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29.王子様とサキュバスと その3


 斬られる!


 狂った騎士から必死に逃げる殿下と私。だが、殿下は足手まといの私を抱き上げている。そもそも人間とアンデッドでは体力が違いすぎる。次第に距離がつまっていく、追いつかれるのは時間の問題だ。


 そして、ついに剣が届く距離まで追い詰められた。うしろから水平に払われた剣をギリギリかわした勢いで、その場に転がる私と殿下。


 ゴロゴロと地面を何回転もした後、一瞬いきがとまる。しかし、休んでいる余裕など無い。不快な足音はすぐ後ろから聞こえている。


 咄嗟に振り向く。ほんの数メートル先に鎧、そして剣。息をつく暇も無い。私は不様にも地面に尻をつき、それでも必死に後ずさる。しかし、下がれない。後ろには石造りの図書館の壁。この期に及んでも、殿下は私を守ることを優先してくれる。とっさに私に覆い被さる。


 私と殿下、どちらが標的なのかわからない。ひょっとしたらどちらでもいいのかもしれない。追い込まれた私達に向けて、巨大な剣が振り下ろされた。





 わ、私はともかく、殿下みたいな前途有望な男の子が、こんなところで死んでいいはずがない!


 刹那、私が身につけたままの剣術の授業用の防具の隙間から、何本もの黒いものが前方に伸びた。スライムの触手だ。授業で少しでも痛いのを防御できればと、クッション代わりに防具の中に潜ませていたのだ。私達の身体を護るように、前面の空間に幾重にも黒い触手が重なる。


 構わずに騎士の剣が迫る。触手が一本あっけなく斬り落とされる。二本目の触手も斬られる。三本目も、四本目も、だが五本目の触手が絡まった時点で、ついに剣の勢いが止まった。さらに何本もの触手が狂った剣に絡みつく。ここからは、ちから比べだ。


 私を庇うため、覆い被さっている殿下。その背中の直前、そして私の眼鏡の前ギリギリで停止している巨大な剣。鈍く光る刃を見つめる私のこめかみから、つうと一筋の汗がながれおちる。汗だけじゃない。涙も鼻水も、もしかしたらよだれも出ているかもしれない。


 それでも、私は歯を食いしばって耐える。スライムに膨大な魔力が吸われているのを感じる。今、ギリギリのところで触手を支えているのは、私の邪悪な魔力だ。少しでも油断して気が抜けたら、その瞬間ふたりは斬られてしまうだろう。


『殺しなさい! すべての王族を殺すのよ!』


 声が聞こえた。声? 誰の声? ……ちがう、声じゃない。頭の中に直接ひびくこの思念は、魔力だ。誰かが思念をこめた魔力で、狂った騎士を操っているのだ。私が触手スライムを操っているのと同じだ。


 ならば、ならば、もしかして……。


 咄嗟に眼鏡をはずす。母譲りの赤い瞳で、騎士を睨む。


「おやめなさい!」


 誰が命令をだしているのか知らないけど、私の魔力で上書きしてやる!





 効果は劇的だった。私が命令した瞬間、唐突に騎士の動きが止まったのだ。真っ赤な瞳がぐるりとまわる。剣にかかる力が抜ける。その隙をついて、触手が剣を奪い取る。


 動きの停止した騎士に対して、やっと追いついた警備の騎士様たちが殺到する。数を頼りに、押し倒す。狂人は、あっという間にその場で取り押さられた。


「ミウ・イーシャ、大丈夫か?」


 安堵した瞬間、やさしい声をかけられた。


「あ……」


 全身の筋肉がガチガチで、動くことができない。全力で噛みしめていた顎がこわばり、うまく口をひらくことすらできない。そんな私の顔を、眩しいばかりの金髪の美少年が覗き込んでいる。


 これだけの修羅場に臨んで、こんなさわやかな顔をしていられるというのは、さすが男の子。度胸がすわっている。いや、王族だからこそなのか。


 ……そんな殿下の目の前で、いま自分はどんな顔をしているのだろう?


 なぜか、咄嗟にそれが気になった。


 涙と鼻水を拭こうとしたが、ハンカチが見つからない。仕方がないので、なるべく殿下に顔を向けないよう、上着の袖で顔を拭う。


「君と、君のボディガードのおかげで助かったよ」


 殿下が手を伸ばしてくれた。まさか払いのけるわけにもいかないので、素直に手をとる。


 ぺたん。


 だが、立ち上がれない。おしりが再び地面におちる。情けないことに、腰が抜けて力が入らない。いまだに膝が震えている。自分の体重が支えられないのだ。


 は、恥ずかしい。


「わ、わ、わ、私は、だだだだ大丈夫ですから」


 殿下が微笑む。そして、動けないままの私を、抱き上げた。





 ええええええっ! こ、これはお姫様だっこだ。


「お、おろして、おろしてください。重いですから!!」


 ていうか、あの騎士に追いかけられた時、ずっとこの体勢で逃げ回っていたような気がする。さっきまではそれどころじゃなかったけど、あらためて意識してしまうとかなり恥ずかしいぞ、これ。


「ちっとも重たくない。むしろ男にしては軽すぎだろう。……と、以前にもこんなことがあったな。イヴァンに襲いかかっていたもうひとりの狂人も、君の弟がかたづけたようだ」


 ノブがいるはずの方向に目をむけると、……助けた姫に抱きつかれている。私と殿下が無事だから良かったものの、いつまで鼻の下のばしているのよ!


「とりえず寮に、いや医務室までこのまま運んでやろう」


「ノブが無事だったのなら、ノブに運んでもらいますから!」


「そう言うな。我々はルームメイトではないか。……ところで、さっきのアレはなんなのだ? どうやってあの狂人を説得したのだ?」


「え? えーと、あれは一種の催眠術のようなものだと思っていただければ、……って、あまり詮索しないで頂けるとうれしいなぁ、なんて、……ダメですか?」


「催眠術? あれが? まぁいい。とにかく、私がいま生きているのは君のその催眠術のおかげだ。礼を言わせてくれ」


 え、え、私の方こそ殿下にかばっていただいて……。


「ありがとう」


 あ、えーと、……はい。


 なんて優しい笑顔。この殿下のご尊顔、近くでみると本当に美青年だ。私の顔、ちょっと赤くなっているかもしれない。いかんいかん、忘れてはいけない。私は男の子だよ、男の子、お、と、こ、の、こ。






 これでこの件は一件落着、……の、はずだった。


 だが、この世界の神様は悪戯心に満ちているらしい。彼(彼女?)の描いたシナリオは、まだまだ続きがあったのだ。


 どこの誰かは知らないし、何か目的なのかもわからないけど、私じゃないサキュバスさんはそう簡単にはあきらめたりしないらしい。

 

 


 

 

2015.05.09 初出

 


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