普通に生きてるだけでしんどい状態ですが、それが何か?
このところ、とんとやる気が出ない。
とにかく面倒臭いのだ。顔を洗うのも歯を磨くのも掃除も洗濯も、いわゆる生きるということに付随する何もかもが。
で、目が覚めたとわかった瞬間に、ため息をついていたりする。
でも、動く。
とりあえず、最低限の日常生活は回す。
それを怠ったときの苦痛のほうが大きいことはもう充分わかってるし、多少無理して動いているうち気分が上向きになったりもするから。
若い頃(今がどれほど若くないのかは想像にお任せします)は、こんなレベルじゃなかった。息をすること、意識を保っていること、存在していること。それ自体が、拷問のようだった。
住む家も食べ物も家族もあった。ネグレクトも暴力もなかったし、進学もさせてもらえた。厳格で多少息苦しい家ではあったけれど、もっと大変な家庭はいくらでもあったと思う。そう、確かに、世間さまがこぞって納得してくれるような、目に見える理由なんて何もなかった。なのにすっかり迷路に入り込んでしまったわたしを、親は「どうして。お前には、何ひとつ不自由させなかったのに」となじった。
あの頃精神科にかかったら、きっと何かの病名が付されたのだろうと思う。けれど当時その敷居は今よりずっと高かったし、親が言うとおり自分は甘えてるだけだから、病院に行く資格なんかないと思い込んでいた。結果、ますますこじらせた。
そんなに苦しいのになぜ死ななかったのかと言えば、怖かったから。
だって、死んだら今より楽になれるっていう保証なんかどこにもない。
有無を言わさず自分は最初から「生」の世界に属してしまっていて、その境界線を越えるのはすごくエネルギーがいることでなのだと、崖っぷちでつま先立ちになったときに思い知らされた。
今思うと、本気で死にたかったわけじゃないんだと思う。
ほんとうは、幸せに生きたかっただけ。
でも、自分にとってそれは、まるで雲をつかむみたいなものだったんだ。
いったい何を、どうがんばって、そして何処に向かえばいいのか。そもそもどうして、がんばろうとさえ思えない自分なのかが、なにひとつわからない。
努力が足りない、ただの甘えだって言われれば、その通りだと自分を責めてますます萎縮する。
同じ環境でも、辛いと思ってしまう人間と、特に疑問も感じずに適応していく人間がいる。
その差はいったいどこから生じるんだろう、と思う。
生まれ持った資質? それまでに積み重ねてきたもの?
では、もうひとつさかのぼって、そもそも何かを積み重ねる意欲を持てるかどうかって、どうやって決まるの?
端的にいえば、特別な理由もないのに生きるのが辛いと感じてしまうことや、世界が針のむしろみたいに思えることは、わたしのせいだったの?
こういう話をすると、他人はたいてい屁理屈だとか、しんどいことから逃げるためのただの言い訳だ、そんなこと考えてる暇があったらもっとがんばれ、とか言う。
でも、そうじゃないんだ。
わたしはただ純粋に知りたかっただけ。
自分が他人と違ってしまっていることが、本当に責められるべきことなのか。
そんなことを、ずっと考えてきた。
そして、ほんの少しだけ手に入れた、自分なりの答え。
わたしがこうなのは、自分のせいじゃない。だから自分を責める必要はない。
でも、だからと言って、ほかの誰かがどうにかしてくれるものでもないのだ。
そこにあるのは、どんな理由であれ抱えてしまっているものは自分の手でどうにかするしかない、という厳然とした事実。
「あんたは何も悪くないよ。
でも、そういう自分を背負って生きるしかないんだから、腹をくくりな」
それが今、わたしが辿りついたいっぱいいっぱいのところ。