11.冒険者見習いと触手モンスターと
「冒険者の仕事に一緒について行きたいだって?」
とある学校の休日。冒険者ギルドに出かける用意をしているノブに、私はすてきな提案をしてみたのだ。
「そうよ。あんたは幼年学校の生徒であると同時に見習い冒険者でしょ。私も連れて行って欲しいの」
「どうして?」
「どうして? せっかく弟が冒険者やってるんだもの。私だって冒険っぽいことを経験してみたいのよ。今日はお店のお客さん少ないし、いいよね、お父さん」
そうだ。せっかく剣と魔法の世界に生まれ変わったのだ。それっぽいことを経験したいと思うのも当然だ。お父さんやノブといつまでいっしょにいられるかわかんないんだし。
お父さんは、魔法でゆらゆら揺れるロッキングチェアで居眠りをしている。返事はないが、耳だけは確かにこちらにうごいていたようなので、オッケーだろう。
「……俺、まだ見習いだから、モンスター退治とかダンジョン探検みたいな、派手な依頼なんて受けられないぞ」
「それって安全だということでしょ? ノブに迷惑をかけずに同行できるし、いいじゃない」
うちの姉は、あんな可愛らしい顔をしているくせに意外と頑固だ。一度言い出すと絶対に聞かない。さからうだけ時間の無駄だ。
「しかたないなぁ」
まぁ、確かに、自分がやっていることを姉に見て欲しいというのもある。それに……。
「お弁当も作っていこうか。楽しみだなぁ」
あんなにうきうきしながら準備しているミウを前にして、断れるわけないじゃないか。
プチ、プチ
私とノブは森の中に居る。王都の城壁の外、せいぜい歩いて三時間くらいのあまり深くはない森の中だ。
プチ、プチ
私の今日の格好は、ごくごく普通の長袖シャツにズボン。頭の上には大きめの麦わら帽子。どこからどう見ても、農作業を手伝う男の子といった格好のはずだ。
プチ、プチ
そんな格好で何をしているかというと、……ただの薬草摘みだったりする。下草の中に座り込み、ひたすら薬草を摘んでいるのだ。
プチ、プチ
似たような草ばかり生えている中から、薬草だけを選び出すのはなかなか難しい。……とはいえ
「……なんか、想像していた冒険者の仕事とは違うと思う」
「だから言ったろ。俺まだ見習いだから、派手な依頼は受けさせてもらえないって。それに、おれ基本的にソロの仕事しか受けたくないし」
「ノブ、あなた喧嘩だけならもの凄く強いじゃない。こないだなんて、飲んだくれて冷やかしで店に来て私にからんでいた騎士様三人をあっという間にぶちのめしていたし。それでもまだ見習いなの?」
そう、ノブはまだ十二歳のお子様のくせに(私と同い年だが)、酔っ払いの騎士程度なら簡単にぶっ飛ばしてしまうのだ。後先考えずにやらかしてしまうことも多いので、お父さんが後始末のためにいろんなところに頭をさげる羽目になったりすることもあるけど。……助けてもらった私は、とっても嬉しかったけどね。
「そりゃ、……単純な戦闘力だけを比べれば、王国全土の上級レベルの冒険者や騎士をかきあつめたって、俺に一対一で勝てる奴はほとんどいないだろうさ。俺はあの親父とお袋の血をひいてるんだからな。でも、経験が足りないんだよ」
「経験?」
「いくら喧嘩が強くても、ダンジョン攻略から生きて帰るにはまた別の能力がいるんだよ。冒険者の相手は人間だけじゃない。亜人とかモンスターとか、人間の常識を遙かに越えた戦い方をする奴もいる。底意地の悪いトラップだってある。生き残るためには、とにかく少しづつ経験を積んでいくしかないのさ」
へぇ。この世界の元になった物語を作った私でさえ、冒険者についてそんな細かい設定は考えていなかったのに。どんな世界でもそこに生きる人達は、それなりにして苦労しているということななんだろうね。
ボコっ
薬草摘みもそろそろ飽きた頃、後ろから変な音がきこえた。
ボコボコ
後ろだけではない。おかしな音は、地面にしゃがみ込み薬草をちまちま摘んでいた二人の周囲、すべての方向から聞こえる。
「な、なに?」
周囲を見渡せば、いつのまにか二人を中心とした半径十メートルほどを、無数の黒いものが取り囲んでいる。
触手?
ぬらぬらした無数の黒い触手が地面から三メートルほど立ち上がり、うねうねうねうね脈動しているのだ。牢獄のように触手に取り囲まれたふたりは、逃げられない。
「なによ、これぇ!!」
恐怖は感じない。ノブが隣にいるのだから。しかし、かわりに本能的な嫌悪感。テラテラぬらぬら、でろっとした液をまき散らしながらこちらを伺うように脈動する触手の群。ちょっと近づきたくはない。
「きゃあ!」
触手の一本が、ふたりをめがけて先端をのばす。ノブが私を庇いながら避ける。決して堅くはなさそうだが、二人をかすめて地面に衝突して衝撃で、地面がゆれた。あれがあたったら、『痛い』ではすまないだろう。
ぺっぺっっ! なんなのよぉ、かすめたときなんか液体が飛んできたぁ。
よく見ると、十メートルほどの触手の向こう側に、黒いでろでろした塊がうねうねしている。何本もの触手が、その塊から地面の中に伸びている。おそらくアレが本体で、地面の中に触手を伸ばして私達を襲っているのだろう。
「触手スライム……」
剣を抜きながら、ノブがつぶやく。
見た目そのまんま、何もひねっていないネーミングだ。私、この物語の中に、そんなモンスター設定したかなぁ?
それを合図にしたかのように、触手が総攻撃をはじめた。ひとつかわしても、次から次へと連続攻撃がつづく。ノブと私はウネウネ攻撃を必死に避ける。そして、隙があればノブが剣を振るい触手を斬る。速度もパワーも、ノブの方が圧倒的だ。だが、きりがない。
「ね、ねぇ、こいつ強いの?」
「いや、たいしたことはない。よっぽどのアクシデントがない限り、人間が殺されることはない。こいつら知能などないし、人間を襲うのも殺すためじゃないから」
と言いながら、ノブの顔に焦りが見える。
「くそ、こんな大きくて、触手の数の多い個体、見たことないぞ」
……ちょっと心配になってきた。
「勝てる、……よね?」
「ああ、ちょっと時間がかかかもしれないが、負ける事はない。触手を避けながら、隙をうかがって、本体に一撃を入れればおしまいだ」
「……もうすぐ、日が暮れるよ」
さっきから、ノブは触手攻撃を避けてしかいない。相手の数が多すぎるのだろう。いや、私という足手まといがいるせいだ。途切れのない触手攻撃から私を放ってはおけないから、ノブは本体に向けて突撃できないのだ。
「大丈夫。安心して。俺が絶対にミウを護るから」
振り向いて、ニコッと笑うノブ。……くぅ、なんていい男。弟ながら、惚れてしまいそうだ。こんなかっこいい弟の足手まといなっているのも、なんだかなぁ。
「ねぇノブ。私が囮になる。あいつは人を殺すことはないんでしょ? 私を放っておいてさっさと本体にトドメを刺して」
「だめだ!!!」
びっくりした。私に対してノブがこんなに大声出すことは滅多にない。
「なぜ? 二人とも無傷で助かるいい考えだと思うけど」
「あ、あいつは、触手で捕らえた人間に傷はつけないけど、精気を吸うんだ。その時、服を溶かして、ぬらぬらした触手で全身をまさぐって、捕まったのが女の人の場合、その、えーと、かなりエロイことになったり……」
言いながら、ノブが真っ赤になっている。
「あ、あああ、なるほど。そういうことか。それは……イヤだなぁ」
さすが触手モンスター、期待通り(?)のエロさだったか。
……なんて妙な感慨にふけったりしている間に、私達には隙ができてしまったようだ。そして、エロ触手はその隙を逃さない。
後ろから迫った一本の触手が、私の足首に絡みついた。
「ノ、ノブ!!!」
叫ぶ間もなく、私の身体は引き倒される。地面におでこをぶつけ、ちょっとだけ血が出てしまう。
「この野郎!」
怒りに震えるノブ。冷静さをかなぐり捨てて剣を振り上げたところを、後ろから触手の一撃を喰らい、吹き飛ばされる。
「ノブっ! お、おちついて! 冷静になって!!」
その隙に、私の身体はスライム本体の方向に引きづられいく。周囲の触手が私の身体に集まってくる。両腕をバンザイに拘束されて、一本の触手が首に巻き付き、シャツのボタンを引きちぎる。鎖骨にそって先端が入り込み、服の中身をネットリと這い回る。
「ちょ、ちょっと、どこにに入ってくるのよ」
別の触手が、足首からズボンの中に、そして太ももにむけて這い上がる。
びくっ!
そのぬらぬらした感触に、背筋が反り返る。
「ばかぁ!! いや、だめ」
ノブが顔を真っ赤にしながら、私の周りの触手を引きはがしにかかる。でも、触手はあとからあとから、私の身体をうねうね這い回る。
こ、こいつら、服を溶かしている?
すでにシャツは布地の半分ほどがなくなっている。前を隠そうとした腕を、触手がむりやり拘束する。
ひっ! し、下着まで?
やばい。このままでは本当に裸にひん剥かれてしまう。ノブの目の前でそれは、それだけは……。
「わ、わ、わたしより、はやく本体を、……ひゃあ! ばっ、ばか、やめっ! そこは、」
触手の一本が、唇の隙間から無理矢理くちの中に入ろうとしている。太くて黒いぬめぬめした先端が、必死に閉じる唇を力尽くで押し開き、口腔と舌を蹂躙する。
うっ、うご、が、げ。
あまりの気持ち悪さに意識が遠のく。だ、だめだ。気絶したら、こいつの思い通りになっちゃう。
必死に頭をふり、意識を強引に引き戻す。
どうする? どうすればいい? こいつの弱点は? ノブは、こいつは人間の精気を吸うって言ってた。精気? 精気を吸うって?
……なんだ、私と同じじゃない。
そう思った瞬間、身体の中で何かが目を覚ました。
逆に私が吸ってあげるわ。そして、……私の奴隷におなりなさい。
それは、ノブの剣がまさにスライム本体の核を貫かんとする瞬間だった。
「魔法陣?」
ノブの剣がとまる。スライムの目の前、空中に金色の環が浮かび上がったのだ。
「ミウなのか?」
サキュバスが使える魔法は一種類しかない。男を狂わす『魅了の魔法』だ。通常は攻撃手段としてつかわれることはない。本人すら意識しないうちに、自然と肉体からにじみ出るものだ。
しかし、サキュバスがあえて意識して、魔法陣を形成したうえで一気にその魔力を放出されたとき、それはどんな攻撃魔法よりも恐ろしい呪いとなる。
私は無意識のうちに呪文を唱えていた。母から教わった唯一の魔法だ。それと同時に、スライム本体の真上の空間に、ゆらゆらと金色の文字の環があらわれ回転を始める。
強力な魔力の気配に一瞬ひるむスライム。かまわず魔法陣がスライム本体に迫る。そして、触れる。スライムに魔力が流し込まれる。同時に私は、目の前の触手に、おもいっきり噛みついてやったのだ。
びくんっ!
瞬間的に、スライムの巨体が震えた。まるで全身に電撃が走ったかのように、動きがとまる。そして、すべての触手が地面に落ちる。
魅了の魔法陣とともにサキュバスに精気を吸われた相手は、魅了の魔力の衝撃に耐えきれずに即死する。防御法はない。しかしその屍体は、サキュバスの魔力を得て蘇る。魔力が供給される限り絶対不死のアンデットとして復活するのだ。
いちど殺され、そして復活させれた哀れな犠牲者は、もうサキュバスなしでは生きられない。サキュバスには絶対に逆らえない。呪われた不死身のアンデッド、サキュバスの奴隷のできあがりだ。
ゆらゆらと、ふたたび触手が動き出す。だが、もうミウを襲うことはない。
あっけに取られるノブが見つめるその前で、ミウと触手が絡み合っている。
「お手! お座り! ほらほらノブ、こいつ私の言うことを聞くようになったよ」
ノブの視線の先にいるのは、ミウ。そして、まるで犬のようにミウの命令をきく触手。……それが、サキュバスの魔力なのか。
「ねぇ、ノブ。こいつどうしようか? うちに連れて帰ってもいいかな?」
ノブは、無邪気にスライムにお手をさせている姉をみて、頭を抱える。
ミウの常識外れに強力な魅了の魔力のことなど、親父が彼女を拾ったときから知っていた。ミウの膨大な魔力ならば、どんな強大なモンスターだろうと、たとえそれが魔王だって骨抜きにできるだろう。そして、奴隷のアンデッドなど何人でも同時に維持できるだろう。
だが、……俺はなんの根拠もなく思い込んでいたのだ。ミウが精気をすすり、奴隷とするのは、たったひとりの男に違いないと。
そして、俺が人生でもっとも恐れていたのは、ミウが俺よりも先に誰かの精気をすすることだった。……それなのに、それなのに、まさか、よりによってスライムに先を越されるとは。
一生の不覚とはこのことだぁぁぁぁ!
ノブの悩みは尽きることがない。
2015.03.29 初出