする? どうやってごまかす? どうやってこの場を切り抜ければいい?





「そ、そういえばさ!」


 私の両肩をつかんだノブ。正面から見つめるノブ。息がとまりそうな沈黙の中、ギリギリのところで私は口を開くことができた。


「胸の傷は、ノブが責任とって嫁にもらってくれるんだったよね。だっ、だっ、だったら、この背中の傷は、殿下に責任とってもらおうかな。きゃー、美少年ふたりを手玉にとって、私って魔性の女?」


 一瞬、ノブがポカンと口をあける。


「ば、ば、ばか、野郎! なんでここで、あいつの名前を出すんだよ!」


 そして再び顔が真っ赤になる。今度は怒りの赤だ。


「あー、もう! どうしていつもお前はそうなんだ? 俺は、俺は、俺は、もう寝る! おまえも傷がなおりきってないんだ、早く寝ろ!」


 自分の頭を両手でワシャワシャかきながら、ノブは自分の部屋に帰って行った。





 ごめん、ノブ。


 でも、自分でも、どうしていいのかわからないんだよ。


 


 

 

2015.05.24 初出

2015.05.25 誤字脱字&わかりずらい表現をちょっとだけ修正しました 



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